【02】猫のジョーイ

「くっそ、あのヤロウ! どこへ行きやがったぁっ!!」

「ぶっ殺してやる、出てこいやぁ!! ウヘヒィェッ!!」


 旧市街から中央広場に向けて、ズラッと出店が軒を連ねる、西の市場通り。

 朝の買い出しに繰り出す人々の目を気にすること無く、暴漢たちが大声を上げている。


「(そろそろ、ヘイトルアーの効果が切れる頃だけど……)」


 アスタが身を潜ませているのは建物と建物の間、ゴミ箱の裏だ。

 暗がりからこっそりと、暴漢たちの様子を伺っている。


「おい、ジジイ! 首輪のガキはどこへ行きやがった!」


 手当たり次第に、周囲の店の人に食って掛かり始める。

 怒声とともに、店先に停めてある山盛りのじゃがいもを乗せた台車を蹴りつけた。


 ドガシャンッ! ゴロゴロゴロッ……。


 人々の驚きの声と、絶句する八百屋のオヤジの顔。


「(あちゃあ……)」


 アスタも思わず、頭を抱えるしか無い。

 まーたトラブルを撒き散らしてしまった。

 しかもここらの店には、ツケが貯まりまくってる。

 暴漢の目を眩ませてここに逃げ込んだ姿も見られてるだろうし、これはまずいことになったと思わざるを得ない。

 ツケを払い終わるまで当分、利用できないだろう……。


 なんて情けない溜め息をついた時だった。


 暴漢たちの頭上で微かに渦巻いていた憎悪の黒い靄が、フイッとばかりに掻き消えた。

 ようやく、ヘイトルアーの効果が切れてくれたらしい。


「チッ!!……飲み直しだ! 行くぞ、ヤロウども!」

「おう!」


 ヘイトルアーは効果が切れれば、渦巻いていた憎悪も霧散する。

 暴漢たちは、周囲が呆気にとられるぐらいあっさりと怒りを収めると、さっさとその場から立ち去っていった。


 アスタもホッと、胸を撫で下ろす。


「(ふう、やれやれ……俺も早く、ここから退散しよっと……)」


 ゴミ箱の裏で、クルリと向きを変えたその時!


「……へ!?」


 目の前に屈みこんでいる人影に、思わずドキリとして身を硬くするしか無い。


「じー……」


 なぜ、声に出して言うのか?

 それはともかく、あの、酒場で暴漢たちに絡まれていた少女だ。

 ……いや、自ら絡んでいたというべきか?

 まあ、それも置いといて。


 少女は屈みこんだまま、アスタに真剣な眼差しを向けている。


「え、えーと……よく、ここが分かったね」


 アスタが愛想笑いを浮かべると、少女は背中からリュックをおろし、もぞもぞと中を弄ってぬいぐるみを引っ張り出した。


 薄汚れた、黒地に白のハチワレ模様。

 ニッと口角を上げたその口端から、鋭い犬歯が2本覗いている。

 半開きの紫の瞳は、斜め左下を見つめているようだ。

 やたら細くて長い両手と両足と先の白い尻尾が、ダラーンとしてぶら下がっている。


「猫のジョーイはすべてお見通しなの……。あの勇敢なお兄ちゃんなら、こっちに隠れてるニャって、ハンナに優しく教えてくれたの」

「キミの名前は、ハンナって言うの?」


 問いかけに、少女はコクリと頷いた。


「で、その猫のぬいぐるみが、ジョーイだね?」


 少女は再びコクリと頷くと、そっと猫のぬいぐるみを抱きしめた。


「猫のジョーイはとても偉い人。困っているハンナにいつも正しいアドバイスをくれるの」


 あれは……正しいアドバイスだっただろうか……???

 ていうか、その猫のぬいぐるみ、しゃべるわけ??

 アスタはもう、何が何だかわけがわからない気持ちでいっぱいだ。

 だが確かに、ここがわかったという意味では、猫のジョーイはきっと有能なのだろう。


「でもね……」


 目を伏せがちにして、どこか沈んだ様子で言葉を紡ぎ出す。


「そんな猫のジョーイでも、ダイームアグニヴィッルダエードと戦う力はないんだって……だからハンナは、強くて頼もしい愚かな勇者さんを探してるの……」


 そっとアスタを見上げるその大きな瞳から、スルリと一筋の涙がこぼれ落ちる。


「あのね────ハンナを、助けてほしいの」


 ついさっき、暴漢たちから助けてあげたばかりなのに……。

 そんなことを思いつつも、少女の涙に、アスタの胸がズキズキと痛む。

 こんな時に泣くなんて、女の子ってホントに卑怯だ────。


 アスタを見上げる少女の瞳に、期待と不安が入り混じっている。


「プーリィドン村のダイームアグニヴィッルダエードっていう、とても怖いモンスター。早くしないと、ハンナのお友達が食べられちゃうの……」


 聞いたことも無い村だし、なんだか舌を噛みそうな長ったらしい名前のモンスターだ。

 それにそもそもアスタは、1人では最下級のFランクモンスターすら討伐できないほどのへっぽこ剣士。

 初めて遭遇する、しかも強いらしいモンスターなんて、とてもとても……。


 だが、なんとかしてあげたいという気持ちが心の奥から沸々と湧き上がってくる。

 いつもいつもそうやって、トラブルの深みにハマっていくのだ。


 まあ今回も、自ら進んでその泥沼に片足を突っ込んだわけだが……。


 アスタはガックリと肩を落とすと、「はああっ……」と大きな溜め息をつくしかなかった────。



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