【30】夢の終焉

 全身を震わせながらその身を起こす猫のジョーイ。

 ムキムキだった身体はみるみるうちにやせ衰え、猫の顔が人間の老人のものへと変貌していく。


 頭にはグルっと巻いた山羊の角。

 頭頂は禿げ上がり、パサパサの長い白髪が、側頭部から後頭部にかけて僅かに生えている。

 ゆっくりともたげたその顔には深いシワが刻まれて、目は飛び出ているのかと思うほどに大きく見開かれ、血走っている。

 そして全身、継ぎ接ぎだらけの血色の悪い肌。


「この、ワシのぉ……ひ、秘術を……ひよっこ、がぁ……」


 ねじ曲がった樫の長杖に、しがみつくようにして立ち上がった。

 息も絶え絶え、全身から紫の血を滴らせている。


 ただのショートソードと戻ったヘイトブレイカーを握りしめ、上下に大きく肩を揺らすアスタ。

 憎悪の元凶はすでに断った。

 アスタの役目は、ここまでだ。


「これは、誰です?」


 怪訝そうなハインツが、チラリとロンフォードを見やる。

 ロンフォードはクイッと顎を上げると、冷たい眼差しで傀儡使いを見下ろした。


「このプーリィドン村を殺した張本人の、傀儡使いさ。


 不死なる者は繰り返す。おのが欲のおもむくままに。

 不死なる者はたわむれる。おのが力を過信して。

 不死なる者は持て余す。おのが手にした時の重みを。

 そして、不死なる者はたどり着く────。

 おのが歩んだ道の果て、若き叡智の輝きに、刀折れ矢尽きるその水際みぎわへと。


 彼もその時を迎えたのだ。

 生かしておけば、なお過ちを積み重ねるだろう」


 瞳の奥に冷たい光を湛えたその表情が、アスタにはどこかいつもと違って見えた。

 まるで傀儡使いの姿に、意気消沈しているような……。


 静寂が訪れる中、肩を抑えたシャーリス巡査が、傀儡使いの前に仁王立ちした。


「ハンナちゃんをどこへやったの? 答えなさい」


 荒い息を吐き出しながら、強い口調で言い放つ。

 傀儡使いは、さも忌々しいといった形相で顔を歪めた。


「フンッ……所詮は田舎娘……恩義知らずの無礼者よ……とうの昔に気が触れて、死んでおるわ」


 瞬間、傀儡使いが「キェーーーッ!」と奇声を上げて、杖を振りかざす!

 ギリッと奥歯を噛み締め、シャーリス巡査がサーベルを薙いだ。


「────セイクリッドリッパー!!」


 キランと光が瞬いて、跳ね飛ぶ傀儡使いの首。

 見開いた目がクルリと白目を剥き、唖然とした口から吹き出すドス黒い液体。


 頭脳を失った男の身体に、ボコボコと黒い泡が浮き上がり、やがてそれはバシャリバシャリと音を立てて弾け飛んだ。

 地面に広がる黒い水溜り。

 その中に、男の生首がバシャッと舞い落ちた────。


「フフッ、マルマルには良い手土産になったようだね」


 バサリとマントを翻すと、ロンフォードは広場の隅に固まっていた馬の方へと足を向けた。


「ロンさん、緊急短信ありがとうございます。ご提供いただいた情報が正確だったからこそ、僕もこうしてここに辿り着くことができました。それにあの鐘の音が無ければ、もっと時間がかかっていたでしょう」

「別にそれぐらい、構わないさ! キミの手柄としたまえよ!」


 自らの不手際を恥じ入っている様子のハインツだが、それだけでも十分有能すぎるとアスタは感心するしかない。


「あとは任せたよ、ハインツくん! 我々はお先に失礼するとしよう! 用事があるのでね」

「はい。面倒な処理は、僕の職務ですから。まずは、シャーリス巡査の手当ですね」


 ニッコリ微笑むハインツが、さっと身を翻す。

 その先には、聖騎士団とアメジスト衛兵隊が控えていた。


「待ってください、ロンさん! は、ハンナちゃんは、く、傀儡だったんですか!? わ、私には、信じられません……!!」


 傷口を抑えながら、シャーリス巡査が声を上げる。

 ハンナのことが、どうしても諦められない様子だ。


 ロンフォードは事も無げに馬にまたがると、ニヤッとした笑みを浮かべた。


「その目で確かめたまえ! もう邪魔する者は誰もいない! この村を、くまなく探し回ることだね! そうすればキミも真実を知り、納得するだろう! ……アスタくん、ボヤボヤしないでさっさと馬に乗りたまえよ」

「え、えーと……でも……」

「どの馬だって良いじゃないか! なぁーにをしてるんだね!?」


 ああ、このままではロンフォードがめちゃくちゃ不機嫌になってしまう。

 そうなると、ずっと小言を聞かされっぱなしになるだろう。

 それもいつ終わるともわからない、何日でも続くエンドレス説教だ……。


 慌ててヘイトブレイカーを鞘に収めると、アスタは手近な馬に飛び乗った。

 それを見て、すぐさまロンフォードが馬を走らせ始める。

 アスタは手綱を引くと、シャーリス巡査に向かって叫んだ。


「俺は、ロンさんの言葉を信じている! だからシャーリスさん! 希望は捨てないで!」


 自分にも言い聞かせるような言葉だ。

 きっと、ハンナはどこかにいる、傀儡のワケがない────!!


 土煙をあげて去っていくロンフォードとアスタ。


「……助けてあげられなかったなんて……ウソよ……」


 呆然として崩れ落ちるシャーリス巡査に、ハインツがそっと手を差し伸べた。


「ロンさんはああいう人です、シャーリス巡査。我々に出来ることは、良き未来を信じて、この村を捜索することだと思いますよ」


 そう言って、ニコリと微笑みかける。

 小刻みに震えるシャーリス巡査の頬に、一筋の涙が伝い落ちた。


 やや西に傾き始めた柔らかな陽光が、鬱蒼うっそうとした森を優しく包み込んでいた────。



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