【03】謎だらけ

「ハンナ=ミゲルニクスに、プーリィドン村……それから、ダイームアグニヴィッルダエード、よね?」

「うん」

「うーん……どうしてかしらね……」


 コンパネの前に座るマルカグラード自警団の女性が、腕組みとともに大きな溜め息を漏らして首を傾げた。

 宙に浮かんだ大きな透明スクリーンには、先程から『検索結果 0件』の文字が表示されるばかり。


「見つからないんです?」


 アスタの問いかけに、自警団の女性は小さく肩をすくめるしかないようだ。


 ────ここはマルカグラード市庁舎にあるマルカグラード自警団の、モンスター悩み相談受け付けスペース。


 パーティションで仕切られたスペースには、コンパネとデスクチェア、それに依頼者用の2人掛けソファとローテーブルが置かれている。

 今はアスタとハンナの2人、ソファに腰掛けて、出された紅茶とショートケーキを頬張りながら、自警団女性の背中を見守っているところだ。


 モンスターに関する悩み相談なら、マルカグラードの住民はもちろんのこと州内外の町や村の住民でも、受け付けてもらえるのだ。

 それがマルカグラード自警団。

 場合によっては、自警団が出動するまでもなく、マルカグラード聖騎士養成アカデミーの本科生たち向け『外部依頼クエスト』に登録してもらえることもある。


 そうなってくれれば、アスタとしては一件落着、あとは自警団にお任せなわけだが……。

 だが、どうも雲行きが怪しい。


 自警団受付口の受付係に、口頭で簡単に事情を説明した時もそうだった。


「『……プーリィドン村? ダイームアグニヴィッルダエード?? 聞いたこと無いねぇ……。ワシゃ、かれこれ60年生きとるがね、そんな名前の村もモンスターも、聞いたことも見たことも無いねぇ。お嬢ちゃんの作り話とか、そんなんじゃないのかね?』」


 ハンナぐらいの年頃の子にはよくあることだ、ってな勢い。

 深い皺の刻まれたその表情は、「イタズラならお断り」と言わんばかりだった。


 しかし、作り話にしても、朝からあんな場所で暴漢たちを挑発するような真似をするだろうか……?


 アスタからすれば、そんな疑問が湧き上がってくる。

 ハンナもムスッとした表情で口を閉ざしてしまうし、「なんとか調べるだけでもお願いします」とヘコヘコと何度も頭を下げて、ようやくにここに通された、というわけだ。


「う~~~~ん、ん……んんん~~……」


 デスクチェアの端から転げ落ちそうなぐらい、腕組みをしたまま大きく首を傾げる自警団女性。

 名前は、シャーリス=バスティノワと言った。

 巡査だそうだ。


 歳は20代前半だろうか?

 焦げ茶色の髪の毛と鳶色の瞳からして、アッグルだろう。

 丁寧に櫛でとかれた髪は、後ろで綺麗に丸く束ね上げられ、滑らかな項を覗かせている。

 白いワイシャツにマルカーキスレッドのタイトスカートという出で立ちだ。

 たぶん、マルカグラード自警団の制服だと思われる。


 そして、たわわに盛り上がった胸が、一際目につく。

 第二ボタンまで外して大きくはだけた胸元からは、深い谷間がはっきりと見て取れる。

 白く突き出た太ももと言い、少々目のやり場に困る、というのがアスタの本音だ。


 そんなシャーリス巡査の事を、ハンナはすぐに気に入った様子だ。

 差し出された白くて細い指の手に、嬉しそうに握手を返していた。

 その時には、これで事態は好転すると思えたが……。


「あのね、少なくともこの第一州マルカーキス伯領内に、プーリィドン村なんて存在しないみたいなの。ここ10年間の州外交易記録を調べても、そんな村は出てこないし。実際、あたしも聞いたこと無い村だし……」


 出来たばかりの全く新しい村だとか、もしくはこのアグリア大陸外の村だとかいう可能性は……?

 ……ああ、もしかして!

 未来から来た可能性は!? もしくは過去とか!


「村はひとまず置いといて、じゃあ、ダイームアグニヴィッルダエードってモンスターは? って調べてみても、モンスターデータベース上に記録が無いのよね~……」


 アスタだけでなく他の誰も知らない。

 しかも、データベースにすら乗っていない村とモンスターだなんて……。


 そんなことってあるのだろうか?

 それともやっぱり、ハンナの作り話、なのか……?


 難しい顔をしながら、クルリとデスクチェアを回転させてハンナとアスタに向き直るシャーリス巡査。


「それにね……ハンナ=ミゲルニクスっていう住人情報が登録されていないのよ。ハンナってお名前はよくあるんだけど……」


 困ったように眉を潜めて、ハンナに視線を送る。

 おう、まさかハンナ自体が架空の人物……。

 なわけないよな、目の前にいるし。


「実は苗字が違うってことは? ミゲルニコワとか、シゲルニクスとか、ミゲルバッハとか……」


 すでに様々な可能性を試してみている。

 だが、口元に生クリームをつけたハンナは、とても心外だと言わんばかりの表情で、ブンブンと首を横に振った。


「ハンナ=ミゲルニクスだもん」


 足元に置いたリュックサックのショルダーベルトにも、「ハンナ=ミゲルニクス」の刺繍が見て取れる。

 仮に、この少女がハンナ=ミゲルニクスでは無かったとしても、少なくともそうした住民がヒットしてもおかしくはないはずだ。


「うーん、困ったなぁ……どうしようかしら? せめて、場所とモンスターだけでも特定できないと……さすがにこれじゃあ、自警団の出動を要請するのもとても無理だし、マルカデミーの外部依頼クエストにさえ登録できないわ」


 八方塞がり、苦笑するしかないといった様子だ。

 プーリィドン村やダイームアグニヴィッルダエードというモンスターはおろか、依頼人すら身元不詳の謎の人物……。

 ハンナの身元がわかれば、その家族や周辺の人々に事情を確認することも出来るだろう。

 だが、それすらもできないという状況だ。


 確かにこれでは、自警団としても手の打ちようが無い。


「だって、ホントだもん……ホントに、プーリィドン村だし、ダイームアグニヴィッルダエードはいるもん」


 ムウとむくれてみせるハンナ。

 まあ、大人の事情なんて、ハンナにとってはどうでもいいことだろう。


「えーと……そういえば確か、ハンナは街道馬車に乗ってマルカグラードに来た、って言ってたよね?」

「うん」

「街道馬車? どこから乗ったのかしら」


 シャーリス巡査が身を乗り出して質問を投げかける。

 大きな胸がムギュッと押し潰されて、Yシャツの間からはみ出さんばかりだ。

 思わず、アスタはピッと背筋を伸ばして視線を逸らせてしまう。


「……わかんない」

「わからない……?」

「だって、朝、目が覚めたら、馬車の中にいたんだもん」

「あら、そうなの……。お父さんかお母さんに乗せてもらったのかな?」


 シャーリス巡査の問いかけに、ハンナはフルフルと大きく首を横に振った。


「ママもパパもいないもん……」

「あら……」


 ビックリした表情で、思わず口元を抑えるシャーリス巡査。

 アスタも「えっ」とばかりにハンナの顔を見つめるしか無い。


「……ごめんなさいね。先にそういうことから聞くべきだったかしら……」


 家族もいないとなると、完全に身元不詳。

 まったく、謎だらけすぎる。


 本当にハンナは、生身の人間なのだろうか……?

 そんな不思議な思いさえ、湧き上がってくるようだ。



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