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その日は月曜日だった。
冬の冷たい小雨が降り注いでいる。週明けで遊び疲れの学生や、家族サービス疲れの会社員で込んでいる夕方の駅ホームで、快速電車を待っている列の中に立っていたと思う。
いつもの何気ない日常で、いつものように朝が来て仕事が終わり、いつものように習慣となっている途中の売店で、ミネラルウォーターと雑誌を買い読みふけっていた。
普段と変わらぬごく平凡な日常が始まりかけていた。しかしその日はいつもと違った箇所が幾許かあった。
一つはいつもより朝早くに目覚めたことだ。これは別に重要なプレゼンだとか、早朝会議のためではない。むしろそっちのほうが良かったと思える。目覚まし時計が壊れて日の昇らないうちに耳を劈く音で目覚めた。
皮肉な事に、昨日振られた彼女からの昔贈られたプレゼントだった物だが、朝の目覚めと共に、ゴミ箱にプレゼントしてやることに決めシュートした。
結婚まで考えていたのだが、振られたのならば仕方ない、今日からは仕事に向かって頑張るぞと、本音で言えたら苦労はしない。今から出勤しないで休もうかとも思ったが、同期の人間に飲みながら慰めてもらい、それを本日の目標にして、今日一日頑張ろうと考える、浅はかな自分に軽く嫌気が差した。
変わった事はもう一つあった。それは今日が私の二十七回目の誕生日だった。
……誕生日前に振られるなんて最悪な一日の始まりだ。今思うと、その時から予兆は出ていたのかもしれない。
結局仕事は寝不足や集中力の無さから、一日ミスばかり、新人でもできることを間違いの連続で上から大目玉だ。自分のミスを独り挽回する為に、昼食も抜いて頑張った。
だけど午後もやはり立ち直れず、ミスばかりなので、さすがに上も心配して定時に帰らされた。同期に連絡してみると、急な出張で今から海外だそうだ。
朝に見た占いは悔しいが当たりだ。魚座は今日で新しく生まれ変わり、新しい自分に出会えるでしょう。それをどう判断するかはあなたの心がけ次第です。
総合運勢一位! ラッキーキーアイテムは電車です。
などと言っていたがやはり占いは当てに出来ない。
……今年は一人だ。さすがに今日はついていない。こんな日は酒でも飲んで、早めに寝るのが一番だと思いながら、傘をアイアンに仕立てて素振りしている年配の人を見ながら、ミネラルウオーターを酒みたいにちびちびと飲み込む。
ふと雑誌の料理コーナーを見て、今夜は時間があるからパエリヤを作ることに決め、じゃあ駅前の有名なケーキも一緒に買って、高級酒もついでにと思い、豪華な独り誕生会とは名ばかりの、寂しい誕生会だ。そんな事を考えながら次のページを捲って驚いた。
背中にドンと衝撃が走り、自分の体が宙に浮いている。
あまりにも突然のことで周りの景色が、スローモーションみたいに、時間がゆっくりと流れているような感じがした。隣にいた部活帰りの女子大生が、目を見開き何か口をパクパクさせているのが見える。塾帰りの小学生がとても疲れたドロンとした鉛色の眼をしていて。救おうとしてくれたのか突き伸ばしていた手が見える。そして非常にゆっくりだけど空が見えた。
やっと理解できた。俺死ぬのかな?
最後に垣間見えた空は、雨は止んでいたけれど曇天の空だった。
この空嫌いではないけど、せめて最後くらいは晴れ間が見たかったな。
人が事故死する瞬間を目の前で見るのは、一生トラウマになるだろうな。と思いながら、自分の最悪な一日に、自分の人生にさよならを告げた。
最後の景色は、砂利と鉄でできたレールと、必死の顔でブレーキを握り締めている車掌の物凄い形相と、火の粉を出しながら赤茶けた塗装を剥しつつ、一向に停止する気配のない、焦げた匂いのする車輪だ。そして目の前で見ると、とても大きな鉄の塊だった。
……やっぱり占いは当てに出来ない。
ーーーこの日俺は轢死した。
「どうですか? 多少思い出してきましたか?」
「思い出すも何も、もっと詳しく話してくれませんか?」
大柄な馬男は少しマイペース所があるみたいで話を急かす事にしてみた。しかし考えてみれば、これがこの男の気をつかった、優しさだったのかもしれない。相方の女があまりにもがさつな性格だから。
と思っていたらやはり何かが飛んできた。今度は先程私が使用した、水の入った皮袋だ。
「……がさつで悪かったな」
兎女は言い終えるとベストのポケットから、金色の懐中時計をポケットから無造作に取り出し、蓋を閉じたり開いたりして、小さな掌で遊ばせている。その動作が余りにも精錬された動きなので、元々の生まれは高いお嬢様なのかなと思った。
ん? 多少は気にしているのだろうか。侘しげな表情を見せる。しかし他人の考えが読めるのは恐ろしい。
「さてそれじゃあ本題に入りましょうか。色々質問もあると思いますが、まずは私のお話を聞いてください。質問は後からという所でよろしいですか?」
疑問点があり、質問したいことが山ほどあったが、理解するのが先決で素直に頷いた。
暗い照明の下、男の話が始まった。
男の話は要約するとこうだ。
