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桜新町。
私がここで産声を上げ死ぬ寸前まで暮らし、生活していた場所。辺りは見慣れた風景で完全にど地元だ。
この町は有名な町だ。国道玉川通りと、世田谷通りに挟まれた旧道の駅前通り。通い慣れた道に自然と歩く歩幅も早くなり、懐かしい道を靴底で一歩一歩かみ噛締めながら歩く。
道中で重圧に負けそうになり、自販機で飲み物を買う。くそ! お茶を買ったつもりが間違えてメロンクリームソーダが出てきた。まったくついてないぞ。今は炭酸の気分ではないので鞄に仕舞い込む。
いつしか冬の薄暗い夕刻の闇が迫り、次第に薄暗くなっていく。街灯がポツリポツリと付き始め夕闇を照らし出す。現場近くにいつの間にか辿り着き自然と言葉が漏れる。
「あの場所がそうなのか?」
駒沢給水所配水塔。愛称はコマQ。大正時代にできた古い水道施設だ。
周囲を古びた壁が囲っており、正面玄関には旧大学を思わせる門扉構えで、レトロな門灯が暖色を帯び明るく輝いている。
向かって正面には暖色をした研究施設みたいな建物が見える。蔦で建物の顔を隠され、大分不機嫌そうな面をしている。
ここからはあまり良く見えないが、さらに奥には中庭があり、今にも蔦に埋もれて潰れそうな小屋や二つ池がある。
そして視線をさらに奥に向けるとまさに圧巻だ。
南北に塔が二塔建っており、その高さは三十m。内径は最大で十四mを超える。
塔の周囲には装飾柱が施され、主役をさらに盛り立てる。
塔を見る目線を次第に上に上げていくと、冠の形を想像させ、装飾柱の間からは飾り窓が顔を出す。装飾柱の頂上にはダイヤの輝きを思い出させる紫色の証明灯でトッピングだ。
そして屋上にはポリカーボン製の、緑色をしたドームからニョキッと避雷針が姿を現す。まさに時代が織り成す芸術品だ。
塔の間には自由に行き来出来る様に、緑色をした鉄製の巨大なトラスト橋が渡っている。
党は二塔ともギリシャ風のレトロな色彩で、今は長年の風雨により完全に劣化してしまってはいる。
だがその劣化に存分にスパイスが降りかかっていて、その味加減がまた絶妙だ。長年地元に親しまれてきたために地元住民が寄付金を募り、水道局も見学会などを開き保存に熱心だ。
私も何度か見学したことがある。
そんな愛する地元の町が舞台とは皮肉なものだ。
職員も帰ったと見て、囲いの壁から堂々と侵入する。
「むう…… 中々貫禄のある施設ではないか」
そう語るアルテミスの瞳が月夜の光を反射し妖艶に光る。吐息が寒さで白くなり、どこから取り出したのか、いつの間にか白いトレンチコートを着ていて、寒そうに少し震えた。
「そうだろ。俺の思い出の場所だ……」
言いかけて何かの思い出が脳内で乱反射した。
「……そうだ少し思い出した。あのとき外国の女の子と始めて出会ったのは、この場所だった。丁度今みたいな夜で、一人で泣いていたっけ…… 確か赤毛の女の子だったな」
記憶が徐々に蘇ってくる。
そうだ。満月の月明かりを頼りに、泥だらけになりながら一心不乱に何かを探していた。とてもとても大事なものだと言っていた。
突然猫の激しい悲鳴が聞こえ現実に引き戻された。駄目だ完全には思い出せない。
「……その娘とは今も親交があるのか?」
アルテミスの悲痛そうに震える声が耳の奥まで響き渡る。
「残念ながらその一度しか会ったことがなくてね。その女の子がその後、どうなったのかは知らない」
アルテミスが悲しげに目線を外し、そうかと小さく呟いた。
急に黙りこくる姿を見て、女心とは不思議だなと思ったが本能なのか衝動的な発作なのか、わからない気持ちが急に湧き出してきた。
「大丈夫だよ。今は会えないけれど俺が生き続けていたら、いつかきっと会えるさ」
優しくほんの少しだけだが力をこめて、背後からアルテミスの肩を抱きしめてあげた。
まるで愚図る子供をあやす仕草だったが、どうやら効果はあったみたいだ。
抱きしめる左手の薬指が軽く握られ、何度かきゅきゅっと締め付けてくる。その後薬指を中指で触れるか触れないかの絶妙な手触りで一往復させ、軽く抓られた。
痛いだろ。と耳元で囁く様に叱ると、吐息がくすぐったいのか笑いながら答える。
「そうだな。いつか再開できたらいいな」
何故アルテミスが落ち込んだのかはわからない。しかし肩を抱きしめた気持ちはなんとなくわかった。いつの間にか体の震えも止んでいた。
「あのー見てるこっちが恥ずかしくなってきたので、先に進みませんか?」
アヴァロンがわざとらしく指で顔を隠している。もちろん指の隙間からは青い目が月の光を反射させ、闇夜の猫みたいに好奇心で光っている。
「お前って本当にいい性格だよな」
しばらく月明かりを頼りに道なりに進んでいく。
「疑問なんだけどさ、これは漂流人狩りなんだろうけれど、なんで俺がやるんだ?」
「そんなの決まっているじゃないですか。その漂流者狩りの夢を叶えさせるためですよ」
「そんな簡単に言うけど、俺はまだ夢力が使えないんだぞ! それに当然俺はそいつに命を狙われているんだろ。まさかそこらへんに転がっている石で、立ち向かえとでも言わないだろうな?」
