死せる村の暴言少女

みきもり拾二

【01】暴言少女

「その大袈裟なイレズミはこけ脅し、本当はダイームアグニヴィッルダエードが怖くて仕方ないのニャと、猫のジョーイはせせら笑ってるの」

「あんだとコラァっ!!!!」


 ガタン、ドガガン! バリーン、ガシャーン!!


 人気のない裏路地に響き渡った派手な破壊音に、アスタはビクッとして足を止めるしかなかった。

 腰に下げた霊鉱石ラムセス製のショートソードがパタリと太腿を打ち、革靴がジャリッと土道を踏み鳴らす。


 今まさに、通り過ぎようとしていた横手の酒場の中からだ。

 おそらく、テーブルを荒々しくひっくり返し、ビールジョッキを床にぶちまけたに違いない。

 こんな午前も早い時間帯から、酒を煽っている連中だ。

 まず間違いなく、旅の日雇い用心棒だとかいかがわしい店のボディーガードだとかの、荒れくれ者やならず者に決まってる。


「おいクソガキ……ションベンくせえツラ下げてデカイ口利いてんじゃねえぞ……」

「その横暴な態度は目の前の少女がか弱いからで、本当は毛虫さえ殺せない空威張りなのニャと、猫のジョーイは尻尾をフリフリ、ベロベロバーをして喜んでるの」


 どこか怯えた様子の、幼い少女の声だ。

 その割に、なんだか喧嘩を売っているようにしか聞こえないが……?

 トラブルの気配に、首に巻かれた幅広の白い首輪を指先でグイッと押し下げ、ゴクリと生唾を飲み込むしかない。


 そっと足音を忍ばせて、ゴミ溜めのような土道を、酒場の窓辺へと近寄ってみる。


 ────ここは、エイムレルビス連邦王国第一州マルカーキス伯領州都マルカグラードの旧市街。


 マルカーキス湖を行き交う交易船の波止場に隣接した、古くからの町並みだ。

 聖騎士団のお膝元とはいえ、そんな旧市街のしかも裏路地ともなると、お世辞にも治安が良いとは言えない。

 各地から集ったガラの悪いヤカラの溜まり場に、麻薬の煙場や売春宿、密輸品・盗品の換金場だってある。

 市庁舎通りの高級住宅街の住人や貴族出身のマルカデミー本科生ならば、何か特別な用事があったとしても近づかないような一角なのだ。


 ただ、アスタの寝泊まりする宿から中央公園まで出るには、近道な上に人通りも少なくて利便性が良い。

 目つきの悪い素性の知れない男たちに睨まれたり、ラリったヒゲおやじが素っ裸で道端で寝転がっていたり、意味不明な喚き声を上げながらフラつく女がいたり、残飯を漁りに来たガリガリに痩せ細った野良犬に吠えかかられたりもするが……。

 それももう、随分慣れっこになってしまったアスタが1人で走り抜けるには、大した問題にはならない。

 ……はずだった、いつもなら。


「そのイレズミのドラゴンは、ニセモノなの? 臆病風に吹かれてカナヘビになっちゃうんじゃない? って猫のジョーイはあくび混じりで余裕綽々よゆうしゃくしゃく……」


 再び耳に届く、少女の声。

 めちゃくちゃ怯えている癖に、なんだってそんな挑発的な事を言うんだ……。


 出来れば、朝からトラブルに巻き込まれるのはゴメンだ。

 とはいえ、聞こえてきた少女の声に、気を惹かれずにはいられない。

 トラブルの気配に自から首を突っ込んでしまうところは、アスタ自身、昔からの悪い癖だってのは理解しているつもりだ。


 小さく溜め息を漏らしつつ、窓から酒場の中をそっと覗き見る。


 3人の暴漢に囲まれている少女の姿。

 薄暗いカウンターの奥では、目付きの悪いちょび髭のオヤジが舌打ちをしながら事の次第を見守っているようだ。


 それにしても……まだ幼女というべきか?

 顔つきからして、6、7歳といった様子だが……。

 背丈はアスタの腰ぐらいまでしかない。

 肩先まで伸びた亜麻色の髪、あまり日焼けしてい無さそうな白い肌。

 おそらく、アッグルだろう。

 何やら紋様が描かれたオリーブ色のポンチョを羽織り、焦げ茶色のワンピースに薄汚れた木靴という地味な出で立ちだ。

 このあたりではあまり見慣れぬ服装だが、どこかの民族衣装だろうか?

 まるで人の街に迷い込んだ妖精か小人のようにも見える。


 そして背中に背負った、萌黄色した小さめのリュックサック。

 そのリュックサックの口からは……猫の耳だろうか?

