大道芸人

 次の日の朝、エンハンスとメアリーは、アンダーウッドの登庁を見送った後、二人揃って町へと繰り出した。モイーズが殺された、その情報は大きく報道され、すでに町中に知れ渡っている。探偵という特権階級が殺されたこの事件は、多くの人々の興味を引いていた。そして、探偵になりたいと願う少年少女、いや、大人も巻き込んで、どこに行ってもその話題が聞こえてきた。

 と言うのも、探偵となるためには、国家試験を受ける必要があるのだが、その試験を受ける資格を得るためには事件を解決したという実績が必要なのだ。世間を騒がした大事件を解決すればそれだけで名が売れ、試験に受かりやすくなる、その様な噂がまことしやかに流れており、大事件が起こるたびに、探偵という特権階級にあこがれる人々は、その事件を解決しようとこぞって知恵を絞るのが常となっていた。

 エンハンスとメアリーは一昨日、リンゴを買った屋台の出ていたウイリアム四世広場へと向かった。

「何か、分かるでしょうか?」

 メアリーは隣を歩くエンハンスに問いかける。

「さあ、今の段階ではどうとも言えません。今はただ、この事件に関して、世間でどのように語られているのか、それを知りたいと思っているだけです」

 それは、弱気とも取れる発言だったが、エンハンスの今までの言動を考えるなら、どちらかというと慎重なのだろう。先日見せたエンハンスの手腕を見れば、どんな些細な情報からでも簡単に事件の要点を引き出してくるのでは無いかと、メアリーはこれから起こるであろう光景を楽しみに思っていた。

 広場にたどり着くと、案の定、そこに集まる人々はモイーズの死について口の端に乗せていた。そのほとんどが、モイーズの素行に対するモノで、それを聞く限りでも、彼の評判があまり良くなかったことがうかがわれた。

「いくら気にくわない相手でも、亡くなってまでここまで言われると、少し同情してしまいますね」

 メアリーは思わず呟いていた。

「そうですね。ところで、この間の屋台が出ていませんね」

 エンハンスは広場全体に視線を送り、その様な疑問を口にした。

「そういえば、そうですね」

 メアリーも辺りを見回し、その姿を見つけられないでいると、

「そこの二人、買って行かないかい? 恋人同士にはぴったりの品だよ」

 そんな呼び込みを受けた。

「おじさん、一昨日、ここで果物を売っていたおじさんを知りませんか?」

 メアリーが声をかけてきた物売りに尋ねると、物売りは、

「果物売り? ああ、リンドか。あいつは、逮捕された」と、声を潜める。

 突然の言葉に、メアリーは絶句した。

「彼が何かしたのですか?」

 黙って話を聞いていたエンハンスが思わず尋ねる。

「何もしちゃいねえさ。ただ、奴の家の中から、盗まれたはずの宝石が見つかったんだそうだ」

「それはいつのことです?」

「一昨日のことだな。しかし、あいつがそんな事をするわけがねえ。どうせ……」

 男はそこまで言って、ふっと、口をつぐむ。

「これ以上を言っちゃあ、俺もあいつと同じ運命だ。あんたらも気をつけなよ。奴らは、どこで俺達の話を聞いているのか分かったモノじゃあ無い。何せ、人の秘密を探り出すのはお手の物の連中だからな」

 そう言って、二人から視線を外し、別のカップルに声を掛ける。

「どういう事です?」

 あまりにも唐突に会話を打ち切られた事に理解が着いていかず、メアリーが呆然としたまま呟き、その答えを得ようと、エンハンスに視線を向ける。しかしそこに、今まで見たことも無いような険しい表情を浮かべる彼を見つけ、メアリーは息を呑んだ。

「メアリーさん、行きましょう」

 エンハンスはメアリーの腕を掴むと、急いで広場を離れた。

「どういう事ですか?」

 近くの路地裏に入り込んだところで、メアリーが腕を振り切り、たまらず問いかける。

「ああ、失礼しました」

 その時、エンハンスはやっと自らの行動が失礼だったと気が付いたように謝ると、

「私が思っていた以上に難敵で有ることに気がついたモノですから」

「難敵って、犯人について何か分かったんですか?」

 メアリーが問いかけると、エンハンスは首を振り、

「いいえ、その事では無いのですが」と、奥歯に物が挟まったような口ぶりに、メアリーは不満を感じた。

 その時、突然広場の方から歓声が上がる。先日の道化師が、また曲芸を披露しているのかと思い、メアリーは広場の中央に視線を送る。そこでは、先日の道化師とは違い、曲芸師らしき男が一輪車の上で逆立ちをして見せていた。

