探偵という階級

 激しい音を立ててハードカバーの本が閉じられる。その音の強さから、その本を読んでいた少女にはその内容に不満があるらしいことがうかがわれた。

 机の上に投げ出すように置かれたその本の表紙には、『アンロック・サーチャーと奇巌の城』という文字が書かれていた。

「何が名探偵アンロック・サーチャーよ。こんな奴がいたから」

 それまで本を読んでいた少女は、本を読む時にはいつもそうしているように、ひっつめにしていた髪をほどき、腰まで届くプラチナブロンドを背中に流すと、それまでかけていた、彼女の目の大きさに比べて極端に小さく見える眼鏡を外し、机の上に放り投げた。

 眼鏡はかすかな金属音と共に机の上を滑ると、先ほどの本にぶつかってその動きを止めた。

 今から約二〇〇年前、彼女の住む、このリンドンの町に突如現れた名探偵アンロック、彼は当時世の中に起こっていた様々な怪奇事件を解決へと導き、瞬く間に英雄へと上り詰めた人物であり、今でも彼の活躍を記した書物は、あたかも古の英雄譚ででもあるかのように、現代でも読み伝えられていた。

 アンロックの前に開かない扉は無い、彼が活躍した当時、リンドンのみならず、世界中から彼の冒険譚に賛辞の言葉が送られ、ついにはその様な格言まで生まれたほどだった。

「何が開かない扉は無いよ。この女性が死んでいたら、証拠は無かったという事じゃ無い。ただ運が良かっただけのくせに、どうしてこんな態度なのよ」

 少女は立ち上がると、机の前をうろうろと往復する。

「そもそも、彼女を保護しているなら、もっと早くに刑事に知らせなさいよ。そうすれば、犯人をすぐに捕まえることもできたし、この警部だって真相にたどり着いていたわよ」

 彼女は部屋の中を歩き回りながらまだ独り言を続ける。話している内に怒りが増幅しているのか、徐々に声が大きくなると共に、手振りまで付いていった。

「一番気にくわないのがこの言葉。何が真実を曲げることはできないよ。あなたはその前にメアリーがすでに死んでいるかのような曖昧な態度を取っているじゃ無い。わざと誤解を招くような態度を取っている人間が、何を偉そうに真実を語るというのよ」

 彼女の怒りはどこか支離滅裂で、筋が通ってはいなかったが、彼女は気がついていなかった。無意識に大きく振った手が本棚にぶつかり、彼女はイタッ! と叫び声を上げ、うずくまる。

「この女性も、この女性よ。どうして、もっと早くに名乗り出なかったのよ。そうすれば」

 少女の怒りはまだ収まらない。うずくまったまままだぶつぶつと文句を言い続ける。

「それに、どうしてこの女が私と同じ名前なのよ。よりにもよって、こんなアンロックなんていう男と結婚したこの女が!」

 少女はそう言って立ち上がった。その事から、彼女の名前がメアリーである事が推察出来た。要は、アンロックの妻になった人物が自分と同じ名前だった、メアリーはただその事が気にくわないと言うことなのだろう。

 二日前の彼女が一七回目の誕生日を迎えた日、彼女の親友であるリンダから贈られたその本に、彼女は怒り狂っていた。リンダとは親友だ、多くのことでは気が合い、お互いにわかり合い、そして、一緒にいても彼女ほど楽しい人物はいない。それでも、事探偵に関してだけは、メアリーとリンダは絶望的に意見が合わなかった。もっとも、世間的に言うならば、メアリーの方が異常なのだが。

 彼女の怒りが収まらない内に、階下で激しく扉を開く音が聞こえてきた。その音を聞き咎めたメアリーは扉を開けると、廊下に頭だけを出した。

「おい、ここはアンダーウッドの家か?」

 そんな叫び声が聞こえてくる。階下には母親がいるはずだ、声に聞き覚えの無かったメアリーは母が心配になって下へと続く階段まで移動する。

「はい、そうですが」

 メアリーの母親であるマーガレットはおっとりとした様子で応える。この様なことにはすでに慣れっこになっていたのだ。

「ふん、ここがあの悪徳刑事の家か。お前はアンダーウッドの嬶だな?」

 男の叫び声はさらに大きくなり、二階にいるメアリーですら耳をふさぎたいと思うほどだった。

「お前の旦那のせいで、俺の仲間が大怪我を負ったんだ、どうしてくれやがる?」

 メアリーはまたかと思った。父は、正義感の強い男だった。目の前で行われる悪事を見逃すことができない男なのだ。そのため、それが度を超して何度か暴力事件へと発展したことも有るが、それでも自らが正しいと考えたことは決して曲げない男だった。そのために警察の上層部からは危険人物として警戒されていることは、メアリー自身も知っていた。

「まあ、それは大変ですね。でも、主人は間違ったことをする人ではありません。何か事情があったのでしょう」

 マーガレットはおっとりとしながらも、どこか毅然とした口調で言い返す。その言葉に、メアリーもうんうんと一人で頷いてみせる。

「ふざけるな! 捜査のために家に入ることの何が悪いって言うんだ!」

 男の声がひときわ高くなる。その言葉に、メアリーは危険な物を感じた。もしかして、その様な気持ちから、彼女は階段を駆け下りる。

「俺はなあ、れっきとしたP級の探偵なんだ、その男が、どこの家に入ろうと、咎められる謂われはねえ」

 やっぱり、メアリーはそんな気持ちでうんざりとした。探偵、アンロックが作り出したこの職業は、当のアンロックの活躍により、いつしか社会的地位では、少なくとも下流貴族を上回るようになっていた。いくつかの試験を突破し、協会に認められ、晴れてその職業を名乗る事ができるようになった人物は、様々な面において便宜が図られる。その様な世界になっていたのだ。

