【10】深い森の中
すでに日は暮れ、森にひっそりと夕闇が舞い降り始めた頃────。
「クルルルァ~~~フゥルルルル~~~~」
深閑としていた森に、透き通るような歌声が響き渡った。
「この歌声は……!」
ハッとして、思わず宙を見上げる。
頭上を覆い尽くす木々の枝葉の向こう、幾つもの黒い影がバサバサと羽音を立てて飛び去っていく。
歌声に、胸の奥がドキドキと高鳴り、頭の中がボォ~っとしてくる。
馬たちは動揺した様子で足をばたつかせ、「ヒヒン……」と小さく鳴き声をあげる。
そんな馬をなだめるようにして手綱を引くロンフォードも、険しい顔つきで上空を見上げていた。
その時、一際大きな影が、ザワザワと枝葉を揺らして通り過ぎていく。
まるで強風が吹き抜けていくかのようだ。
「あの声、間違いなくブラックマントとフォレストハーピーたちだわ」
「ああ、そのようだ。この目でその姿を確かめられなかったのが、大いに残念なところだね」
ニヤッと笑みを浮かべてみせる割に、ロンフォードは落ち着いている。
いつもなら、「追いかけるぞ、アスタくん!」なんて駆け出すところだが……。
今の目的はブラックマントじゃない、ということか。
「安らかなる眠りを妨げるクソうざい喚き声ニャ、って猫のジョーイはいつも怒ってるの。次に会ったが百年目、その腹かっさばいて生血を撒き散らしてやるのニャ、って今もオカンムリ」
相変わらず強気だ。
そんな猫のジョーイでも思わず尻込みするっていうダイームアグニヴィッルダエードとは、いったいどんなモンスターなのか?
この先に待ち受けるであろう苦難を思うと、溜め息しか出ない。
「さあ、先を急ごうじゃないか、アスタくん!」
ロンフォードに促され、馬の手綱を引くアスタ。
「こっちだっけ?」
「うん」
ハンナの指差す方へと、馬を進めていく。
ブラックマントと思しき一団が引き返してこない内に、そぉ~っと、そぉ~っと……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あ……」
どれほど森の中を進んだだろうか?
夜の空気が肌寒く感じられ始めた時だった。
「もしかして、家?」
月明かりが差し込む少し開けた場所に出たかと思うと、蔦に覆われた人家がひっそりと佇んでいるのが目に映る。
「プーリィドン村なの! ちゃんと帰ってきたの!」
明るく言い放つハンナだが、およそ人の気配など感じられない。
アスタの目には、深い森に覆われた廃墟のようにしか映らなかった。
「帰ってきたよ~! バート~~~ン!」
元気よく声を上げ、馬から飛び降りたハンナは、そのまま勢いよく森の奥へと駆け込んでいく。
どうやら、大事な友だちのバートンの事が、心配で心配でたまらない様子だ。
「は、ハンナ!」
慌てて追いかけるアスタ。
木々の生い茂る間を抜けると、さらに大きく開けた場所へと出た。
崩れかけた噴水をぐるりと取り囲むようにして廃墟が立ち並んでいる。
右手には教会らしき建物も見えている。
その他の建物は商店だろうか?
そして廃屋が左右に並ぶ、通りの少し奥まったその先へと、ハンナは真っ直ぐに駆け込んでいく。
どこからか聞こえてくる、「ブヒィン!」という鳴き声。
「ただいま、バートン! 寂しかった?」
どうやら、感動のご対面を果たしたようだ。
ハンナの安心しきった声に混じって、ロバがブルブルと鼻を鳴らす音が聴こえてくる。
「ふわーっはっはっはっ、すべてがハンナくんの言う通り! まさしくここがプーリィドン村に違いない! 我々は見つけたじゃないか、ねえアスタくん!」
ゆっくりと歩を進める一団の前に、立派な建物が姿を現した。
蔦にびっしりと覆われているが、2階建ての頑丈そうな屋敷だ。
屋根まで崩れた廃墟ばかりの中で、その屋敷の佇まいは異様な光景に映る。
まるでそこだけ、時が止まったかのような……。
だが、窓からは微かな明かりが漏れている。
誰か、屋敷の中にいるのだ。
屋敷の横手には、ランタンが吊り下げられた馬寄がある。
そこに繋がれた1頭のロバの首筋に、ハンナがキュッと抱きついていた。
ロバも嬉しそうにカツカツと前足を踏み鳴らし、「ブルン」と鼻息を鳴らしている。
「ここが、ハンナの家?」
「うん!」
「1人で暮らしてるのかしら?」
「ううん。みんな、いるよ。ばあやはきっと、もう起きてるの。他のみんなは、もう少しだけ寝てると思うの」
「ほほう、それは面白い!!! 是非、村の人たちに会いたいものだね!」
マントを翻し、ロンフォードが颯爽と馬から飛び降りる。
そして迷うことなく、馬寄に馬を繋ぎ止めた。
そこには、いっぱいに干し草がつめ込まれた餌桶が4つ、吊り下げられている。
まるで、アスタたちがやってくる事を予期していたかのようだ。
馬寄に繋ぎ止めた馬は疑う様子もなく、モサモサと餌桶の干し草を食み始める。
アスタとシャーリス巡査の馬も首を上下に振って、「自分も自分も」と言いたげな様子だ。
昼前からここまで、大した休憩も取らずにずっと飛ばしてきたのだ。
腹が減っていて当然だし、相当に疲れているのだろう。
「また明日、遊ぼーね」
ハンナはバートンの額にチュッとキスをすると、トコトコと玄関へと駆け寄っていった。
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