【20】朝

「……くん! アスタくん!」

「んあ……」


 肩を激しく揺さぶられ、アスタは深い眠りの縁から目覚めていった。

 ボンヤリする目に、窓から差し込む陽光が痛いほどに眩しい。


「起きて、アスタくん! 大変なの!!」


 徐々に、切羽詰まった様子のシャーリス巡査の顔がはっきりと見えてくる。


「(そういえば、ハンナの部屋で寝てたんだっけ……)」


 墓を戻し終えて部屋に戻ってみると、まだあの幽霊女がいたからだ。

 おそらくクローゼットの中には、全裸の初老男も……。

 さすがにあんな場所では、眠れそうにないし。


 ハンナはというと、何事も無くスヤスヤと眠っていた。

 よほど疲れていたのだろう。

 頬をプニプニつついても、身動ぎ一つしなかった。

 あの柔らかで温かい頬は、やはり生身の人間だ。

 教会の集団墓地の墓はきっと、別人に違いない……。


 なんてことを思い出しながら、アスタは身を起こした。

 それにしても、体中が重い。

 馬での強行軍に加え、深夜に力仕事までさせられたのだ。

 疲れが抜けきっていなくて当然だろう。


「……おはよう、シャーリスさん。もう、朝……?」

「もうブランチタイムも過ぎる頃よ! それより、これ!!!」


 バシッとばかりに、一枚の紙切れをアスタの目の前に広げてみせる。

 あの、ハンナ宛の手紙に使われていた便箋だ。

 そこには────。


「────そんなひ弱な男たちで本当に大丈夫なのか? 偉大なるダイームアグニヴィッルダエードは舌なめずりしてほくそ笑んでいるぞ。間もなくお前の友だちを頂きに参上する。うたげの時は近いと思え。

 ……って、ええええっ!?」

「ハンナちゃんの枕元に置いてあったの! 昨晩は無かったから……」


 新しい手紙が来ていた、ということに他ならない。


「い、いつの間に……?」


 シャーリス巡査を見上げると、信じられないといった様子で首をゆっくりと横に振っていた。


「それに、ハンナちゃんが……!」


 シャーリス巡査が指差す先、ハンナのベッドは掛け布団がまくれ上がり、見るからにもぬけの殻。


「これって……もしかして、ダイームアグニヴィッルダエードがハンナを……?」


 ここで一緒に寝ていたというのに……。

 敵の侵入に全く気づかなかったばかりか、すでにハンナを連れ去られてしまった……?


「そうとしか考えられない! ねえ、早くハンナちゃんを探さないと!」


 このままでは、ここまで来た意味が全くの無駄になる。

 アスタは慌てて飛び起きた。


「ロンさんは?」

「わからない。あれから姿を見ていないもの」


 シャーリス巡査が真剣な眼差しで首を横に振る。


 やばいな……。

 もしもダイームアグニヴィッルダエードとの戦闘になれば、ロンフォードのいないアスタなど、ただの木偶の坊。

 連れ去られたハンナを取り戻すためにも、なんとしてでもロンフォードと合流する必要がある。


「急いで2人を探しに行こう」


 シャーリス巡査は力強く、コクリと頷き返した。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ロンさーん!」


 ロンフォードの姿を求めて、事務室にやって来たアスタとシャーリス巡査。

 だが、事務室はしんと静まり返って、人の気配が感じられない。


「ロンさん、いますか、ロ……って、なんだ、これ!?」


 デスクの前までやってきた時、アスタはハッとして足を止めた。

 事務室に置かれたデスクの上に、あのハンナあての手紙に使われていたのと同じ便箋が、散乱しているのだ。

 横倒しになったインク瓶から真っ黒なインクが広がって、床まで滴り落ちている。

 その横には、羽ペンも……。


 そして散乱する便箋の横にはさらに、日記帳らしきものが数冊、積み上げられている。

 確か昨晩は、便箋もインクも日記帳も、そこになかったはずだ。


「これって……手紙の、便箋?」


 恐る恐る、シャーリス巡査が一枚手に取る。

 何も書かれていない、まっさらな便箋だ。


「お、おかしいな……昨日の夜、この部屋を調べた時は、引き出しの中にも無かったはずなんだけど……」

「え?……ってことは……??」

「こ、この部屋に、ダイームアグニヴィッルダエードがやってきた、ってことじゃないかな?」


 アスタの言葉に、シャーリス巡査が目を見張る。

 今朝になってハンナの枕元に置かれていた手紙といい、そうとしか考えられない!


 そしてこの散乱した便箋とこぼれたインク。

 もしかして、ここでロンフォードとダイームアグニヴィッルダエードの間に争いが起きたのでは……?


 アスタに視線を向けるシャーリス巡査も、同じ考えに行き着いた様子だ。


 と、その時────!


 バタッ、ガチャンッ!!!


 階下から、ドアを勢い良く閉めたような音が響いてきた。


「……玄関ドアの音!?」


 慌てて、窓辺に駆け寄るアスタとシャーリス巡査。

 その目に飛び込んできたのは、屋敷から飛び出した紺ローブの大男の姿だ!


「あれは……ケツアゴおじさん!」


 何か急いでいる様子だが、いったい……?

 2人が見つめる中、やにわにケツアゴおじさんがクルリと振り返る。

 その腕には……少女をお姫様抱っこで抱えている!?

 オリーブ色のポンチョと、亜麻色の髪。


「あれは、ハンナちゃん!! どこに連れて行く気なの!?」

「追いかけよう!!」


 すぐさま駆け出すアスタの胸が、妙な感じに動悸し始める。

 ダイームアグニヴィッルダエードが、ロンフォードの言う通りに傀儡くぐつ使いなら……もしかしたら、ハンナの生き血を吸い取り、傀儡くぐつにする気かもしれない……!

 そんなことはさせない! 絶対に!!


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