まずこの世界は夢の世界でナイトメアって世界らしい。その中でも領地だの、国だの連盟だのと、色々ないざこざがあるみたいだが、基本この世界にも偉い神様みたいなのが存在していて、その神様の元締めは代々女神で、その統率の下に安定しているらしい。
数年前に神様が代替わりしたみたいで、どうやら歴代最年少の女神になったみたいだが、めったに姿を現さないみたいだ。それはそれで、ここはその中でもナイトメアへの入り口を通過した所みたいで、この電車の行き先はこの長いトンネルの先を抜けたところにある、玄関口にあたるオーベルって国らしい。
つまりこのトンネルを抜けるまでが国境で、オーベルが国境越えの検査所といった感じだろうと語っていた。そこまでは理解できた。
しかしそこから先は思わず、声を出さずにはいられなかった。
「俺が死んでるってのはなんだそりゃ?」
「掻い摘んで言うとあなたは死んではいません。あなたの、あなたに対する時の流れが存在していなかったことになっているだけです」
まったく意味不明なので先を促した。
馬男は突っかかってこないのをおや? と意外そうな表情で見つめ返したが話を進めた。
詮索するのは後でも良いと感じたのだろう。
「あなたの居た世界ではあなたは元々、存在が無かったことになっています。それは死んだのではなく、ん~分かりやすく例えると、魂だけがこのナイトメアにたゆたっているのです。面倒なので、これからはあなたの居た世界を人間界とします。」
ここまではいいですか? と聞いてきたので構わずに先を進めさせた。
「人間界のあなたは元々存在していなかったことにして、あなたが事故死する前の時間を止めて何もないようにしたのです。だから周囲の人間はあなたが死んでいるのではなく、元々あなたの存在がないのです。存在は確認できますが、過去は共有されません」
つまり俺は死んだってことか……
「理解が早くて助かります」
「確認する。この世界はパラレルワールドとか、漫画みたいな世界ではないんだな?」
馬男は肯定の印に軽く首を頷く。
つまり人間界では俺は元々存在していないってことか…… 神様だとそんなぶっ飛んだ凄い事ができるのかもしれんなと思い始めた。元々超常現象とかは嫌いな方ではなかったからだ。
「ただ時間制限があります。」
ん? さりげない時間式の爆発がきたぞ! なんだよいったい?
「一年で、他人の百八つの夢を叶えてください」
「叶えないとどうなる……」
なんとなく答えは読めた気がしたが、訪ねてみた。
馬男は残念そうに、少し芝居がかっていたが、大きく吐息を漏らし答えた。
「あなたは魂そのものの存在も消え、迷い蛍になってしまいます」
「迷い蛍?」
「はい。お気付きですか? 先程から車内に光が彷徨っているのを?」
言われてみて気付いたが、トンネルに入ってから、偶に何かがちらちらと光っていたのを思い出し、今も目の前を光らせながら飛んでいる。それは緑や黄色と様々な色で光り、儚げに怪しく光る幻想的な光だった。
「単なる光ではなく、これは人の想いが詰まったとても美しい光なのです」
「一年で願いを叶えることができないと、俺もこうなるって訳だな?」
馬男はまたもや、芝居がかったかのように軽く首を頷く。
なんとも言えなかった。正直死んだ以上、人間界に戻って何するとも考えられず、迷い蛍になるのも嫌だった。ならば第三の選択肢はどうだろうと思い口を開きかけた所で、発言によってさえぎられた。
「使命を果たさん限り、この世界の住人にはなれないぞ」
う、またもや心を読まれていたみたいだ。
「質問だ。何で他人の願いを叶えないといけないんだ?」
「それは基本、この世界が人間界に住んでいる人の夢で成り立っている世界だからです。人が夢を見て、その力でこの世界が成立しているのです。人は夢を見ずにはいられない生き物である以上、逆にそれを止めることはできない。だがその力が強ければ強いほど、人間界に悪い影響を出してしまうのです。だから我々がそのお礼にガス抜きをしてあげる訳です」
「つまり、持ちつ持たれつの状態ってことね」
「エクセレント。正解です」
馬男は仰々しく、芝居がかった演技で片目をつぶりながら、人差し指をたてた。一瞬だが迷い蛍が馬男の目元を照らし、瑠璃色の瞳を覗かせた。
「それで話は戻りますが、なぜあなたが人の夢を叶えなければならないのかと、お悩みでしょうが、その理由はあなたが生前、他人よりも強い夢の持ち主だったからです」
確かに強い願望は人並みにあったとは思うが、心当たりがありすぎたし、まだ続きがありそうなので、黙って話を聞くことにした。
「あなたは無意識に、死ぬ前に強く何かを願ったのではありませんか?その力があまりにも強すぎたので、あなたはこの世界に漂流してしまったのです。ちなみにそのような人物を我々は漂流人と呼びます。そして漂流人の任務完了までのお手伝いをする者達は、観察者と呼ばれています。つまり私達二人が観察者です」
考えてみると、なんとなく答えが見えた気がした。
「つまり、俺は漂流人として、観察者の二人と一緒に旅をして、一年の間に、他人の百八つの夢を叶え、愉快な任務とやらを遂行しなければならないのか?」
「エクセレント。正解です」
馬男はまたもや仰々しく、芝居がかった演技で今度は、親指を勢いよくたてた。
