【11】ハンナの家
「みんな、早く早く! もう夜ごはんの時間なの!」
両開きのドアを勢い良く引き開けて、サッとばかりに姿を消す。
マルカグラードで出会った時は、借りてきた猫のように縮こまっていたのに。
まさに慣れ親しんだ我が家に戻って、一気に元気が出てきた様子だ。
「馬には休息を! 我々は、ハンナくんの招きに応じようじゃないか!」
マントを翻し、スタスタとハンナの後を追うロンフォード。
アスタとシャーリス巡査は顔を見合わせて、苦笑を交わすしか無かった。
シャーリス巡査に続いて、最後にアスタが馬を繋ぎ止めていたその時だった。
館の横手に佇む人影に気づいてハッとなる。
────ローブを纏った大男だ。
夜闇に紛れているが、その姿形ははっきりと確認できる。
フードを目深に被っているせいで、顔は全く見えないが、関所の監査官が言っていた男に違いない……!
「アスタくん、どうしたの?」
玄関のドアから半身を覗かせて、シャーリス巡査が呼びかけてくる。
「あ、えっと……」
大男の方を指差して視線を向けた時には……その姿はすでに無かった。
「……いない」
「なにが? 誰かいたの?」
シャーリス巡査には見えなかったようだ。
建物の陰を指差した手を頭に回して、ポリポリと掻くしか無い。
「紺ローブの男がいたように見えたけど……気のせいかな」
シャーリス巡査はキョロキョロと周囲に視線を走らせたが、首を傾げるしかないようだ。
「暗くなってきたし、何か見えたように思えただけかもね」
なんとなく怪しい雰囲気を感じざるを得ないが、とはいえ、ハンナとともにこの村に暮らす住人のはずだ。
アスタに危害を加える事もないだろう。
彼らだって、ダイームアグニヴィッルダエードに悩まされているのだろうし。
だが、そう考えると……。
なぜハンナだけをマルカグラードに送ったのか??
大男もハンナと一緒に、マルカグラードへ来ればいいだけなのに。
頭を捻ってみても、答えは出ない。
モリモリとカイバを食べている馬たちを残して、アスタは足早に玄関へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「お邪魔しまーす」
両開きの立派な玄関扉の隙間から、ひょいと顔を覗かせる。
瞬間、ギクッとなって身震いした。
薄らとした明かりが灯された玄関ホールには、壁一杯にビッシリと、人の背丈ほどもある大きな木の人形が並べられているのだ。
どれもこれものっぺらぼう。
腕や足は、荒く削りだされた木の棒を縄で結び止めただけの簡素な作り。
ただし、皆、服を着ている。
「これって……ハンナちゃんの着てる服そっくり。そういえばハンナちゃん、『ばあやはいつも、人形の服を作ってる』って、言ってたわよね」
「そ、そういえば……そうだね」
確かに、ハンナと同じ柄のポンチョを羽織っている人形が、ちらほらと見て取れる。
それにしたって……なんでこんなところにビッシリと並べてあるのか?
玄関ドアを後ろ手に閉めると、ほんのりと暖かい空気がアスタの身体を包み込んだ。
よく掃除が為されているようで、チリひとつ見当たらない。
そして何か……いい匂いが漂っている。
人の気配がまったく感じられない深い森、そして廃墟。
その中でこの館だけが、明らかに人の手が入っている。
ポツンとした陸の孤島。
まさにそんな感じだ。
「アスタくん、こっち」
右手奥へと続く廊下の端で、シャーリス巡査が手招きしている。
ハンナとロンフォードも、そっちに向かったのだろう。
のっぺらぼうな人形だらけの玄関ホールで立ち止まっていても、気味が悪いだけだ。
アスタは小走りで、シャーリス巡査の促す方へと駆け寄った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ばあや、クリームスープが飲みたいの!」
シャーリス巡査とともに、アスタが部屋に足を踏み入れると、ご機嫌な様子のハンナの声が響き渡った。
どうやら、食堂のようだ。
部屋の奥、上座の背後の暖炉にはチロチロと小さな火が灯されて、ホワっとして暖かい。
真ん中に、白いテーブルクロスの掛けられた長机が、ドーンと置かれている。
椅子は左右に4つずつ、奥の暖炉前の上座に1つ、合計9つだ。
テーブルの上には蓋の取られた4つのクロッシュが並べられていて、それぞれの席の前には白い取り皿とスプーンとフォークとナイフ、それにワイングラスとウォーターグラス。
上座の横には、ワインクーラーが載せられたキャスター付きキッチンワゴンも置かれている。
メニューは、大きなステーキと肉厚なハンバーグ、クリームスープと、サラダ。
かごの中には、切り分けられたパンも見て取れる。
なかなか豪勢な食事のようだ。
壁にかけられた燭台には煌々と明かりが灯り、穏やかな雰囲気で食堂を照らし出している。
そしてハンナが、一番奥の上座に腰掛けていた。
背負っていたリュックサックは足元に、無造作に投げ出してある。
ロンフォードはひとつ離れた席について、早くもワインボトルを開けているようだ。
そして、そんな二人の傍らで給仕をしている人影……。
「……に、人形だ」
ハンナがばあやと呼んだその人物は、玄関に並べられていたモノと全く同じ作りの人形だった。
背の高さは、アスタの胸元ぐらいまでだろうか。
黒のメイド服に、白のエプロン。
丸くて大きな頭の上にはモジャモジャの髪の毛が垂れ下がり、その上にカチューシャをつけている。
顔はのっぺらぼうでツルンとして、木目だけが見えている。
「ばあや、ハンバーグ!」
ハンナはまったく動じている様子もない。
おそらく、これが普段の光景なのだろう。
同じく、警戒する素振りも無く、その光景に収まっているロンフォードもロンフォードだが……。
シャーリス巡査は、戸口に立ちつくしたまま、呆然としてこの様子を眺めている。
「これって、いったいどういうことかしら? でも……美味しそう」
思わず漏らすシャーリスの言葉に賛同するかのように、アスタのお腹が「ぐうううう~~~~!」と盛大に音を立てる。
それもそのはずだ。
朝起きてからロクに何も食べずにここまでやって来たのだから。
「なぁ~にをそんなところで突っ立っているのだね? 遠慮することはない、我々はハンナくんの客人だよ?」
強烈な空腹に襲われているアスタとしても、これはありがたい。
しかものんびりくつろげそうな空間での食事だ。
まずは、腹ごしらえとしよう────。
シャーリス巡査と顔を見合わせると、互いに小さく苦笑を漏らして肩をすくめた。
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