【08】街道の噂

「眠っているその子を、街道馬車に乗せて欲しいって頼まれやしてね。ですが、こんな騒ぎの最中でやしょ? しかも夜中に来たもんで、怪しいことこの上ないって話ですよ」

「なるほど! 相当な金額を受け取った、というわけかね?」


 ニヤリとして言い放つロンフォードに、監査官が妙にドギマギした表情をしてみせる。

 どうやら、図星らしい。


 本来、関所とは、不審人物をその場に押し留める役割があるわけだが。

 実は金次第でどうにでもなるという状況だということがマルカグラード市庁舎に伝われば、この監査官の生活に大きな影響を及ぼすに違いない。


「まあそのことはこの際、どうでもいいのだよ! 我々は公僕ではないからね! それより、職務意識に従順たるそこのキミ。その紺ローブの大男は、どうしろと言ったのだね?」

「……やっこさん、『北の一番大きい街』とか言いやがるんで、『そりゃおめえ、マルカグラードしかねえっぺよ? いいのか?』って聞いたら、『そうだ』とか答えるんで。御者にも、終点までよろしくつって乗せてやったんでさ」

「馬車のおじさんが、とても優しくしてくれたの」


 猫のジョーイの指示で、御者にはダイームアグニヴィッルダエードのことは、話さなかったらしい。

 それでも、道中の食事の面倒も見てくれたとかで。

 よほどに、礼金を弾んだものと思われる。


「ふむ! 仔細はともかく、ハンナくんがここで街道馬車に乗り、マルカグラードまでやって来たというのは事実というわけだ! しかもこの関所には、紺ローブをまとった男と一緒に来たと!」

「その男の人って誰なのかしら?」


 シャーリス巡査がハンナの顔を覗き込むようにして問いかける。

 ハンナは「うーん」という顔をして首を傾げた。


「ケツアゴおじさん、のことかも」


 ……なんてネーミングだ。

 およそ、ハンナが思いつく呼び名では無さそうだが……。

 他の誰かからそう呼ばれているのかもしれない。


 関所の監査官が言うには、ローブのフードを目深に被っていたとかで、はっきりとは顔を見ていないらしい。

 ただ、確かにケツアゴは見えたという。


 となると、ハンナの言う”ケツアゴおじさん”だったのだろう。

 そしてきっと、プーリィドン村の住人に違いない。


「で、キミはプーリィドン村を知っているかね?」

「は? プリン丼村?」


 耳に手を当て聞き返してくる監査官。

 そういう聞き間違いはあるかもしれないが、しかし……プリン丼って……。

 糖尿病不可避だろう……。


「この小さきハンナくんは、プーリィドン村からやってきたとおっしゃっているのだよ!」

「……聞いたことねぇ村でやすねぇ……」


 顎をゴシゴシとさすりながら、監査官が小さく首を振る。

 この街道を行った先のどこかにあるはずだが……ここの監査官ですら、知らないなんて……。


「あっしは、この辺りのモンだとは思いませんがねぇ。こんな騒ぎの最中だし、この先の街道の噂を知ってりゃ、わざわざあんな時間に来たりしねーですよ」

「────噂?」


 なんでも、この第十二州の州境まで続く街道は、以前から旅人が行方を眩ませやすいのだそうだ。

 第十二州との州境の関所でも、夜中の通行に関しては引き止める、もしくは南西に迂回して中央街道を行くルートを取るように指示するよう、通達が為されているという。


「こいつぁ、昔っからある噂でさぁ……」


 不意に、監査官が声を押し殺し、ボソボソと語り始める。


「この東南東に向かう街道はさぁ……両側を深い森に囲まれてやしてね……ただでさえ、街道を逸れて迷い込んじまいそうなぐらい鬱蒼とした暗ぁい道なんでさぁ……。

 そこに……血を吸う魔物が……出る、って噂なんすよ……」


 目を細め、薄ら寒い表情になる監査官。

 そして喉の奥から「ヒッヒッヒッ……」と、気味の悪い忍び笑いを漏らしてみせた。

 思わずブルっと身を震わせるアスタの手を、ハンナがキュッとばかりに握りしめてくる。


「そんで……夜中の街道を行くヤツを魅了して、おびき寄せるんだ、って……。実際に、血を吸われたミイラみてえな遺体が見つかったりしてるんでやすよ。昔っからね」

「ミイラ化した遺体? それってやっぱり、ブラックマントの仕業じゃ……?」

「ええ、今回の騒動であっしゃ、ああやっぱりな、と思い当たるわけでさあ。ヤツぁ夜行性っちゅう話だし、フォレストハーピーの歌声にゃ、男を魅了する魔力が秘められてるって話だし……。だから、違いねぇですよ」


 自信あり気な顔をしてみせる監査員だが、ロンフォードは「くだらない」と言わんばかりに肩をすくめた。

 だがアスタとしても、話を聞く限り、何もかもがブラックマントに符合しているようにしか思えない。

 ロンフォードには、それを否定するに足る根拠があるのだろうか?


「それに、へへへっ……あっしは見たこともねぇですがね、ここへ来る旅のヤツらから聞いた話では……乳房の大きな裸の女が誘ってくるって、話ですぜ」


 そう言って、シャーリス巡査の大きな胸にチラチラと視線を送りながら、ニンマリとイヤらしい笑みを浮かべる監査官。

 鼻の穴をぷっくりと膨らませ、1人で高揚している様子だ。


「夜闇に包まれた森の中、ぼ~んやりした光がフワッと現れ……声が……声が、聞こえてくるって話でさぁ……。


 『こっちを向いて……わたしを見て……』ってさぁ……。


 腰までかかる長~い金髪に、半透明の腰布一枚……真っ白で大きな乳房に、艶めかしく光る厚ぼったい唇……。


 『……夜花のあま~い蜜なら、ねえ、ここよ……

  もう……チュクチュクチュクって、溢れ出ちゃってるのぉ……』


 ってこう、ドスケベそうな顔で身をよじるって話でさぁ」


 監査官が、腰を浮かせて小太りな身体をクネクネとよじりながら、親指をくわえこみ、胸から股間に指を這わせてうっとりした表情をしてみせる。

 ……もしかして、あれでセクシーな仕草のつもりだろうか?


「いったい何のつもりなのニャ、このクソ芋虫は? 地獄の湯で釜に放り込んでやりたい気分でいっぱいなのニャ、って猫のジョーイも舌打ちするの」


 ハンナの辛口コメントに、思わず片眉を上げて固まる監査官。

 コソコソとアスタの後ろに身を隠すハンナに、シャーリス巡査も苦笑交じりに肩をすくめるしかない様子だ。


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