「まあ、あなたが探偵ですか?」

 マーガレットはそれでも臆した様子も無く、変わらない態度で話を続ける。

「おめえ、疑っていやがるのか? これを見てみろよ」

 男はそう言うと、胸元に付けられた徽章をマーガレットに示す。アンロックのトレードマークの一つであるパイプ、それを象ったその印は、P級と呼ばれる探偵が身につけるマークだった。階段を下りきったメアリーはちょうどその場面を目撃する。声の大きさから想像したとおりの、小山のような大男だった。

「まあ、本当ですね」

 マーガレットはそれでも驚いた様子を見せずに対応する。あまりの態度に、探偵の男は白けたように息を吐いた。

「この落とし前、どうして付けてくれるんだ?」

 いったんは気の抜けた男は、それでも気を取り直したように声を張り上げると、マーガレットに詰め寄る。

「そうですねえ、とりあえず、帰っていただけますか? 私、夕食の準備がありますので」

「なっ」

 男はマーガレットの言葉に頭の先まで真っ赤にする。

「てめえ、女だからと思って甘く見ていたらつけあがりやがって、この、モイーズ様を舐めたらどういう目に遭うか、分からせてやる」

 モイーズは右手を振り上げると、その手をマーガレットへと振り下ろす。メアリーは母を助けるために急ぐが、部屋の中にある物が邪魔で思うように進めず、とても間に合いそうに無かった。そして、マーガレットは覚悟しているように平然としている。しかし、モイーズの手は途中で停止した。

「おい、おっさん、いい大人が情けないぜ」

 モイーズの背後から、その様な声が響く。

「あん? 誰だテメエ、よそ者は黙っていてもらおうか?」

 全力で振り下ろした腕を軽々と止められたことに動揺しながら、モイーズは振り返る。

 その間に、メアリーはマーガレットを庇える位置に移動していた。

「女性に手を挙げるだなんて、紳士的じゃ無いとは思わないのか?」

 モイーズの影になり、メアリーからは姿が見えないが、声の感じからメアリーは、その男性は自分と同年代だろうと当たりを付けた。

「うるせえ、邪魔するなら、テメエから相手になってやる。この探偵モイーズ様を舐めるなよ」

「ふん、探偵と言ってもP級だろう? ただの体力馬鹿でもなれる階級だ」

 その発言にメアリーは我が意を得たりとばかりに頷いていた。探偵にはいくつかのランクが有り、知力に秀で、鹿撃ち帽(ハンチング)の徽章を付けたH級、体力に優れ、パイプの徽章を付けたP級、そして、どちらも兼ね備えた人物、これは本当に数えるほどしか存在しないのだが、彼らはサーチャーの頭文字から取られたS級と呼ばれていた。

 そして、その上にもう一つ、世界にも数人しか存在しない階級があるという話をメアリーは聞いた事があったが、それはただの根も葉もない噂だろうと思っていた。

「もう勘弁ならねえ、泣いて謝ったってゆるさねえからな」

 謎の男性に体力馬鹿扱いをされたモイーズは顔面を紅潮させると、男に向かって突進する。男はそのまま家の外まで後退し、外に出たところで体を横に反らす。モイーズが勢い余って前につんのめっている所で足を引っかけるとモイーズを往来へと転ばせた。

「てめえ、逃げんじゃねえよ」

 モイーズは恥ずかしさと怒りから顔を真っ赤にすると、あわてて立ち上がりながらもそんな言葉を吐く。

「探偵も、落ちぶれた物だ。これではそこらのチンピラと変わらない」

 男はそう言うと、首を横に振る。メアリーはその時初めて男の姿をはっきりと視認した。栗色の髪にはしばみ色の瞳、整った顔立ち、そして、年はやはりメアリーと同じくらいのように思えた。

「吠えてやがれ」

 モイーズは再び拳を握りしめると、男へと躍りかかった。しかし、はしばみ色の瞳の青年はモイーズの拳を片手で受け止めると、そのまま横へと放り投げた。あの青年のどこにその様な力があるのだろう? メアリーは思わず目を見張る。モイーズの巨体はそれほどきれいに空中を一回転し、背中から石畳の道に叩き付けられていた。

「これが探偵か、質が落ちた物だな」

 倒れているモイーズを見下ろし、青年が吐き捨てる。

「覚えてやがれ」

 モイーズは這うように逃げながら、そんな言葉だけを残していった。さらに、青年により投げられた時にできたのだろう、紺色の背広の背中に大きな裂け目ができ、その後ろ姿はかなり滑稽だった。

「完全に三下ですね」

 青年は深いため息を吐いた後、そんな言葉を発し、それからメアリー達に視線を向けた。

「大丈夫でしたか?」

 先ほどまでモイーズに向けていた態度とは一変し、青年は慇懃とも言える態度でメアリー達に問いかける。

「はい、助かりました」

 メアリーはプラチナブランドの髪を揺らしながら、深く頭を下げる。

「それは良かった。お母様の態度があまりにも落ち着いておられたので差し出がましいかとも思ったのですが」

 青年はそう言うと、では、と右手を挙げてその場を立ち去ろうとする。

「ちょっと待ってください、何かお礼をさせてください」

 メアリーはそう言って慌てて青年を呼び止める。

「困っている女性を助けるのは男性の務めですので、お気になさらず」

 青年は足を止め、振り向くとそう言って断った。

「そうは行きません。お世話になっておいて、何もせずに返したとあっては、人の道に外れます」

 メアリーがそんな言葉で応える。

「ははは、そちらは人の道ですか。それなら、断るわけにはいきませんね。私も人の一端ですから」

 青年は人好きのする笑顔を浮かべ、メアリーの申し出を受け入れた。

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