出会って間もないが、やはりこの男胡散臭くて、無責任な感じがする直感は、外れではないだろうと確信した。
「しかしわからないのは、何で俺がその任務をこなさないといけないんだ?」
質問したとたん今度は演技ではなく、馬男は間の抜けたきょとんとした顔で見つめ返してきた。
「なぜって、嫌だな。ちゃんと私の話を聞いていたのに、まだわからないんですか?」
首を振りかけてもしやと思い、恐る恐る訊ねてみた。
「……まさか世界が滅びるなんて言わないよな?」
馬男は深刻な形相になり、そのとおりですと言わんばかりに深く頷いた。
「先ほども言いましたが、あなたは死ぬ間際に強い願望を残しました。そしてあなたが死亡してからはこの世界に異変が起こり始めています。幸い今はまだ小規模な段階ですが、これからは大規模な天変地異になりやがてこの世界ナイトメアが滅びます。そして人間界のガス抜き存在だった世界が無くなれば当然人間界も滅びます。残念ながら、私達は神々のある条約により、直接手を出すす訳にはいかないのです。考えてみてください。なぜ我々が滅びればあなた方も滅びるのか。あなた方の世界では、近くにいる存在の人間同士が互いに憎しみあい、妬みあい、殺しあうのかを。それはなぜ? それはどんな理由で? それは残念ながら今の立場にいる私が答えを教える事はできません。しかしながらまた考えてみてください。そんな互いが互いを喰らいあっている状態にいる人間達なのに、なぜか上手く生存しあっている所があるのもまた事実です。憎みあっている人でさえ様々な夢を持っています。又、それと同じくらいにまったくの見ず知らずの人間を幸せにしたいと、願っている人達もいるのが現実です。裏切られるとわかっていながらも尚、救いの手を差し伸べようとしている人達が、夢や現実に絶望し傷つき、疲れ果てて、暗黒の世界に陥ったら、あなたの居た人間界はどうなると思いますか? そこにはただ夢のない、目の前の糧を得るためだけで精一杯の世界になってしまうだけです。生きる為に子が親を殺し、親が子を殺す。それだけで明日を生きるのに疲れてしまい、やがて夢を見なくなる。そんな世界になってしまうかも知れないのです。だから私達は滅びる訳にはいかず、どんな事をしてでも生き延びて、人間達に夢を見させ、朝日を崇めさせなさなければならないのです」
「つまり、そんなささやかな幸せを願っている人達のおかげで、俺の居た人間界は危なげないけれども、細いわらの上を綱渡りで歩くことが出来ていたって事だな……」
それが現実ですと、馬男は答えた。
つまり微妙な力加減で、人間界もナイトメアも均衡していた訳だな。
悪い夢も良い夢もどちらも必要で、自分の知らない所でどちらに所属していても、自然と恩恵に与っているのだから。だが両方に所属していなかったとしたら? と第三の考えが鎌首を上げかけたが、ここまできたら無粋だと思ってしまい、首を軽く振ってその存在を消去した。
「これはお願いではなく、懇願です。別にあなたが百八つの夢を叶えても、我々観察者があなたの為に出来る事は限れられています。我々の願いを叶えてくださるならば、出来る範囲でなんでもいたします。これは私達ナイトメアの総意と言っても過言ではありません。どうか私達の願いを聞き届けてはくれませんか?」
「もし嫌だといったら?」
「……私達は神々の条約により、直接的には力を貸せませんが、漂流人の手助けをすることはできます。そのための観察者です。しかしながら現状あなたは、魂が消滅しない方法を知らず、ナイトメアの世界も細部までは知らない、単なる旅行者に過ぎません。見知らぬ土地で事故死する旅人の話しはよく耳にします。ならばこそ邪魔かもしれませんが、この世界の隅々まで知り尽くした私達と共に旅をしませんか?」
やっぱりだ。思ったとおりだよ。途中から真面目になって、語っていた時のあの瞳の尋常じゃない妖しげな輝き。間違いない。断ったら殺すつもりだ。
これほどの筋肉男だ。しかも能力未知数の人獣ときたものだから、正直俺なんか簡単に殺せるだろうと子供でも簡単に予想できる。
……しかし素直にその願い私が叶えましょう。と言いたくないのもまた事実だ。
なぜなら正直あまり気乗りがしない。テンションが上手く乗らないからだ。ナイトメアも人間界も両方救うことが俺にはできるかもしれない。いや違うな。俺のせいで世界のバランスが崩れたのなら俺が正常にするのは当たり前だと思う。その為にはあいつら、馬男と兎女の観察者も喜んで協力するだろう。だけどなんて表現するのが適切か知らんけど、とにかく面倒だ。
だって俺は一度死んでんだよ。
普通に考えたら、俺はもうすでにリタイアしていて、お役目ごめんの世界だ。それなのに彼ら観察者はもう一度頑張れの説得だ。
確かに子供の頃は英雄だとか、ナントか戦隊とかプロ選手に憧れていた。
でもそんな夢は大人になると薄れてきて、徐々に現実を見始めてきた自分がいた。
それは夢中になればなるほど、子供の夢は報われないと理解したからだ。有名な学校や大きな会社に入社して、結婚して子供ができて家や車を買う。そして余生は郊外の静かな所でたまに孫が遊びに来て幸せに暮らす。最後は揺り椅子の上で事切れていた。って感じが普通だけど一般人が手に入れられる、最も平凡で、最も幸せな願いだと頭の片隅では予想していた。
