発見現場
メアリーとエンハンスの二人は、ハミルトンも交え、四人で朝食を取った後、ハミルトンの案内で街の東部、ラッピングにあるセームズ川沿いの倉庫街へと馬車を飛ばした。そこはシティ・オブ・リンドンの東部、一般にタワーリムレッツ特別区と呼ばれる地域の一部であり、昨夜、アンダーウッドが警邏していた地域でもあり、モイーズが殺されたという倉庫はその中に存在していた。
「おじさん、この倉庫街の中にある倉庫が犯行現場だったんですか?」
馬車を降り、地区の中でもさらに赤煉瓦の塀により区画分けされた倉庫街を前にして、メアリーがハミルトンに尋ねる。
「ああ。そこは今は借り手のいない、無人の倉庫だった。そのため、目撃者もいない。もっとも、この辺りは見張りの人間以外、夜になるとほとんど人はいなくなっちまうが」
なるほど、夜にほとんど人がいなくなる場所で、たまたま父がいたから、そして、その相手が父と関係のある人物だったから、父は容疑者にされたのか。メアリーはそう考え、納得した。
「できすぎている」
エンハンスがぽつりと呟いた。いったいどう意味だろうかとメアリーが考えるよりも早く、ハミルトンが、
「あの倉庫だ!」と、赤煉瓦の倉庫を指さして告げる。しかし、ハミルトンに言われるまでもなく、そこが現場で有ることは二人にはすぐに知れた。倉庫街の突き当たり、川に面したその場所に、普段はまだ静かであろう時間帯に不釣り合いなほどの物々しい雰囲気が、その倉庫の周囲にだけ漂っていたからだ。
エンハンスはハミルトンに礼を言うと、ハミルトンに迷惑が掛かる可能性もあるため、ここまでで大丈夫だと伝え、倉庫に向かってゆっくりと歩き出した。メアリーも慌ててその後を追う。
「おい、ここから先は立ち入り禁止だ」
見張りのために立っていた制服の警官の一人が、エンハンスを止める。
「モイーズさんが殺されたと聞いてきました」
エンハンスは制服の警官に正直に告げると、警官は驚いた様な反応を示した。
「君、君はモイーズさんの知り合いか?」
制服警官からの問いかけに、エンハンスは、
「昨日会ったところです」
その証言は、警官達に動揺の色を生み出した。もしそれが本当なら、これは重要な証人になるのかも知れない、その様な思いがあったのだろう、制服警官二人は少し相談した後、エンハンス達にその場で待っているように告げ、一人が倉庫内へと走っていった。
しばらく待たされた後、二人の元に、先ほどの制服警官が瀟洒な出で立ちの男を伴って戻ってきた。
新しく現れた男は、エンハンスとメアリーを不審気に眺め、
「君たちかい? モイーズと昨日会ったと言うのは?」と、問いかけてきた。
「はい」
エンハンスは頷く。
「それで、我々に何か伝えたいことでも?」
男の問いかけに対し、エンハンスは厳しい視線を投げ、
「あなたは何者か、それを教えてもらわないことには、何も言うことはありませんね」と、強い口調で応えた。
「こら、貴様!」
制服警官は慌てたようにエンハンスをしかりつける。しかし、エンハンスは、
「あなた方は、警官だというのは見て分かります。その格好が身分証明書の代わりのような物ですから。しかし、彼が何者であるのか、私には分かりません。その立場を尋ねる事が、それほど失礼なことでしょうか? 彼が犯罪者で有り、私が証言したことにより危険に陥らないと、何故言えます? もちろん、警官が連れてきた人物ですから、犯罪者で無い事は当然分かっています。ただ、可能性の問題として、殺人事件に対して証言をすると言うことは、それほど危険な行為だと言うことを、捜査に携わる人間には覚えていてもらいたい」
エンハンスの流れるような言葉の連続に、警官は黙り込んでしまう。そして、男は、その様子を楽しそうに眺めていたが、
「いや、全くその通りだ。これは、失礼した」
そう言って、エンハンスに気取った仕草で頭を下げる。
「私は、ホワイト、探偵だ」
そう言って胸に付けられた徽章を示す。それは男性の横顔のシルエットだった。
「S級?」
