告解



□20年後 / 黄昏時 / 取調室 / 0年後の彼女



 また光とともに時間が変わった。わたしにはどうすることもできない……。

 やっぱり科学部の奴らのあの機械が原因かなあ。

 元の時間に戻ることはできるんだろうか。


「急に泣き止んだ……」

「何だこいつ……」


 おっさんどもはオバケを見るみたいに声を潜めてわたしを怖がっている。


「先輩、こいつ本当に頭がおかしいんじゃ」


 このまま一生他の時間の自分として生きていかないといけないのかも。

 でも、元の時間に戻ってもどんな顔して彼に会えばいいんだろう。

 わからない、わからないよ……。

 誰か、助けて……。


「おい! おい! しっかりしろ!」


 もうマヂ無理……。


「おい! どうしたんだよ、おばちゃん!」


 リスカしよ……




         ……ちょっと待て。



「……おばちゃん?」

「今三十七でしょ。随分老けた顔してるし」


 若いのが当たり前のように言ってのけた。


「ウガアアアアアアッ!!」


 ガタッと椅子が大きい音を立てた。


「うわっ、急に立ち上がった!」


 ビビるおっさんどもに体を広げてさらに威嚇する。


「お前らは! 人を馬鹿に出来る! ツラか!!」


 取り押さえられる前に精一杯喚き立てることにした。


「アッタマ来た! 今日一番頭に来たかんね!!」

「発狂した……」

「なんなのよアンタたちは!! このクズクズクズクズクズ!

 ハナっから人殺しって決めつけて猿みたいに怒鳴って物叩いてうるさいよ!

 人殺しだの鬼畜だの頭おかしいだの好き勝手言いやがって、あームカつく!!」


 取り留めもない悪口の連打になったが、こいつらを寸毫でも喋らせないように喋りつづける。


「特におっさん!!」

「あ゛!?」

「自分の夫婦仲が悪いからって犯罪者でストレス解消って悲しくならないの?

 その陰湿さなら奥さんに嫌われて当然だから!」

「……」


 わたしはファイティングポーズをとり、精一杯の啖呵を切る。


「わたしはまだ誰も殺してないし、子供もいない。まだ彼と付き合ってもいない

 まだ十七だからおばさんじゃない。未来のわたしが、何したって、関係ない!

 あと、おっさん、アンタすげえ口臭いから!」


 言ってやった! 言ってやった!

 あとは野となれ山となれだ!


「……お前……」

「何?」


 若い刑事は真っ青で、恐る恐る口を開いた。


「お前が言ってること、全然わからないがな」


 プルプル震える指先で、彼は自分のすぐ横を示す。

 その先では、顔を紫色に染めたおっさんがカチカチと歯を鳴らしてこちらを睨んでいた。


「先輩の口臭については、署内でも最大のアンタッチャブルだ……!」


 ヤ、ヤバイ! 暴力親父が爆発寸前だ!


