探偵の性

 エンハンス達の働きかけにより、アンダーウッドの容疑は意外なほどあっさりと晴れ、メアリー達が仕立屋を訪ねた次の日の晩、彼は一日ぶりの帰宅となった。

「いやあ、今回は助かったよ、ありがとう」

 アンダーウッドは家に帰り着くなり、そう言って玄関まで出迎えに来たエンハンスを強く抱きしめる。

「一時はこのまま出られないのでは無いかと覚悟したくらいだ。何せ、俺を捕まえたのが、あのホワイトだからな。あいつの出した結論を覆すとは、ホーネストさん、あんた、大したモンだ」

「いえ、今回は運が良かっただけですよ」

「それでも、助けてもらった事に変わりは無いさ。しかし、いったいどうやったんだ? まだ詳しい話を聞かせてもらっていないんだが」

「その話は、後でも良いでしょう? あなたも疲れているでしょうから、お茶でも入れますね」

 マーガレットがそう言って、アンダーウッドを食卓へと誘う。

「おっと、それもそうだな」

 アンダーウッドは、改めてただいまを言うと、家の中へと入る。

「それで、一体どうやって、俺の無実を証明してくれたんだ?」

 マーガレットの入れたお茶に口を付け、一息吐いた後、アンダーウッドが尋ねる。

「簡単なことです。アンダーウッドさんが容疑者となった根拠を無くしてしまっただけです」

 アンダーウッドの問いに、エンハンスは落ち着いた口調で応える。

「根拠というと?」

「つまり、アンダーウッドさんとモイーズが、犯行時刻に同じ倉庫街にいたという根拠です」

「しかし、俺は事実としてモイーズの死亡推定時刻である十時から一時の間、ちょうど犯行が有ったと思われる時刻の間にあの倉庫街にいたぞ?」

「ええ。ですから、モイーズがその場所にいなかったことを証明したんです」

 エンハンスは淡々としたままで告げる。

「モイーズがいなかった? しかし現に奴の死体はあの倉庫街に」

「それはとりあえず忘れてください」

 エンハンスの言葉に、アンダーウッドは不承不承ながらも頷く。

「あの日、モイーズは服が破れたために、仕立屋に向かいました」

 そう言って、エンハンスは昨日、彼とメアリーが調べた内容を簡単に説明する。

「ふん、六時過ぎにねえ。随分と遅い時間だな」

 アンダーウッドはそんな感想を洩らす。

「ええ。そして、注目するべきはまさにその時刻なのです。倉庫街の入り口に守衛が警備に就くのが午後七時、それ以前にはほぼ自由に行き来出来るその倉庫街も、それ以後は人目を避けて入ることは困難です」

「それは知っている」

 アンダーウッドは大きく頷く。詳しい事情を知っているメアリーは嬉しそうにその話を聞き、完全には聞いていないマーガレットはその言葉に興味深そうに耳を傾けていた。

「そして、モイーズが倉庫街に入る姿は守衛には目撃されていません」

「そうらしいな。だから、守衛が警備に就く前に中に入ったのだろうと」

 そういった所で、アンダーウッドは驚きの声を挙げる。

「そうか、六時頃に時計塔近くの仕立屋に顔を出したモイーズが、七時より前にラッピングの倉庫街に入る事など不可能だ。そして七時以降、倉庫街に入った姿が目撃されていない以上、モイーズはあの日、倉庫街に来なかった」

「そうなります。私達は実際に時計塔からラッピングまで何分かかるかを測定してみましたが、馬車を使っても一時間以上は掛かりました。六時過ぎに仕立屋を出たモイーズが、七時までに倉庫街に入るのはまさしく不可能です」

「しかし、現に、モイーズの死体は倉庫街で見つかっているんだぞ? これはどう説明するんだ?」

 アンダーウッドが当然の疑問を口にする。

「それは、まだ分かりません。ただ私は、アンダーウッドさんがモイーズを殺すことはできないと言うことを証明しただけですから」

「ふん、そして、ホワイトに投げかけたわけだな。この様な謎が残った、名探偵なら解いてみろと」

「いえ、そうは言いませんでしたが」

 アンダーウッドの煽るような物言いに、エンハンスは慌てて否定する。

「言ったも同然さ。探偵なんてモノは、目の前に不可解な謎があれば、事件そっちのけでその謎の解法にかかずらうような奴らばかりだ。その結果、人を傷つけても一向に気にも止めねえ。そんな大きな謎を奴の目の前にぶら下げたなら、あいつが飛びつかないわけは無いさ。その謎を解くためには俺が犯人として捕まっていては都合が悪い。犯人が捕まっている事件を捜査するわけにはいかないからな。だから俺は解放された、そうだろう?」