メアリーは思わず驚きの声を挙げていた。P級やH級の探偵は見慣れていたメアリーも、S級の探偵を見るのは生まれて初めてのことだったからだ。このリンドンの町に、S級の探偵は三人しかいないと彼女は以前、父から聞いていた。その内の一人が突然目の前に現れたのだ。その驚きも無理の無い事かもしれない。メアリーのどこか怯えたようなその態度に、エンハンスは、
「私が対応しますから」と、彼女の肩を叩き、ささやいた。
「ホワイトさん、ですか。私は、昨日、ササックスから出てきたホーネストと言います。こちらはミスメアリー。早速ですけど、殺されたモイーズさんの姿を、私に見せていただいても構いませんか?」
エンハンスはメアリーに告げた言葉通りにホワイトと話し出す。
「その前に、君たちが私にどのような情報をもたらしてくれるのか、それを教えてもらいたいですね」
「それを伝えるのは簡単です。ただ、殺された男性が本当に私の知っているモイーズさんかどうか、そこを確認しないことには、意味の無いことになってしまいます」
そう言って、挑むような視線をホワイトに向ける。ホワイトもそれを正面から受け止めると、しばしの沈黙が二人の間を流れた。
「分かった、付いて来なさい」
ホワイトはそう言うと、身を翻し、今出て来た倉庫へと向かって歩き出す。
エンハンスはその後を、ためらうことも無く付いていく。メアリーはさすがに一瞬の逡巡を見せたが、勇気を振り絞り、急ぎ足でエンハンスを追いかけた。
メアリーは倉庫の目の前で二人に追いつき、ぽっかりと口を開けたその中へと、ゆっくりと足を踏み入れる。
倉庫の中は複数の刑事達で一杯だった。一般に鑑識官と呼ばれる彼らは、しきりにフラッシュを焚き、現場の写真を撮る。初めて捜査の様子を見たメアリーは、これが普段、父の働いている場所かと思うと、言いしれぬ感動に満たされた。
「こっちだ」
ホワイトはそんなメアリーの感動には気付かず、二人を倉庫の奥へと案内する。倉庫の中はがらんとしていて、そこが現在借り手のいない事を如実に現していた。床はタイル張りだったが、歩くたびにガコガコと揺れる場所が有った。そしてメアリーがタイルの紛失に気がつかず段差につまずいたため、思わず悲鳴を上げながら転びそうになるのを、エンハンスがとっさに支えると言う場面が繰り広げられたりもした。
この事からも、この倉庫はかなり老朽化しているらしいことがうかがわれる。とはいえ、さすがに商品であるためか、一応の管理はしているらしく、床に目立った塵や埃は無く、ごく最近掃除がなされたであろう事は容易に想像出来た。
ホワイトの案内で、二人は倉庫の中央辺りに敷かれたシートの前へと立つ。探偵の一応の警告に頷き、二人はシートがめくられるのを待った。
ホワイトの指示で警官の一人がシートをめくる。一部めくられたシートの下から血液らしき跡が覗く。床に流れ出た血液はすでに固まり、黒く変色している。そして、さらに大きく開かれたシートの下から姿を現したのは、間違いなく昨日、エンハンスが追い払ったあのモイーズだった。その胸にはナイフによる物なのだろう、大きな刺し傷が穿たれ、藍色の背広を朱に染めていた。
「どうだい、君達の知っている人物だったか?」
ホワイトの問いかけに、エンハンスは素直にその通りだと応える。苦悶の表情でゆがんではいるため少し分かりづらいが、その人物が昨日の探偵で有る事を、メアリーも確認した。
「間違い有りません。昨日、私と争った男です」
「争った?」
その穏やかでは無い言葉に、ホワイトは眉を寄せる。
「はい、彼がご婦人に手を挙げようとしていたので、それを諫めたのですが、そのおかげで一悶着がありました」
エンハンスはそう言って簡単に昨日の出来事を説明する。
「彼が殺されたのは、昨日の何時頃ですか?」
「そんな事を何故君に伝えなければいけない?」
ホワイトが眉をひそめて問いかける。
「何故と言っても、私のアリバイを証明しないといけないでしょう?」
エンハンスはそう言ってホワイトの言葉を詰まらせる。隣でハラハラしていたメアリーも、S級の探偵であるホワイトを手玉に取っているエンハンスの態度に頼もしい物を感じ始めていた。彼は、自分が情報を提供するふりをしながら、情報を引き出そうとしているのだ。父が逮捕されている時点で、殺されたのは昨日の男である事がほぼ確定事項であるのに、それでもわざわざ死体の確認を申し出たのも、本当は犯行現場を見るためなのだと、メアリーは今更ながらに気がついていた。
