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目的地の駅に着いた蒸気機関車の、あちこちの客車のドアからは様々な人獣が降り立っている。

その小集団の中に目を向けると、とある旅行用の大きな茶色いトランクを女が両手で重たげに持っている。女の背後からは常に笑顔を絶やさない長身の大柄な男がぬっと現れ、その片手にはこざっぱりとした小さな荷物を軽々と持っている。良く見るとそれなりに荷物は大きいのだが、男が余りにも大柄な為に小さく見えるのだ。女が持つとおそらく肩で息を切らせることになるだろう。

女と男は集団の列に流されながらも、私の方にゆっくりと近寄ってきた

「愚か者! なぜ私達を置いてさっさと一人先に行くのだ」

「アルテミスそれを言うなら、私達を置き去りにまでして、そんなにも外の景色を見たかったのか? でしょう?」

男は芝居げに女に語りかけ、そうだったなアーロンと女は意地悪そうにニヤリと笑った。

そう確かにあれは致命的なミスだと反省した。

よりによってあんな失態を見せるとは思わなかった。

その失態とは、電車が駅に着くなり自分の荷物を急いで両手に抱え込み、一目散に客室のドアを目掛けて走り去り、一番手で駅に降り立ったのだ。

私をそこまで夢中にさせた物。それは他ならないこの世界だ。

この世界はナイトメアで、人が夢見る世界で成り立っている御伽噺のような世界。

そんな世界に来る途中の電車の中で、余りにも素晴らしい景色に私は完全に心を奪われてしまった為にあんな失態を犯し、現在こんな皮肉を言われている。

……しかし心が躍らないほうが無理ないものだと思う。この世界に来て童心にかえった行動を起こさない人間がいたなら逆にそちらのほうおかしいと思う。でもさすがに行動が子供過ぎたと思わないでもない。その証拠に先程から二人の顔から意地悪い笑みが止まない。

しかし改めて周辺を見渡すと、結構な人数が先程までいたのだが今は少なくなっている。人気の少なさに知らない異郷の地と合わさり、ちょっとした居心地の悪さを覚え始めた、答えは予想できたが二人に話しかけてみた。

「なあ他の乗客は何処に向かったんだ?」

「それは駅の検問所ですよ」

「ああ。さっき電車の中で言っていた所か」

「はいそうです。混雑するので皆我先にと向かいます。我々は出遅れたみたいなので、逆にゆるりと向かいましょうか」

男の顔はあなたを追いかけていたら遅れたのですよ。とでも言いたそうな顔をしていたが、私から言わせるとお前達にからかわれたおかげで遅れたんだよと、目で返してやった。

女は女で、大丈夫。私はあなたの言いたいことは理解していますよ。と言わんばかりの小馬鹿にした表情で見つめている。

この面子は皆が皆狸なのかもしれない。最も二人は完全なる獣だが。

歩道に置いていた私の荷物を拾い上げて、足を検問所に向けふと気づき女に声をかけた。

「なあその荷物女が持つにしては重くないか? アヴァロンと交換したら?」

アルテミスは突然ピクリと反応し、片耳を動かしながらもどかしげに答えた。

「これは一応私の荷物だから私が持つものだ。他人には任せられん。」

「私もそう言ったのですが、アルテミスは一度こうと決めたら頑として受け付けない、物凄く意固地で頑固で器量の狭いとこがあるんですよ。それに私はこう見えてか弱いとこがありますので、見かけによらず彼女の方が力強いですよ」

直後にアルテミスの余計な言葉を喋るなと、刺すような視線が向けられる。

ふ~ん。確かに女は案外力を持っている。と思いつつこの嘘つき男が! どう見たってお前の筋肉は伊達じゃないだろうが! などと思っていたが男の顔が案外真剣だったし、忘れてはいけない事だが彼らは人獣なのだから、見かけではなく本当なのかもしれないと思い、歩を先に進めたが、やはり女はトランクを引いている合間に重そうな声を漏らし、鼻で息をし懸命にトランクを引っ張っていたので、その姿が女性としては痛く思え、プライドの高い彼女を傷つけないように声をかけた。