 アンダーウッドはそう言って豪快に笑う。

「ところで、聞きたい事があるのですが?」

 アンダーウッドの笑い声が止むのを待って、エンハンスが手を挙げた。

「なんだ?」

「聞きたい事は二つあります。モイーズの死体が発見された経緯、それとアンダーウッドさんがやっつけたというモイーズの仲間についてです」

「事件を解決してやろうとでも言うのか?」

 エンハンスの問いの内容を聞いて、アンダーウッドが逆に問いかける。

「まあ、気になるので、個人的に調べて見ようかと。関わるなと言うのでしたら、自重しますが」

「はは、まあ、良いさ。教えてやるよ。そして、ホワイトよりも早く事件を解いてあいつの鼻を明かしてやってくれ」

 アンダーウッドはそう言って、再び笑うと、

「とりあえず、モイーズの仲間だが、名前をジェームズ・フランクと言ってな、まあ、端的に言えばH級の探偵だ」

「H級」

 エンハンスがその単語を繰り返す。

「ああ。モイーズとは全く正反対の悪知恵の働く奴だ」

「それで、お父さんとはどんな因縁があったの?」

 今度はメアリーが問いかける。

「あれは、一週間ほど前の警邏中のことだ。ある家から女性の悲鳴が聞こえてな、俺はその家に飛び込んだ。すると、そこにはフランクと若い女性がいたんだ。悲鳴を上げたのはその女性だった。フランクは、捜査と称してその女性の家に無理矢理押し込んだらしい。そして」

 アンダーウッドは、そこで言葉を切ると、

「まあ、そういった事の常習犯だ、と言う噂は聞いていたが」そう言って、言葉を濁す。しかし、明言出来ない様子から、そこにいる誰にもその先は理解ができた。特に若い女性であるメアリーなどは怒りと羞恥で顔を真っ赤に染め、今にも爆発しそうな様子だった。

「とにかく、状況を理解した俺は女性からあいつを引き離し、思いっきり顔をぶん殴ってやった。二目と見られないほどにな。もっとも、俺が殴る前から、はげた頭の両脇に申し訳程度に添えられ髪、団子っ鼻に飛びでた歯と、何度も見たい顔じゃあ無かったが」

「さすがお父さん」

 メアリーは相当腹に据えかねていたらしく、嬉しそうにそんな事を言う。マーガレットも、今度は彼女の口調を特に注意することも無く、聞き流す。

「まあ、それであいつの恨みを買ったんだろうな。力では俺に叶わないから、モイーズに応援を頼んだんだろう。腐った野郎だ」

 アンダーウッドは吐き捨てるように言った。

「事情は分かりました。では、モイーズの死体が発見された経緯は?」

「それに関しては、俺も詳しくは知らないんだ。あれよあれよという間にとらわれの身になっちまったモノでな。いくら俺が警察の仲間とは言え、容疑者候補に捜査情報を漏らすほど、俺たちはお人好しじゃあ無い」

 アンダーウッドは自嘲気味に笑う。

「ただ、明日からは捜査に復帰する。簡単な情報くらいなら仕入れてきてやるぜ」

「お父さん、そんな事をしても良いの?」

「かまやしねえよ。俺を犯人として捕まえた野郎が指揮する捜査なんて、うまく行くはずがねえ。その点、たった一日で、俺の無実を証明してくれたホーネストさんなら、もしかしたら真相を見つけてくれるかもしれないからな」

 アンダーウッドはそう言うと、メアリーに笑顔を見せる。その表情はまるで、お前だって、その方が嬉しいだろう、とでも問いかけているようだった。

「とにかく、モイーズが発見された経緯を確認したら良いんだな? 確かに、あんな使われていない倉庫で殺されていた割にはあまりにも発見が早かったからな。俺も気になってきた。他に聞きたい事は無いか?」