「なら聞こうか。昨夜の十時から一時の間、君はどこにいた?」
「その時間なら自分の部屋にいました。その時間、ずっと一緒にいた人物はいませんし、ここからなら、馬車でも使えば三十分程度で付く距離にいましたから、アリバイは成立しませんね」
エンハンスはそう言うと、まるで参ったとでも表現しようとするように、大げさに肩をすくめてみせる。
「そっちのお嬢さんは?」
「私も家にいました。十時頃なら、ホーネストさんと一緒にいましたが、それ以降は一人でした」
メアリーは昨夜、エンハンスと二人で月を眺めた時刻、それがだいたい十時頃だったことを思い出していた。つまり、ちょうどその時間にモイーズは殺された可能性もあるのだと思うと、彼女は思わず体を震わせた。
「昨日、彼が言っていたことなのですが、彼には仲間の探偵がいたはずです。そちらの情報は掴んでいますか?」
「君に指摘されるまでも無い、すでにその人物とは連絡が付いている」
「つまり、アンダーウッドさんの名前はその方から聞いたのですね」
エンハンスがアンダーウッドの名前を出すと、ホワイトは一つ咳払いをする。そしてやっと腑に落ちたとでも云うように首を振った。
「そうでは無いかとうすうす思っていましたが、君はアンダーウッドのお嬢さんですね?」
そう問いかけられて、メアリーは初めて自分が正式に自己紹介をしていないことに気がついた。エンハンスが、自らをササックスからやって来たと名乗った時、メアリーについてはただ、それのついでのように名前を告げただけだった。まるで、自分と一緒にササックスから来たとでも言いたげに。ここにもエンハンスの発言の真意が潜んでいたのだと気がつくと、メアリーは彼の用意周到さに舌を巻かずにはいられなかった。
「はい」
メアリーはただその様にだけ応える。
「まあ、良いでしょう。別に嘘を吐いていたというわけでも無い」
ホワイトは意外にも怒った様子も見せず、あっさりと受け入れると、
「ただ、君の父親が容疑者であることは間違いない。そこは勘違いしないように」
メアリーが、父の逮捕が不服でここに来たとでも思ったのだろう、ホワイトはそう釘を刺した。
「そこです。アンダーウッドさんが逮捕されることに対し、本当に正当性はあるのですか?」
エンハンスがさらりと問いかける。それに対し、ホワイトは少し眉をひそめたが、
「機会と動機が揃っている。それ以上に必要な物があるかね?」
そう言って、不機嫌そうにエンハンスを睨め付ける。
「機会は、昨日の夜、アンダーウッドさんがこの辺りを警邏していたから、ですか?」
「それだけじゃ無い。ここは夜にはほとんど人通りが絶えるが、それでも、ここを出入りする人間は全て管理される。昨夜、この倉庫街に入り込んだ人物はアンダーウッドと後数人だった。残りの人物も確認したが、倉庫業務で仕事があった人間だけで、モイーズと関係のある人物はいなかった」
「つまり、昨夜のこの辺りは密閉された空間だったというわけですね」
エンハンスの言葉にホワイトはそうだと頷き、
「動機に関しては明白だ。モイーズが昨日、アンダーウッドの家に乗り込んだ、それに対する報復だな」
「でも」
メアリーが何か反論しようとするのをホワイトは遮り、
「彼は曲がったことが大嫌いな性分だった。モイーズの行動がよほど腹に据えかねたのだろう」そう言って、彼女の言葉を聞こうとはしなかった。
「メアリーさん、無駄ですよ」
エンハンスはメアリーにそう言うと、
「ホワイトさん、どうやら、私があなたに提供出来る情報は無いようです。大変お手間を取らせてしまい恐縮ですが、我々はここでおいとまさせていただきます」
「無駄を積み重ねること、これこそが捜査官の本分です。お気になさらず」
ホワイトはどこか小馬鹿にしたような表情を浮かべながら、エンハンスにそんな言葉を告げた。
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