確かに大金持ちになり、でかい家に住んで高級外車を乗り回して、美女を隣に美味い食い物を貪るなんて、陳腐な発想だけれど、貧相な発想の私にはそれが限界であり、それが正解でゴールだとも理解できる。しかしそこに至る道筋を私は知らない。
思い描くことはできるけれど、道を切り開き作りそこにゴールする術を私は知らない。
そんな考えを頭で描いていると、女性のかすれた怒声が頭に飛んできた。
「愚か者! そんな考えだから人間界では何も行動できず、何も残せなかったのだ」
俺は思わずきょとんとしてしまった。
彼女は私の瞳を射抜くように、真直ぐに見つめて語りかける。
「人は皆誰しもが夢を描いている。終着点を定め、そこにたどり着くようにもがき、足掻きせわしなく動いている。確かに多くの者が傷つき倒れ、終着点まではたどり着けないが、道を変え、ゴールを新たに作り変えることができる。それは妥協かもしれないが、途中で何もかも諦めるよりは遥かにましだ。お前にはそんな事ができたのか? できなかっただろう。その行為を卑怯だと勝手に決めつけ、臭い物には蓋をして、逃げてきただけではないか! そんな人間が自分の夢を語っているのが私には我慢できん」
言い終えると、車内にふわふわと浮かんでいる、迷い蛍の明かりに突然照らされた瞳が見えた。彼女の怒りに同調し、供に燃え滾たぎり深紅色に染まった瞳がついと、あらぬ方向に向かうまで、私は不覚にも思ってしまった。
その燃え滾った瞳があまりにも美しいと。
先程まで私を焼き尽くさんばかりに見つめてくれたのは、怒りからではなく、私の瞳を通り越して私の心に何かを残してくるためだった気がする。それは私の心で燻っていた何かを燃やすために、火を点ける力を貸してくれたのかもしれない。
彼女は鋭いと思った。
私が何に悩んでいて、何に壁を造りこんでいたのかも、すべて理解していたのだろう。
その上で私に前に行く力を与えてくれたのだから。だから私は決心した
「俺にできることなら精一杯やってやる。だからお前達も俺に力を貸してくれ」
そう決意した時の私の顔は多分、世界一の男前だろうと思っていた。
そして目の前の兎女と馬男は、世界一の笑顔だったと思う。
「この原因を作ったのがお前なのだが、決心するのに何時まで悩んでたのだ?」
「まあ私が脅したから、逆に決心がついたのかも知れませんね? アルテミス」
兎女は不思議そうに顎に指を絡ませて首を傾げ、馬男は肩を竦めながら掌を上げる。
……訂正だ。目の前の兎女と馬男は、世界一の不機嫌女と無責任男で、底意地の悪い笑顔を見せる、悪い魔法使いだと思った。
改めて考えてみると、理不尽な事が多すぎると思うが、新しい人生悪くないと思う。
なぜって? だって既に一度死んだ体なんだ。もう怖いものは何もない。悔しいがこれからは兎女の言ったように、自分で新しいゴールを探し、舗装されていない道を切り開いていくだけだ。それは多分、今まで考えてもいなかった作業かもしれない。それはとても辛くて、とても難しい作業かもしれないけれど、案外簡単かもしれないと思った。
それは気楽に考えているのではなく、光が見えたからかもしれなかった。
気のせいかもしれないが、兎女が微笑んだ気がして、少し照れくさくなった。
なんだかそんな自分に恥ずかしくて、眼を逸らしたら迷い蛍の妖しげな光が見えた。
掌に載せて観察してみると、どこか郷愁の調べを感じさせて、草原の干草みたいな爽やかな匂いを感じさせた。それはどこと無く懐かしくさせ、人肌のように温かさを感じた。
なんとなくだが、故郷に帰りたいと強く願う気持ちを感じた気もした。
最初見た時は何処と無く怖かったが、事情を理解した今では何故だか胸が苦しくなった。
それは恐怖ではなく、迷い蛍も元は人間で、思いが途中で終わり無念だと思えるようになったからだと思う。なんだ、ついに俺もこっち側の人間になったのかと思わず苦笑した。だからこそせめて、彼らの代わりに私が任務を果たし、漂流人として彼らの気持ちを成し遂げてやろうと思い、彼らの為に語りかけた。
「みんな大変だったね…… 家にお帰りなさい」
言い終えるや、突然電車内が明るくなった。
それは驚いたことに、照明の味気ない光ではなく、迷い蛍から発せられた光で、虹色を思わせた。恐らく虹を近くでまじまじと見ることができたら、こんな色なのかもしれないと思わせる不思議な色だった。明らかに人が作り出せる色ではなく、偶然に覗かせる気ままな自然の恩恵か、魔法使いに魔法をかけられた時の光にも似た色だと思う。トンネルで照明が暗かったこともあり、その輝きはよりいっそう神秘的に見える。
突然頭の中で、ありがとうと聞こえた気がした。
幻聴かと思っていると、光は突然脈絡も無く消え去った。
私は思いがけない幻想にしばらく酔いしれていると、車掌の驚いた声に驚いた。
「これは驚いたな。これが噂に聞く漂流人が願いを叶えた瞬間って奴か……」
車掌は初めて見たぜ。などと興奮しながら矢継ぎ早に、私に色々と語りかけてくるが、私はそれとは逆に冷めていくのを感じていた。
願いを叶えただと? 私は何もしていないぞ。単に迷い蛍に声をかけただけだ。それがなぜこんな事に?
