謎の青年

 メアリーは青年をお茶に招待する事にした。いつも三時にはお茶を飲むため、ある程度の準備ができていたこともあるが、それよりは、賓客をもてなすにはなによりもお茶だという習慣が彼女の心の奥に深く染みついている事が理由と言えた。

「どうぞ」

 メアリーはそんな言葉と共に、来客用のカップを青年の前に置いた。メアリーはその正面に、マーガレットはメアリーの隣にそれぞれ腰掛ける。

「先ほどは危ないところを」

 マーガレットはゆっくりと頭を下げる。

「いえ、そんな。ただ、当然のことをしただけです」

 青年はマーガレットの態度に、少し慌てたような様子を見せる。そして、

「先ほどのあなたの毅然とした態度には感心しました。あの大男を相手に全く臆する様子も無かった。本当に素晴らしいと思いましたよ」

「いえ、もう、慣れっこになってしまっているだけですよ。夫のおかげで」

 マーガレットはそう言うと微笑みを浮かべる。

「ご亭主様ですか。失礼ですが、ご主人は一体どういった方なのでしょう? いえ、もちろん差し支えなければで良いのですが、探偵の恨みを買うだなんて、なかなか有ることでは無いと思うのですが」

 青年の質問にマーガレットは笑みを浮かべ、差し支えだなんて、と言った後、

「私の夫はアンダーウッドと言って、刑事なんです」

「お父さんは、悪いことをしている人を見るとほっておけないのよ。きっと、あいつの仲間とか言う奴も権力を笠に着て非道な行いをしていたんだわ。自分たちがお父さんにやられた事の仕返しにお母さんを襲うような奴だもの。どうせ、仲間って言うのも推して知るべしよ」

「こら、メアリー、言葉遣いに気をつけなさい」

 マーガレットはメアリーが話した内容では無く、その言葉遣いを注意する。

「はーい」

 メアリーは母の小言に対し、そんな返事をしたが、どうもその言葉の調子からはあまり効果があったようには感じられなかった。

「でも、探偵なんて碌な物じゃ無いわ」

 メアリーのあけすけな言いように、青年は思わず声を挙げて笑ってしまう。

「あら、ごめんなさい。お客様の前で、こんな」

 その声を聞き、メアリーは不意に恥じ入るような様子を見せる。

「いや、大変素晴らしいご意見だと思いますよ。確かに、近頃の探偵と言えば先ほどのようなごろつきばかりになってきていますから」

 青年はそう言ってメアリーの意見に賛意を示した。

「近頃だけじゃ無いですよ。どうせ、アンロック・サーチャーだって、碌な者では無かったと私は思いますね。さっきも親友から誕生日プレゼントにともらった奇巌の王を読んでいたんですけど、危ないところを助けておいて、その恩義を感じている相手を妻にするだなんて、卑怯ですよ」

 メアリーは得意げな様子でそんな持論を展開する。

「ははは、これは手厳しい。そう来るとは思いませんでした」

 青年が本当に困っているような様子なのに気がついたメアリーは顔を赤らめ、椅子の上で小さくなる。

「確かに、そう聞くと卑怯者に感じますね。なにせ、大きな恩がある分、断りにくいでしょうから」

 青年はそう言ってメアリーの意見に一定の理解を示した後、

「それでも、それはアンロックだけで無く、彼の妻となったメアリーの事も否定しかねない、あまり誉められた行為ではありませんよ」

 急に表情を引き締め、そんな忠告をする。

「すみません」

 メアリーはそう言ってますます小さくなる。

「まあまあ、この子も悪気があるわけではありませんから。ところで」

 マーガレットがそう言って娘に助け船を出す。

「あら、私ったら、まだお名前をうかがっていませんでしたね」

 その言葉に、青年は驚きの声を挙げた後、

「こちらも失念して、失礼しました。私はエンハンス、エンハンス・ホーネストと言います」

「ホーネストさん? 変わったお名前ですね。見たところ、この辺りの方では無いようですが」

「ええ、ササックスから来ました」

 エンハンスの言葉に、マーガレットは少し考える仕草を見せ、

「まあ、それはまた遠くから。そちらでは良くあるお名前なんですか?」

「いいえ、そういう訳ではありませんが。それに、今ではそれほど遠いわけでもありませんよ。汽車を使えば二時間も掛からずにリンドンまで来れますから」

「まあ、では、汽車に乗って来られたんですか?」

 汽車という言葉を聴いて、メアリーが羨望に似た眼差しをエンハンスに向ける。

「いえ、残念ながら、馬車を使ってきました」

 エンハンスはメアリーの期待に応えられなかった事が申し訳ないと感じたのか、声を落として応える。

「でも、馬車だと結構時間が掛かるんじゃ有りませんか? 汽車を利用されなかったのには何か理由がおありなんですか」

「そうですね、馬車だと五時間といったところでしょうか。特に深い理由はないのですが、たまたま、うちで採れた蜂蜜をこちらに運ぶ用事があった行商人がいたので馬車に同乗させていただいたんですよ」

 そう言ってから、エンハンスが少し困った仕草を見せる。その様子に、マーガレットは何か感じる物があったのか、

「まあ、そうですか」そう言ったきり、その事について触れることは無かった。

「ところで、ご主人が刑事だと言うことでしたが?」

 エンハンスは唐突とも言える性急さで話題を転じる。

「はい、アンダーウッド刑事と言えばこの辺りでは有名です。良い、悪いにかかわらず」

 マーガレットはそう言うが、その表情には夫のことを誇りに思っている様子がありありと浮かんでいた。

「ああ、アンダーウッド刑事の名前は聞いたことがありますよ。決して自分の信念を曲げない人物だと言うことで」

「まあ、ササックスにまでですか?」

 エンハンスの言葉に、マーガレットが驚きの声を挙げる。

「いえ、まあ、うちは職業柄耳が速いので」

「養蜂業ってそうなのですか? 意外ですわ」

 マーガレットはそう言って笑みを浮かべる。

「それよりも、目的地はどちらなのですか?」

 それまで口を挟むことができなかったメアリーが、やっとタイミングを見つけたとでも言いたげに勢い込んでエンハンスに問いかける。

「とりあえず、目的の町には着いたのですが」

「まあ、でしたら、リンドンの町に何かご用時が?」

 マーガレットがそんな相づちを打つ。

「はい。そうだ、この辺りで宿泊施設はありませんか? しばらくこの町に滞在することにはなると思うのですが、この辺りの地理には疎い物で、どこか手頃な宿でもご紹介頂けると助かるのですが」

「それでしたら、うちに泊まっていけば良いですわ。うちは昔、学生の下宿もしていましたから。娘が生まれてからは、手が回らないかと思って断っていましたが、これだけ大きくなれば心配もいりませんし」

「ちょっと、お母さん!」

 メアリーが母の提案に驚きの声を挙げる。

「あら、メアリーは反対?」

 娘の反応が意外だったのか、マーガレットはメアリーの顔をまじまじと見つめる。

「いや、と言うことは無いけど」

 メアリーは歯切れ悪く言うとうつむき、肩をすぼめる。

「じゃあ、良いじゃ無い。ホーネストさん、どうでしょう?」

 マーガレットは娘の態度を気にした風も無く、再びエンハンスに可否を問う。エンハンスは少し悩んだ様子を見せた後、

「よろしくお願いします」と、頭を下げた。

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