「このままじゃ取り調べにならなくなる! な、なんかフォローしろ!」

「そ、そんな急に出ないよ」


 えー、あー、えー…………………………。


「で、でも田んぼみたいな臭いだから、だ、大丈夫!」

「それがフォローになるかバカヤロー!」



 ●10年後 / 夕方 / 二人の家 / 20年後の彼女



 『ボッカーン!!』


 猛烈な爆風と閃光。

 次に目を開くとワタシの手にタイムマシンは無かった。

 ここはワタシたちの家。

 あの人はソファにかけて目を閉じている。何してんだか。


「はー」


 ワタシは後ろ髪を一度手で梳く。指にはまだタイムマシンの感触が残っている。

 失敗した。もうあの体に戻れることはないだろう。

 千載一遇のチャンスだったのに、どうかしていたな私。

 ……これからどうしようか。

 このままこの時間に釘付けってこともないだろうが。

 ……そうだ。


「あ、ちょっとどこに行くの?」


 ワタシはスマホの置き場所だったキッチンの方に向かう。

 耳の奥で校舎のスカボロー・フェアが鳴っている。

 サツキ、この頃はまだ生きていた……。


「行っちゃった。まだ答えてないのに」



 ワタシはキッチンの米びつに腰掛け、スマホの電話帳からサツキを探す。

 アイツは大体三コールで出なきゃ絶対出ない。

 元の時間に戻ってくれるなよと祈るような気分で待つ。


「おー」


 果たしてお気楽なサツキの声はぴったり三コール目で現れた。


「あの……久しぶり」

「え、先月一緒に飯食ったような」

「そうだっけ、ボケてた」

「やだねえ、まだ若いのに。なんだか十年は老けたみたいな声してるよこの子は」


 いけない、なるべく平静に話したい。


「そう?」

「それで、何の用なの? 今夕食作ってるところだからあまり話せないけど」


 しまった、何を話すか考えてなかった。話題、話題……。


「なーんか、話しにくいこと?」

「え? うん……」

「あ、わかった。ダンナくんと喧嘩したんでしょ」

「うっ」


 頭の中を見透かされたみたいで言葉を詰まらせるがこればっかりは仕方ない。

 高校からサツキとはしょっちゅう彼の話ばかりしていた。あの人と三人で遊んだりもして、あの子を失くしてからは喧嘩の仲裁に何度も迷惑を掛けた。

 彼女は快活で大雑把で、何でも話せるし遊んでいて飽きない。多趣味で仕事も長く続かない、いつまで経ってもフラフラしている変なやつでもあったが。


「最近の、あのダーリンとかハニーみたいな頭おかしい喋り方してないし」

「いや、あれは、その、冗談というか本気じゃなくて」

「そんなことはどうでもよろしい。で、喧嘩しちゃったの?」

「うん、でももっと酷いことした……」


 うーむ、とおどけた唸り声がスピーカーから聞こえてくる。気遣わせてしまった。


「エレー落ち込んでるじゃん。彼を殴っちゃったとか?」

「もっと」

「四肢をもぎ取り目は刳りぬき耳と喉を潰し便所に落として糞便を食べさせたとか?」

「それほどでもない」

「そ。じゃあ、悪いのはどっち?」

「彼……」

「はあ」


 なんとなくサツキが眉間にシワを寄せているところが想像できた。


「ダンナくんね。彼もわりに頑固なところがあるもんね」

「そう、とっても頑固で自分の非を認めなかった。信じられないことをしておいてゴメンも言えない。ワタシの気持ちも知らないで!」

「……」

「永遠にふてくされ続けるのかと思ったわ!」

「許せないんだ?」

「当然」

「じゃーさあ……」


 彼女はそこで悩み出し、二三秒してから切り出した。


「自分のことは?」

「ワタシが悪いって言うの!?」


 苛立ちが一瞬でワタシの頭に血を昇らせる。どうしてだか、彼女の前で気持ちを取り繕うことができなかった。


「酷いことしたんでしょ」

「そうさせたのは彼なのよ。ワタシが悪かったはずない」


 ワタシは言い訳を畳みかける。


「ねえ、サツキ。ワタシには自分の罪がわからないの。火事のあと、みんなワタシたちに言った。『気を落とさずに夫婦で支え合え』って」

「……それ何の話?」

「私は絶対嫌だったのにみんなして彼を許せ、仲良くしろと何度も言うの。

 母さんも父さんも、みーんなして! サツキ、アンタも」

「え、え、そうなの?」


 口の中がカラカラだ。

 ワタシは今までの誰よりも難しい相手に言い訳している。


「そして、私たちだけがあのアパートに残された。一生一緒にいないといけない二人が。それでもう一度も裏切られて、どうして私が殺しちゃいけないの?

 ねえ、サツキ!! 私は、少しも自分のしたことが悪いと思えないの!!」

「……」


 言い終えると握った拳が真っ白で、自分がどれだけ必死なのかよくわかった。

 あー、ドン引きされてるわワタシ。


「ごめん、こんな話がしたいんじゃなかったのに……」

「うむ。したい話をするがよいぞ」

「……アンタがいなくなった後、喧嘩するたびあの人が何度もアンタのアドレスを見て寂しそうにしてさ……正直嫉妬して。あの時も、それでカッとなって……。

 ワタシ、どうすればよかったの?」

「んー、どうしたかったの?」


 したかったこと? なんだろう……。


「……好きな人を嫌いになりたくなかった」

「そ、そ、そ」


 サツキはしばらく黙ってしみじみと答えた。


「わかるわ、好きなものはずっと好きでいたいし。

 でも、おでんとかいつも同じ出汁だと飽きんもんね。悩む悩む」

「ちょっ。真面目に聞いてよ!」


 ふふふメンドい、と受話器からくぐもった笑い声がする。

 そうだ、こういう奴だった。何でも話せるのはほとんど話を聞いてないからだ。話を聞かずに適当言ってばかりで、最終的には台風の日に海釣りに出て帰らぬ人に、というしょうもない死に方をした。