もしやと思い、目の前を見ると、馬男は初めて驚いた表情をしたら、きっとこんな顔になるのだろうと思う顔をしていて、兎女は対照的に、満面の笑みをしていた。
「……正直驚きました。まさか早速夢を叶えるなんて」
叶え方を知っていたんですか? などと馬男も興奮しているのか、矢継ぎ早に質問してくるが、無論そんなの私が知っているはずがない。 ……ただ。
「なんとなく迷い蛍の気持ちになって、考えただけなのだな?」
兎女にまた心を読まれたみたいだ。私は驚いて、相変わらず満面の笑みを浮かべている兎女に訊ねると、楽しそうな声で答えが返ってきた。
「迷い蛍の心に触れたのだな。そしてその願いを知り、夢を叶えたのだ」
兎女は近くに顔を寄せ。唇が触れそうなほどの距離にまで近づいた。
この年になって情けないが、かなり緊張した。まるで初恋の相手に言い寄られたみたいな思春期特有の、甘酸っぱい感覚に戻ったからだ。
落ち着け。また兎女に心を読まれるぞ。子供でもあるまいしと思い、気持ちを切り替えて質問することにした。ただ立ち直れていないみたいで少し声が裏返ったが。
「迷い蛍の気持ちを俺が考えたことはわかったし、お前が俺の心を読めるのも理屈じゃなく理解した。しかし釈然としないのは、夢を叶えるのは俺が思うに、寝てる時に見る夢ではないのか?」
……沈黙。中々返事が返ってこない。すると兎女の爆笑の返事が返ってきた。
私が睨み返してやると、どうやら少し収まったようだ。
「悪かった。すまん。すまん。そこまでは考えが読めんかった。どうやら何か勘違いをしていたようだな」
何か馬鹿にされた感がありムッとした。子供じみてひねりがないと思うが、早く答えが知りたかったので、王道で返すことに決めた。
「子供みたいに笑っていないで、早く答えてくれないいか?」
「ふ~理解力が早いと思っていたら、案外お前も子供みたいな性格なんだな。根っこは昔と変わっていない様で少し安心したぞ」
またもや嬉しそうに兎女は笑い始めた。抱腹絶倒とはこの状態かもしれない。
昔と変わっていない? これは兎女のからかいだと思い、罠にはめられたら先が進まないと思ったので馬男に話を促せた。馬男は兎女と一緒に笑っていると思っていたが、笑わずに、兎女が爆笑していた事に何故だか知らないが、少し驚いていた気がする。すぐに表情がいつもの胡散臭い笑顔に戻ったので、気のせいかと思いつつ、話をし始めた。
「祭さん、あなたが叶える夢とは、睡眠中に見る夢もそうなんですが、たまに現実に願っている強い夢も叶えなくてはなりません。大まかに分けると睡夢と現実夢ですね。ネーミングセンスがなくてすみません。ですがこのほうが覚えやすいのでは?」
確かに、ネーミングセンスは最悪だが、現実的で覚えやすい。
「睡夢はまさに睡眠中の世界で夢を叶える。現実夢は現実で叶えるでいいのかな?」
「はい。正解です。ただし夢を叶えるにはあなたの力にもよります」
どういう意味だ。そうかゲームみたいなものか。最初はレベルが低いけれど経験値を稼げば強くなり使える魔法も増えると。と答えるといつもの胡散臭さで、はい正解ですと言われ、なんだか余計に信じられなくなった。
「しかし本当に理解が早くて助かりますよ。私が昔お嬢様に教える時にはかなり苦労致しましたが、あなたは正に衝けば響く鐘で、鍛えがいがありそうです。最も、昔はお嬢様もお子様だった訳ですから……」
馬男は思わず、余計な事まで喋ったと理解したのだろう。まあ私の見立てでは昔金持ちの家庭教師でもやっていたのだろうって感じだが。だがこの馬男、口は軽く見えても意外と頑丈なのだろう。今のは年に一回ある大売出しみたいな感じがする。しかも故意の。そんなことをする利益が私にはよくわからないが、そんなのは私には関係ないので、選択肢はスルーだ。
しかしそんなこんなで、いつの間にか兎女の爆笑は止まっていた。変わりに今度は不機嫌そうな顔付きで馬男を睨んでいるが、馬男はそんなの何処吹く風顔で気にしていない。
……やっぱりこいつらは世界一の不機嫌女と無責任男だと思った。
「で話は戻りますが、現実夢がかなり厄介です」
それは何故?