「今のところ特には」

 エンハンスは首を振る。

「そうか。まあ、何か気がついたらすぐに言ってくれ。できる限り調べてきてやるから」

「はい、お願いします」

「そんな他人行儀な態度は取るなよ。俺たちはもう家族みたいなモノだろう?」

 アンダーウッドはエンハンスの後ろに回ると、その両肩を強く叩く。

「ありがとうございます」

 その痛みに顔をしかめながら、エンハンスは笑っていた。

「まあ、どちらにしても今日はもう遅い、全ては明日からだ」

 アンダーウッドはそう言って話を切り上げる。

 その夜、メアリーはエンハンスを再び屋根裏に呼び出した。

「何か用ですか?」

 窓から外を眺めているメアリーに、エンハンスが問いかける。しかし、メアリーは何も言わず、ただ、窓の外を眺め続けていた。

 エンハンスもその隣に移動し、並んで夜空を眺める。

「今日も、月がきれいですね」

 エンハンスはメアリーに語りかけるような、それでいて、独り言のような、その様な微妙なニュアンスでその言葉を口にする。

「私」

 エンハンスの言葉が合図だったかのようにメアリーが口を開く。

「自分では輝くことは出来ないと思っているんです。頭が飛び抜けて良い訳ではありませんし、体力がことさら優れているわけでもありません。ただ、平凡に人生を過ごし、平凡な結婚をし、平凡な最後を迎える、そう思っていました」

 エンハンスはメアリーが語る言葉の着地点が見えず、ただ黙って話の続きを待つ。

「でも、ホーネストさんは私と違って自分で輝ける力を持っていますね」

「そんな事は無いですよ。私だって、それほど特別な力を持っているわけではありません」

 エンハンスはメアリーの横顔を見つめたまま応える。

「あまり謙遜しすぎると、嫌味に聞こえますよ?」

 メアリーは、その夜初めてエンハンスの方に顔を向け、彼の瞳を正面から捕らえると、月明かりを背景に、柔らかく微笑む。昼間の彼女からは想像も付かないほど儚げに。

「私は、できればあの月のような存在になりたいと思っていたんです」

 エンハンスは彼女から慌てて視線をそらすと、そんな事を言う。

「月は、完全な暗闇にならないように、夜の街を照らしています。私は、その様な存在になりたい」

 そして、とてもそこまでの存在では無いですけどね、と笑う。

「驚きました」

 メアリーは本当に驚いた様子で、目をぱちくりとさせると、

「私も、月のようになりたいと言おうとしたんです。ホーネストさんの仰ったような内容とは違いますが」

「メアリーさんが月ですか? あなたはどちらかというと、太陽の方が似合うと」

「馬鹿みたいに元気だから、と言いたいんですか?」

 メアリーは不満そうに頬を膨らませ、エンハンスをにらみつける。

「いや、決して悪い意味では無いですよ」

「良いんです。私は、元気だけが取り柄かもしれません。でも、自分では輝けない。だから、太陽の光を反射して輝く。その光はたとえ仮初めでも、私はそんな存在になりたいと思ったんです。それに、私に言わせればホーネストさんこそ太陽ですよ。自ら輝くことができる力を持っている」

「では、私達はお互いに月になりたいと思い、お互いを太陽だと思っているわけですか」

 エンハンスはそんな言葉と共に、おかしそうに笑う。

「確かに、おかしな話ですね」

 メアリーもつられるようにして笑うと、

「エンハンスさん、もし、このまま捜査を続けるのなら、私にもお手伝いをさせてはいただけませんか?」

「どうしてですか? メアリーさんは確か、探偵活動は嫌いだったのでは?」

「私が嫌いなのは探偵活動では無く、権力を笠に着て好き勝手する探偵達です」

 メアリーは力強く言い切る。

「でも、ホーネストさんはそんな無頼漢とは違います。だから私は、ホーネストさんの捜査記録を付けたいと思うんです。いけませんか?」

「いえ、願っても無い事です。私には、少しずぼらなところが有りまして、細かい記録を付けるのは苦手だったんですよ」

 メアリーは、その言葉を嘘だと直感的に悟った。それでも、エンハンスのその好意を素直に喜ぶことにした。

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