何せ彼女を傷つけたら私の心と肉体が傷つくのだから。

「なあその荷物軽そうだな。」

ぎょろりと彼女の辛苦の瞳が向けられ、苦しそうな声が出てくる。

「軽そうに見えるか?」

「ああ、かなり軽そうに見えるな」

小さく女の溜息が漏れ、ガラガラとトランクを引く音が聞こえる。

「俺の荷物が重くてさ。余りにもアルテミスの荷物が軽く見えるんだわこれが」

「それは良かったわね。で何? 私に喧嘩でも仕掛けにきたのかしら?」

ここで彼女の買い言葉に乗ってはいけない。私は彼女のトランクの持ち手に手をかけ強引に荷物を引っ手繰る。

「……俺の荷物が重くてさ。だからこっちの軽そうな荷物と交換することに決めたわ」

先程までアルテミスが引いていたトランクの取っ手を軽く握り締め直し、自分の荷物を彼女に放り投げるように渡す。彼女の体温が取っ手に残っていてほんのりと暖かい。

「……ありがとう」

小さな声だったが確かに聞こえた。アルテミスは私の荷物を両手に持ちながら答えた。

大人の女性とはいえ、やはり彼女の体では重かったのだろうと推測できた。片意地張らずに最初から素直になれば、長い旅は快適になるものだ。

当たり前の出来事すぎて最近忘れていたが、なんだか私は嬉しかった。

「ね? 私の言った通りでしょう」

「うむ確かにそうだな」

ん? いったい全体なにが言った通りになったんだ?

「アーロンもたまには、まともな事を発言するようになってきたな」

いえいえそれほどでもと、大きな笑い声が聞こえてくる。

嫌な思いが頭を過ぎり。まさかと声に出した。

直後にアルテミスの意地悪い笑みが浮かんでくる。

「そう、お前が荷物を持つように知恵を絞っただけだ。か弱い女性の演技をすると、たいていの男は引っかかるからな」

……服に隠れているこの女の尻尾を見ることができたなら黒くて、先が三角に尖っているのかも知れないと思った。

「しかしそれにしても、お前のとった大人の対応は今時小学生でもしないぞ」

落第点の判を押されたようだ。女性を呪いたいと思った衝動は久しぶりだった。

しかし、彼女のトランクを奪った時に触れた彼女の指はかなり高温で細長く、とても女性的な柔らかい指で私の理想だった女性の手に近かった。

そんな私の思いが彼女に伝わったのか、彼女の顔が真っ赤になり始め、たった今交換したばかりの私の荷物が目の前に飛んできた。

やはりこの女性は恐ろしい。彼女と結婚したら世界一尻に敷かれる夫がどんな目にあうのかが想像でき同情した。

しかしそんな生活も悪くは無い。むしろそうなったらそうなったで、そっちの方が幸せな家庭を築き上げそうな気がするものだから、世の中は不思議だらけだ。

とにかく埒が明かないので飛んできた荷物を拾い上げて、トランクに載せ歩き出した。

結局私が荷物を持つことになったのだが…… これも世の中の不思議の一つだ。

独りとぼとぼと背中に哀愁を漂わせながら歩いていると、後ろから勢い良く突撃された。

怒りを通り越して驚いて振り返ると、アルテミスが体当たりをぶちかましてきたみたいで私の傍らに何処と無く気恥ずかしそうな満面の笑みを浮かべて、美しい深紅の瞳でじっと私を見詰めていた。その瞳で見つめられるとなぜだか遠い昔に戻される。やはり体重が軽めなのかそれほど体は痛くなかったが、胸が締め付けられるように痛かった。

彼女はおもむろにトランクから私の荷物を取り出して、取っ手の片方を私に差し出した。

アルテミスが何を言いたいのかいくら私でもわかり、黙って右手で受け取る。

一つの荷物を二人で片手に持ち歩く、まるで恋人か新婚さん。

知らない人間が見たら、この光景をどう判断するのかが痛いほどわかり、思わず照れた。

たまにはこんな感じに二人で歩くのも悪くは無いかもしれない。

そう思い二人で肩を並べ無言で歩いている。何処と無くアルテミスも嬉しそうだ。

「えーとコホン」

わざとらしく大きな咳払いが聞こえてくる。

忘れていた…… 二人旅ではなくこの男もいたのだった。

アルテミスは邪魔するなと言わんばかりの目で。私は慌てて咄嗟に鼻歌を口ずさむが、取り繕うにはもう間に合わないだろう。

「どうやら良い旅になりそうですね」

「私が居るのだ。当たり前だろう」

「……そうですね」

最後の台詞は言わなくてもわかるだろう。

「ちなみに言い忘れていましたが、その重く大きいトランクは私の荷物で、小さく軽い方がアルテミスの荷物です」

私は大きく溜息を吐き出し、とりあえず検問所に向かうか。と二人に声をかけた。

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