「それは現実の夢だからです。私達は夢の世界の住人ですから、夢の世界は漂流人の力により、どこまでできるかが変わってきます。しかし現実の世界では、私達は制限があるので殆ど人間の存在に限りなく近く、あまりにも無力です」
「殆どとはどのくらいで?」
馬男は流石ですねと言わんばかりに笑っていた。
「我々は神々の条約により必ず、人間界では仮初の姿、つまり人間なのです。人間界に出かけるにはこの法則に従わなければなりません。噂ではこの条約を破った者は、まさに夢のごとく泡となり風に吹かれて消滅すると噂されています。臆病と言われればそれまでですが、誰だって不確定な噂の為に死にたくはないでしょう? ちなみにナイトメアの世界では姿は自由自在です。ただしここだけは例外です。なぜならここはナイトメアであっても、人間界とナイトメアの曖昧な存在。つまり国境だからです。そしてこのトンネル内では、条約により我々は人獣の姿でなければ国境を超えられません。我々はとても信心深いので、意識せず自然と教えに従い、国境を越えるまでは姿を人獣に変化させているのです。そうそう。たまに何かの拍子で人間が迷い込んでくるといった事があるみたいですがね。昔ナイトメアに迷い込んできた人間が冒険をして、それを人間界で童話にしてヒットしたみたいですが、それは当然でしょう。だってこの世界はとても刺激に満ちた、夢の世界なんですから」
確かにその話なら子供の頃に読んだ記憶がある。かなり有名な話だ。
「それで我々が人獣の姿だと、力がまったく使えないのかと問われると、そうではありません。力は使えます。いつもと支障はありません。ただ羽を隠したり耳を隠したりと面倒なだけです。単に条約による制限のために使いたくないのです。ちなみにこの制限は強制ではなく、任意による自己責任です」
やけに馬鹿正直に答えるなと思っていた。そんな不確定で不都合な話があるのなら、最初から隠せばいいのにと思った。
「隠せばいいと思っていますね。しかし私達はあなたには、なるべくなら全部話したいと思っているのです。なぜなら祭さん、あなたには私達だけではなく、ナイトメア皆の命を信頼してあなたに託したいからです。だから最初に包み隠さずに、全部言わなければならないと思ったのです。まああなたの為ならば、私達は死にますと言っている様な物です。」
馬男は気障な台詞でも言ったみたいな顔で、普通の人間ならば騙されるだろうが、私は騙されない、だって馬男はなるべくと言ったからだ。
つまり概要は話して、重要な核の部分を秘密にしているべきだと思い、そんな考えは顔には出さず、私は嬉しそうな顔で答えてやった。私が犬科の人獣ならば耳と尻尾を引きちぎらんばかりに振り回していただろう。
「理解してくれたみたいで何よりです」
内心この狸が! いやいや。馬鹿か? などと巧いことを思いながら話を変えた。
「……で、現実夢なんだけれど纏めると、人間の姿だとお前達は力が使えないので、ほぼ人間の力の出来る範囲で、叶えられる夢にランクを下げないと、願いが叶わないってことだな? もしくは俺が強い力で叶えなければならないと?」
馬鹿男。……いや違った。馬男は満面の笑みでエクセレントと答えた。
ん? そうだ今回の迷い蛍は現実無と睡無どちらになるんだ?