 エンハンスもそちらに顔を向ける。そして、何かに気がついたように息を呑む。

「どうかしましたか?」

 その様子にメアリーが問いかけると、

「もしかすると、あの道化師が」と独り言のように呟いた。そして、広場に戻ると、その辺りにいた人々に、二日前にその広場にいた道化師について、尋ね始めた。

「どうしたんですか?」

 突然の行動に置いてけぼりの格好になったメアリーが、エンハンスに追いつき、肩で息をしながら問いかける。

「あの道化師は、あの日初めてここに現れ、それ以降、一度もここに来ていないそうです」

「それがどうかしたんですか?」

 突然道化師のことを気にしだしたエンハンスの態度に、メアリーは首を傾げる。

「あの道化師がどこから来たのか、探します」

 メアリーの疑問には応えず、エンハンスはそんな宣言をした。

「二日前にいた道化師? ああ、そう言えばいたなあ。いや、あいつがどこの誰なのか、俺は知らないけどな」

 芸を披露し終えた曲芸師の青年に道化師のことを知っているかを尋ねると、彼はそう言って首を振る。

「別に、ここで芸をするためにどこかで登録が必要なわけでも無いからね。言うなら、早い者勝ちさ。もちろん、ここはこの辺りで一番人通りが多いから、激戦区ではあるけど」

「では、場所取りは難しいのですか?」

「いや、そうでも無いさ。一応、俺たちの中にもルールがあってな、あまり長時間の占有はマナーとしてやってはいけないことになっている。ここなら、いつ来ても人がいるからね。やろうと思えば少し待てば場所は取れるさ」

 そう言って青年は、先ほどまで彼が芸をしていた区画を示す。そこではすでに別の大道芸人が、自らの芸を披露しようと準備をしているところだった。

「何度も顔を合わせている相手だったら、名前くらいは知っていたりはするけど、基本的には個人事業だからね。別に協会があるわけでもないし、一度しか来なかった相手のことは、残念ながら分からないよ。すまないね」

 そう言って、青年は立ち去ろうとする。

「おっと、そうだ、一つ思い出した」

 青年はそう言って立ち止まると、振り向き、

「あの道化師、顔を怪我していたんじゃないかと思うぜ」

「どうしてですか?」

 青年の言葉に、エンハンスは目を輝かせて問い返す。

「仮面の端から包帯が覗いていたんだ。いくら顔を隠すためだとしても、包帯を巻くのはやり過ぎだろう?」

 青年はそう言ってウィンクをすると、大きな荷物を抱えて立ち去った。

「ホーネストさん、今のが何か参考になるんですか?」

 青年の後ろ姿が見えなくなってから、メアリーが質問する。

「まだ分かりません」

 エンハンスはそう言って首を振る。メアリーはその様子に不満そうにしていたが、エンハンスが歩き出したので慌ててその後を追う。

 その後も、エンハンスはあの日の道化師について広場で聞いて回ったが、曲芸師の青年以上の情報は誰も与えてくれなかった。

 特に新しい情報を手に入れる事ができなかった二人は、一旦、メアリーの家に戻ることにした。

 めぼしい情報を手に入れられなかったと感じているらしいメアリーは、あからさまに残念がっていたが、エンハンスはどこか淡々とした表情で、その表面からは彼が何を考えているのか、彼女にはどうにも読み取ることはできなかった。

「おや、メアリーちゃん」

 不意な呼びかけに、メアリーは驚いてそちらを向く。

「ハミルトンおじさん、こんな所でどうしたんですか?」

「いや、何、ちょうど、君の家にお邪魔しようとしていたところさ」

「うちにですか? 何かあったんですか?」

「いや、ウィルの奴が無事に釈放されたと聞いてね、お祝いに行こうとしていただけだよ」

「でも、お父さんは捜査に出ていると思いますよ?」

 メアリーはハミルトンの言葉に首を傾げて応える。

「いや、あいつは捜査から外されてな、自宅に戻されているんだ」

「え? どうしてですか?」

 初耳の情報に目を見開き、メアリーが問いかける。その言葉にハミルトンは、

「まあ、容疑者だった男が、その事件の捜査をすると言うことを嫌ってな、そういう事になったらしい」

「そんな、お父さんには全く責任は無いのに」

「まあ、そうだけどな。上の決定はよく分からん」

 ハミルトンはそう言うと大げさに肩をすくめてみせる。

「じゃあ、お父さんは今、家なんですか?」

「多分な。だから、慰めもかねて顔を見に行くところさ。一緒に行くかい?」

「はい、ご一緒します」

 その問いに応えたのはメアリーでは無くエンハンスだった。

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