 黒い頭に大きな耳が覗いている。

 ピクリともしないところを見ると、ぬいぐるみかもしれない。


 見るからにマルカグラードの住人ではなく、定期船か街道馬車に乗ってどこからかやって来た感じだが……。

 長旅をするにしては、軽装にも見える。


「……おじさんたちがダイームアグニヴィッルダエードを倒してくれるなら、ちゃんとお礼はするの……」

「ヒッヒッヒッ、俺らオトナをからかうっちゃ、おイタしといて今さらナニ言ってやがんよ。お仕置きしてやんのが立派な社会人のツトメってヤツよぉ~、ヒッヘッフッホォッ」


 目つきの悪い細身の男が、折りたたみナイフをペロペロと舐め回している。

 怪しく血走るその目の下には、ドス黒いクマ。

 まず間違いなく、ヤク中だ。


「俺らのキッチョーな酒盛りの邪魔してくれんだ、身ぐるみ全部ひっぺがしてやんぞコラァ!!」


 真ん中のハゲ頭の男が、さっきの怒鳴り声の主らしい。

 丸太のような太い腕に、肌の色さえわからないほどビッシリと彫り込まれた刺青イレズミ

 かぼちゃよりも大きな拳をバキボキと鳴らし、顔に深いシワを刻んで少女を睨みつけている。


「お嬢ちゃん、ワイの好みぃ~ワイの好みぃっひっひぃ~。こいつぁきっとほぉぉぉ~、上玉になるんぜぇ~、ケキッケキッケキッ。ワイと遊ぼ~ワイと遊ぼぉ~、ちゅっぱちゅちゅちゅっつって、ワイと遊ぼぉ~っへふっへふっへふっ」


 でっぷりと腹の突き出た太っちょ男がしきりと骨をチュパチュパとしゃぶりながら、少女を舐め回すように眺めている。

 肩まで伸びるゆる~くウェーブのかかったパサパサの髪の毛に、まとわり付く大きな白いフケ。

 ああ、絶対に変態紳士だ、間違いない。


「ヤク中の鳥頭は、ナイフを持つ手が震えてるニャ。きっと、死んだ魚も捌けないのニャ、って猫のジョーイは自信満々。賞味期限切れの鶏肉を貪るキモピザニートは、商売女ですらもう8年もご無沙汰ニャ。貢ぐだけ貢いでも、しゃぶれるのは鶏ガラだけなのニャ、って猫のジョーイは手を叩いて笑ってる。こんな男たちなら、ダイームアグニヴィッルダエードもあくび混じりで返り討ちだから、雇うまでも無さそうだしさっさとトンズラするのニャ、って猫のジョーイも海より深く反省してるの」


 ……それは反省の弁、なのか……?

 困ったように後退りながらも、わざと挑発しているようにしか見えないが……。

 まさか、すでにどこかに罠を張り巡らせてあって、そこに引きこもうなんて高度な情報戦だったり?

 ……いや、とてもそんな雰囲気は……無い。


 やっぱりこれって、何かのトラブルの幕開けだろう────。

 アスタは首を振りながら頭を抱えざるを得ない。


「逃げれるもんならァ……逃げてみやがれってのォッ!!!」


 ギリッと歯噛みして、こめかみに青筋を浮き上がらせたイレズミ男が、丸太のように太い腕を振り上げる。

 ダンッと足を踏み鳴らして、少女に一歩踏み込んだ!


 ハッとするアスタは咄嗟に、腰にぶら下げた霊鉱石ラムセス製のショートソードを抜き放っていた。

 こうなったらもう、勢い任せだ。

 酒場の戸口にサッと立ち、手にしたショートソードを天に向って突き上げた。


「────ヘイトルアー!!!」


 瞬時にターコイズブルーの輝きを放つ、アスタの瞳。

 憎悪する者の怒りをその身に惹きつける、先天性精霊力者グァルノイドのアスタがたった一つだけ使える固有スキルだ!


 驚いたように振り向く少女と、ギラッとばかりにアスタを睨めつける暴漢たち。

 暴漢たちの頭上にはグルンと憎悪の黒い靄が渦巻いて、その目が怪しい紫色に光り輝いた。


「今のうちに逃げるんだ!」


 言い放つと同時、アスタはクルッとばかりに身を翻した。

 カッコいいのはここまで、剣の腕に自信は────無い!!

 逃げるが勝ち、その逃げ足にだけは自信があった。


「待ちやがれ、クソヤロウ!!」


 ダダダダダンッと足音を鳴らして、暴漢たちがアスタ目掛けて飛び出してくる。


「うわあぁぁぁぁぁっ……!」


 情けない声を上げながら、アスタは人気のない裏路地を、東に向かって駆け抜けた────。



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