漂流者としてはまだ日が浅いので、素直に聞いてみることにした。
「恐らく答えは現実夢ですね」
なるほどあれは人間界に帰りたいと強く願う夢だったのか。
しかしまた疑問が出てくる。
「俺は家に帰れとは言ったが、人間界に連れて行く力はないぞ」
言われてみれば確かにそうですね。ですがこう考えられませんか? と話を続けた
「漂流人としての任務に失敗し、迷い蛍として彷徨っているうちに、家に帰りたい気持ちが強くなった。そしてあなたに優しい言葉でお帰りと語りかけられ、まさに天にも昇る気持ちで夢が叶った。こんな感じには考えられませんか?」
確かにそうなのかもしれない。
こんな人間界では誰も知らない世界に放り出され、自分の為なのか、他人の為なのかもわからないことの為に、一生懸命働いたんだろう。
精一杯働いて、挙句に何が原因かは知らないけれど、迷い蛍になってしまった。
さぞ無念の気持ちだっただろう。国に帰れれば、恋人や友人家族が居たかもしれない、名もない漂流人。迷い蛍に成り下がってからは、他人の声が聞こえはするが、自分の声は誰にも届かない。自分の想いは楽しそうに語り合っている人達には絶対に届かない。
誰でもいいから、会話がしたかったのかもしれない。
人恋しかったのかもしれない。
自分で温めることはできても、他人から温められることはない。
そんな状態のときに私が優しく声をかけた。
すごく嬉しかったに違いない。
今なら理解できる。確信できる。私も迷い蛍になったときに、同じ言葉をかけられたらどんなに嬉しいか。そうか他人の優しさは太陽みたいに、とても暖かいのだ。
「他人の優しさは時に煩わしく邪魔だが、寂しいときにかけられると、どんなに無理な恋でも成就するものだ」
兎女は満面の笑顔で、綺麗な深紅の瞳を赤毛みたいに輝かせ、私を真直ぐに見詰めている。
ああこの女性は卑怯だと思った。
他人の心を読めるくせに、普段は何も言わず、自分が語りたい時にだけしか発言しない。
これじゃあ占い師も尻尾をまいて逃げるだろう。
そしてもしも、彼女を愛する人間がいたら、自分がどれだけの言葉で語るよりも、どんな行動で示すかより、どんなに君を愛して恋焦がれているのかが、会話するよりも確実に手に取るようにわかるだろう。
そしていずれ声に出さなくなり、別離が訪れるかもしれない。
でも、もし俺が彼女を愛してしまったら、心で思うだけではいられないだろう。
必ず声に出して、愛してると言わずにはいられないだろう。
それは頭ではなく、心が喋るからだと思う。
私のそんな想いが通じたのか、彼女は薔薇よりも真っ赤な顔をして、顔を背けた。
そんな彼女も可愛らしいと思い、俺はいつの間にか目を閉じ苦笑していて、目を開けたら目の前に彼女の顔が近寄っていた。
「わ、私の燃え滾った瞳はそ、そそ、それほどまでにも美しいのか?」
またもや突然だ。私の胸が反射でドギリと高鳴った。
瞳を褒められたのは初めてだったのか、言葉の端々でかなり動揺している。
どもった彼女の瞳は怪しげに輝いていて、その彼女の瞳には強力な魔力でも秘められているのか、不思議な深紅の瞳の、奥へ奥へ深遠へと私を誘い込む。
今度は俺が赤面する番になったみたいだ。
……しかし心が読まれるのは、正直気分がよくない。
だけど彼女の燃え滾った深紅の瞳と、髪が美しいと思ったのは事実だ。彼女の瞳は内面の彼女を表していて、それはどこまでも真直ぐな心の持ち主なのだろう。そしてまさに今、彼女の命が燃えていて、彼女が生きていることの証そのものなのだから。だから俺は正直に答えることに決めた。
「そうだ。お前の瞳と髪は物凄く美しい。心が読めるなら、俺が嘘を言っていないのがわかるだろ?」
その時の彼女の微笑みは今度こそ、世界一の笑顔かもしれなかった。
「コホン。えーといつまでときにめもっているんですか? そろそろ着きますよ」
突然視界が明るくなった。トンネルから出たばかりなので、眩しくて目が眩み、長時間の暗闇に目が慣れていた状態なので、すぐには目を開けられなかった。暗闇から光に緩やかに慣れてきたので、ゆっくりと目を開いた。
目の前の光景を見て、思わず叫ばずには要られなかった。
久しぶりに見た外の光景が、あまりにも幻想的で美しかったからだ。
そこは光の世界と、見渡す限りの大草原。遠くの地平には雪を被った山々が連なっている。
草原からは一定の間隔で、シャボン玉みたいな不思議な形や、色をしたものが風に吹かれていて、ふわりふわふわと気ままに飛んでいる。
空には大小様々な島が浮かび、所々に遺跡のような跡や住居が並んでいる。
頭上高くに空を見上げると、大きな鳥なのか人獣なのか、この距離では判別できないが、風を上手く味方にして気持ちよさげに羽ばたいている。
浮遊している島々からは、とても小さな虹が橋のように、島と虹を互いに結び合って繋げている。虹の間からは小雨が降っていて、それらがやがて一箇所の島に集まり、大きな滝へと姿を変貌させ、空から轟々と音をたてて降ってきている。
滝を境に下を見れば、大河を形成して、どこか遠い所まで流れているのだろう。大河の流れを目線で追っていくと、途中トンネルを越えた出口周辺にぶち当たっている。どうやらトンネル出口は大河の上に橋を通らせていたみたいだ。知っていたのならかなり大規模で、少々驚いたかもしれない。