 ワタシはなんだか気が抜けてしまった。


「そういう時は、違った角度で攻めてみる! 隠し味とかね」

「うん」

「ワタクシの隠し味はズバリ、タイムぜよ」

「何それ。絶対不味い」

「わっかるかなー、わっかんねえだろなー」


 たしかこの頃こいつはハーブにハマっていたなあ。


「あっ、そういえばこないだタイムのポプリあげたでしょ」

「……どこだったかな」


 何とはなしにエプロンのポケットをまさぐると、それは出てきた。

 透けて中の見える布袋で、揉むとサリサリと乾いた花びらや葉の擦れる音がした。


「タイムを嗅ぐと、頭がすっきりするからさ」


 独特の芳香が辺りに漂う。

 不意に彼女に電話をかけたきっかけを思い出した。


「スカボロー・フェア、昔、吹いてた……」

「え。 ……ああ、吹部すいぶのころ? あったねー」

「よくわかんない歌詞だよね、ハーブの名前を何度も繰り返すの」

「お! 知らないんだー」


 見つけた話題に飛びついた彼女は鼻息荒くした。


「うん」

「パセリ、セージ、ローズマリーにタイムは全部魔除けのハーブなんだ」

「魔除け?」

「全部悪しきものを払う効果があって、名前自体がおまじないになってるわけ。

 スカボロー・フェアは別れた男と女がウダウダ未練言い合ってるみたいな歌なんだけど、何度も何度もそのおまじないを繰り返して、多分本当は二人とも寄り戻したいんだと思うんだよねー。

 ……あれっ、こっからあんたら夫婦の話につなげる展開なの!?」

「自分で展開を予想するなよ!」


 これは何も考えてない時のコイツの癖なのだが、今日は違った。


「そう、違う。これは予想じゃなくて予言」


 いつも通りのお気楽な調子で、でもそこには揺るぎ無い確信があった。


「サツキ?」

「このワタクシもそのうちいなくなるらしいんだから、今日は特別。

 どうすればいいのか、教えてあげる」


 タイムの香る空気がピンと張り詰める。


「ねえ、ふざけてるの?」

「夜が必ず来るように、誰も魔から逃れることはできない。

 それは避けられないこと、避けられなかったでしょ?」

「魔? それは何?」


 予言はいかにも抽象的で、サツキはやっぱり答えず言いたいことを言うだけ。


「でもダイジョーブ! アタシのポプリがあるからね」

「いや、タイムしかないじゃん」

「ううん、それだけで十分。アンタは除けちゃダメ、魔に会わなきゃ」

「全然意味わかんないんだけど」

「いいから聞いて、時間が無いから」


 とにかく彼女は真剣そのもので、わけのわからない不愉快さも気圧される。

 でも時間が無いって、どういうこと? 夕食のことか、それとも。

 コイツがこんな変なこと言いだしたのも、タイムマシンのせい?


「アンタ、」

「じきにまた魔がやってくる。

 でもウダウダおまじないを唱えてる場合じゃないよ。

 スカボローの市には自分で行きなさい。そこでやりたいことをやりな。

 その香りを嗅げば恐れずにできるから、頑張って」

「ちょっと。だからそんな話聞いてないってば!」


 その時、視界の真ん中に白い光が生まれた。

 そんな!


「ねえ、タイムの名前の意味って知ってる?」


 ワタシはサツキに台風の日に海釣りは止めろとか言いたいことがたくさんあるのに、そういうこと全部言えてない。

 光は音も無く広がっていく。


「タイムの意味、それはね。『勇気』なんだよ、カスミ」


 視界の全てが光に染まり、すべての感覚が消えゆく最中、サツキの最後の言葉だけがワタシの頭に残った。



 ――じゃ、もうすぐ日が沈むからさ。そしたらすぐだから。




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