「その問題は大丈夫です。何のために私達が同行していると思っているのですか? 夢力を発動できないあなたは媒体が見つかるまでは、単なるナビゲーターです。夢力での戦闘合戦、夢を叶える仕事は、私達観察者お二人にお任せあれ。あなたに危険が及ぶようなら私達二人の命をかけても守ります。だから祭さん。あなたは今あなたができる仕事、ナビゲーションをしてください」
そんな殺し文句の言い方をされると困るな。胡散臭い台詞だが正直燃えてしまう。
「わかったよ。でもどうやったら見つけられるんだ?」
「人により様々です。漠然としたことしか言えませんが、とにかく心で感じるそうです」
むう…… そんな精神論を言われたら困るぞ。漠然としすぎている。
「まあとにかく今の祭さんは媒体も無く、夢力が発動できないので、とにかく探すほうに意識を集中していてください。まさに無力(夢力)でお荷物ですから」
……最低の駄洒落だ。一仕事終えたつもりなのだろう。いい顔しているぜ。
アヴァロンのお洒落な黒いコートが風に吹かれ、裏面が見えた。緑の裏地に小さな道化師が無数にプリントされている。どこまでも期待を裏切らない男だ。
手入された芝生の横に突然大きな記念碑が現れ。その横に二つ池が見えた。
和の情緒溢れる、小さな方が心字の池。大きな池の名前は知らないが、私達地元民はライオン池と呼んでいる。ライオンの彫刻が記念碑に彫られており、ライオンの口から水が吹きだすことからそう呼ばれている。
昔は噴水があって、黒いペンギンのオブジェから勢いをつけて水が出ていたらしいことを聞いたことがある。
そんな話を聞かせてやると、ペンギンだのライオンは見慣れていると笑われた。
そうだった。今はまったく人間と見分けがつかないが、元々二人は人獣だった。
わたしもつられて笑ってしまった。こんな人気の無い場所ではよく声が響く。
しかしいつまでも笑っていられなかった。
突然頭の中に強烈なイメージが入り込んできて、頭が割れそうに痛む。あまりの痛さに頭を抱え込みながら芝生に倒れこんだ。
心配そうに声をかけるアルテミスの声が聞こえる。
……うっ。なんだこれは…… 頭が締め付けられ割れそうだ……
もしや…… これは漂流者人狩りが近くに居るのか?
これが夢を叶えたいと強く願う思いなのか……
だとしたらあまりにも儚い夢じゃないか。
「あなたは誰?」
女の声が聞こえる。
「何故私の思考に入ってくるの? ……そうなのね。そういうことなの」
一体何を言っているんだ?
「なら私を助けて。私の願いを叶えて……」
……どこかで女性の声が聞こえる。
幼い女の子の声と、聞きなれた声、そして今聞いた女の声。必死に私の名前を叫んでいる。
すすり泣いている音も聞こえる…… 戻らなくては。私の存在する私の世界に……
意識が完全に覚醒し、目を開けると深紅の瞳から大粒の涙を流しながら、その華奢な体で一生懸命に支えてくれていたのだろう。私の体を包み込むように抱き、涙で目を赤く腫らし、泣きじゃくる顔が見えた。
何だ、こんな顔もできるんじゃないか。月に照らされたアルテミスが聖母に見える。
彼女の頬を流れる大粒の涙を親指でそっと拭う。
頬が風に吹かれて冷たくなっている。
「もう大丈夫だから泣くな」
「……死んだかと思って ……心配したんだぞ」
嗚咽は上げないが喉で必死に噛み殺しているのだろう。本当に不思議な女性だ。怒る顔もあれば泣く顔もある。感情が瞬く間に表情に表れ、すぐに様変わりする。
戻れてよかった。また彼女の顔が見れて本当に良かった。
「女性の涙を見るとこっちまで悲しくなる。だから笑ってくれよ。アルテミスの笑顔を拝めるなら例え死者でも生き返るさ」
相変わらす、涙で濡れた瞳は潤んだままだったが、最高の笑顔を見せてくれた。
その笑顔が見れるなら、何度でも地獄の底から蘇り、不可能を可能にしてみせよう。
体を起こし冷えた彼女の首元に私の茶色いストライプのマフラーをかけてあげる。
「心配かけたからなこれはお詫びだ。やるよ。高かったから大切に扱えよ」
まだ涙が止まる気配を見せていなかったが、小さく頷いた。
「まさか倒れこむとは思いませんでした。そんなに強烈でしたか?」
「ああ衝撃の初体験だったよ。しかしわかったことがある」
「……それはなんですか?」
「目の前に漂流人狩りが居る」
二人が目線を向けると、ライオン池の上にモノトーンチェックのコートに、ストレートのパンツがスタイルの良いやや長身の体を映えて見せる。凛と長い片足で立ち、美しい顔立ちの二十代ぐらいの女性が浮かんでいた。
片手には使い古した黒い万年筆を左手に握り締め、静かにこちらを眺めている。
彼女の顔立ちは初めて見る顔ではなかった。
懐かしい顔だ。あの当時の面影は残っているが、久しぶりに再開した二人は、あの頃とは比べ物にならないほど成長して大人になっている。
それでも十分だ。顔を見ただけですぐにわかった。
「……あの人は歩ちゃんだ。仲村歩。俺の初恋だった女の子だ」
アルテミスとアヴァロンの二人が目を見開き、驚いた表情を作っている。
一陣の強い風が吹き、歩ちゃんの長い黒髪が風に遊ばれ揺れていた。
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