そしてまた上を見上げれば不思議な雲が浮かんでいる。
ん? それはどこで見ても一緒の光景かと思い、思わず笑った。
人間界ならば、どこの国に旅行しても絶対に出会えないだろう、この景色に心が躍った
私はこんなすばらしい景色なら、どんな匂いがするのか頭を働かせ、考え始めた所で我慢ができなくなったので、勢いをつけ窓を開けた。
窓を開け放した途端、まずは蒸気機関車のポーと軽やかに耳に響く、快適な汽笛の音色に勢いよく挨拶された。次いでガシュガシュと勢いよく、軽やかでいながら重厚に音を立てて、レールの上を規則正しく嬉しげに走り回る車輪の軽快な音。
締めは煙突からでてくる蒸気機関車の吐息だ。石炭特有の雲を思わせるモクモクとした煙。サービスなのか、白煙に黒煙を入り混ぜた爆煙が目の前に来ると、凄まじい大迫力だ。煙が手に触れられる距離までに近寄ると、あたり一面が雲一色に塗り替えられる。まるで雲の世界を旅している気分にさせられて、いつの間にか童心の気分に戻り、なんだかわくわくする。
ナイトメアの世界では、機械にまで命が宿ったかのような錯覚を起こさせ、全ての生きとし生けるものに祝福を与えている感じがした。
風向きが変わり、白煙の世界が一掃すると、また新たな世界が訪れた。
どこまでも牧歌的風景が広がり、大地に芽吹いている若草の青々しい香り。
清清しく心洗う水の香り。涼やかな風が歓迎してくれたのか、頬を優しく撫で下ろし、風に吹かれて落ち葉が飛んでくる。ああ、命の息吹に心が癒される。
獣か人獣どちらかの誇り高い嘶き。この世界は私を歓迎しているのかもしれない。
そしてもはや嗅ぎ慣れた獣臭の匂い。慣れてくるとこれはこれで気にならない。
初めてナイトメアの世界観に共感できた瞬間だった。
「いかがですか? 私達が住んでいるナイトメアの世界は?」
馬男は絶対に分かって言ったのだろう。なんせ私はあれだけ心奪われていたのだから。だから私も無粋なことは語らずに正直に答えた。
「ああ最高だよ」
「ナイトメアの世界にようこそ。祭さん私達は貴方を歓迎いたします。女神の祝福があることを祈ります」
「ナイトメアの世界に連れてきてくれてありがとう。俺も心から感謝するよアヴァロン」
本当に心の底から感謝し言えた言葉だったと思った。そして初めて彼ら人獣をお前とか、呼称ではなく、名前で呼んだ。
そしてもう一人にも感謝の気持ちを伝えなければならない。
前に進むことを教えてくれ、どこまでも真直ぐで深紅のとても美しい瞳を持つ彼女に。
「ありがとうアルテミス。俺は君にも逢えて嬉しいよ」
その時の彼女の瞳は、まさに燃えていたとしか表現出来ないほどの輝きだった。
おまけで耳もせわしなく、ひこひこと動いている。
「ありがとう祭。私もまたあなたに逢えて嬉しいわ」
私はまた彼女に見つめられ、また強い魔法にかけられたみたいだ。彼女に会ったのはこれが初めてではない感じがした。遠い昔にどこかで……
「また二人だけの世界に突入かい?」
忘れていた。ここには他の人獣もいたのだ。不覚だった今度は車掌にも茶化された。
わんわやんやと車掌に茶化され、アヴァロンはお株を奪われたと苦笑面だし、アルテミスは瞳だけではなく、顔まで真っ赤にして車掌に抗議の荷物を力任せに投げている。やれやれと思いながら吐息を漏らし、止めようと見てみれば、軽いものばかりしか投げていないのに気がつき、あれで案外相手を考えている子なのだと考えたら、なんだか急に可愛らしくも思った。
結局車掌の茶々で赤面、可愛らしい行動にまたもや赤面では、さすがに恥ずかしいので、止めずに見てみることにした。
するとアヴァロンは、最初の赤面から全て逃さずに見ていましたよ。と言わんばかりのにやけ面でこっちを見ている。
やれやれと思いながら睨み返すと、馬男のにやけて伸びきった鼻面に、大き目の旅行用の荷物が飛んでいった。
心を彼女に読まれたな。と分かり内心いい気味だと思い小笑いしていると、今度はこっちにもとばっちりが飛んできた。
……俺も心を読まれたな。
などと反省しながら、軽い荷物が飛んできた胸をさすりながら、思い出に恥ずかしくてまたもや赤面面だ。私は今更になって思春期に入ったのか? などと考えていたら彼女の動きが突然止まり、こちらを振り向いた。
彼女も赤面していた。どうやらお互いに似ている所があるらしい。
口を開きかけ、彼女が何かを言おうとした所でその額にはアヴァロンの被っていた帽子が飛んできた。
「お返しですよ」
青い瞳を右手の指で軽く押さえながら、にやけた面でできの悪い道化師みたいに言った。
こいつのあだなはジョーカーに決まりだ。
辺りはもう誰も止めるものがいなくなっていたので、周りの人獣を巻き込んでの枕投げではなく、荷物投げ大会へと進化した。
人間界では人生悪いのか良いのか答えは出なかったけれど、多分ここはどちらの答えでもないと思う。この電車みたいに走り出したばかりなのだから。その答えはまだ出てこない。
でも走り抜いたその先には、必ず答えが待っている筈だ。
この世界ではきっと頑張れる気がする。
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