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●10年後 / 夕方 / 二人の家 / 0年後の彼女
そういえば、今の時代にはもう子どもはいるんだろうか。
わたしはたたっと彼の正面に回り込む。
「ねえ、子どもっている?」
「えぅっ!? 急に何?」
目を白黒させる彼は、学校でからかった時の反応そのもので少し和めた。
「ちょっと気になって」
「……もしかして浮気を疑ってる?」
「あー、将来的には? そうじゃなくて私との間に子供はいますか?」
彼はほんの少しキョドってから居ずまいを正した。
「い、いないよ。当たり前だろ」
「そうなんだ。二人暮らし?」
「そうだよ」
「今、幸せですか?」
彼は即答した。
「もちろん。まあ、君に殴られなきゃだけど」
その傷はわたしがやったのか。この頃にはもう不和の兆候があったのかな。
わたしはすぐ後ろの壁にもたれて次の質問を考える。
キッチンから濃いブラウンルーの匂い、今晩はご馳走だな。このわたしはエプロンを着ていて、夕食はわたしが作っていると思った。専業? パート? 仕事帰りの正社員だったらそんな凝ったもん作らないよね。いや、仕込みをしておけば……。
あいやいや、そんなんどうでもよくて。
「もし子供が出来たらどう思う?」
「これ何の話? あっ、秘密ってもしかして……!」
「答えて」
これも彼は即答した。
「すごく嬉しいよ。今よりもっと幸せになると思う」
「そうかな?」
「えっ」
「じゃあ、いなくなったら?」
彼は質問の意図がわからない様子だけど、わたしにもわかんなかった。
ただ口から出るだけ。
「子どもか、私でもあなたでもいいけど、死んでしまったら、どうですか?」
「そんなことはさせないよ。子どもも君も守るし当然僕も死んだりしない」
「できない、どれもは無理だったんです」
彼の困り顔が見たかっただけのような、ちゃんと答えてほしいような。
「必ず何かを失わないといけないとしたら、その後、あなたはどうしますか?」
「そんなあ、難しいこと聞かないでよハニー」
彼はアメリカンに頭を抱えてみせた。
△0年後 / 放課後 / 201番教室 / 20年後の彼女
彼は、結局ワタシを選んだ。
「おい! 戸を開けろ! 抵抗は無意味だぞ!」
ドンドンドン!
男どもが戸の向こうからゴチャゴチャ騒いでいる。
積み上げた机と椅子の隙間、戸についたガラスからちらほらと顔の切れ端が見える。
「畜生! 中の様子も見えません」
あいつらは戸に体当たりしてるが無駄だ。どうしようもあるまい。
ワタシは何故かこの部屋に戻ってきてしまった。
行き先がここしか思いつかなかった。バリケードを組んで、窓の下に座りこんだらどっと疲れがやって来た。夕日の色が濃くなり、教室は見る見るうちに赤暗くなっていく。
早く考えなければならないことばかりなのに、この赤い教室を見ているとイヤな記憶が蘇ってくる。
燃え盛る部屋の中、私は子供部屋で息子を助けに行った。
部屋はもう火に包まれていた。私はあの子を背負おうとして煙に巻かれてしまった。体が動かなくなった私はその場に倒れ、やがて助けに来た彼に言った。
『この子を助けて!』
あの時確かにあの子には息があった! まだ生きていたのに!
彼は死んでいたと言ってきかなかった。死体を背負っていく余裕はなかったとも。
許せなかった。どうしても……。
「田畠さん、何が何だかわからないけど話せばわかるよ、このドアを開けてよー」
外からしゃくに障るクソヤローの声がする。忌々しい。
本当はあの時私たちは終わっていたんだ。それをズルズル夫婦していたからこうなったんだ。なんて馬鹿だったんだろう。
「あなたじゃそのマシンの操作法はわからないでしょう!?」
「無用の長物だ、直ちに立てこもりを解除しなさーい!」
いや? あの子を産んだこと自体が、それとも彼と付き合ったことが過ちだった?
「あはは……間違いが一杯だ」
自嘲が止まらない。
ケラケラ笑うワタシを不気味がってか男どもが押し黙る。
静かになると、遠くから「スカボロー・フェア」が聞こえてくる。
あのクラリネットは確か、サツキの……。
「自棄になるんじゃありません。そのマシンはとんでもなく危ないんですよ!」
「そうだよ危ないよ。そんなもの無くても、またやり直せるって!」
は!?
「やり直せるはずない! 全部あなたのせいでこうなったんじゃない!?」
ワタシの一喝に外のヤツらは呆けたように固まって、こそこそ喋り出す。
「そうなの?」
「未来のことなんかわからないよ」
丸聞えなんだよタコが! イラつくんじゃ!
「あなたとなんか付き合うんじゃなかった、最初に今日の告白を断ってやる!」
外から「oh……」と吐息がこぼれる。
「ようこそ非リアの世界へ」
「まだ告白してもないのに」
怒りに任せて跳ね起き、外に向かって怒鳴りつける。
「それからあの子が生まれないように堕ろしに行くんだ!」
「いや、付き合わないんなら子供も生まれないんじゃ」
「あの子が火事で死なないように、ストーブは壊しておこう!」
こんなこといってる場合じゃないってわかってるのに理性が働かない。
息を継ぐ間も無く次から次からへと言葉が。
「あなたが浮気しないようにスマホはおでんにしておこう!」
「スマホをおでんって……正気じゃありませんね」
「全部、全部正すんだ……ワタシを傷つけたもの全て!」
そこでワタシは自分で自分の口を抑える。
落ち着け! 外野にかまうな! どうすればいいのか考えなきゃ。
「バカですね。一個過去を修正すれば後の歴史も全て変化するもんでしょう?」
「そう、タイムマシン物のテンプレだ。あなたは破綻していますよ」
相手にするな。
正すにはどうすればいい?
どうすれば……。
「田畠さん!」
ダメだ。ダメだ。
「だったらどうやったらこの苦しみと屈辱が無くなるの!?
燃え盛る家に残してきた息子が、呪詛の言葉を吐いて息途絶えた夫が、
あなたと付き合わないようにするだけでワタシの中から消えてくれるの?
信じられないな。一つ過去を変えるぐらいでやり直せるはずない!!」
それきり誰もしゃべらなくなった。
ワタシも頭と体が痺れたように動かない。
サツキたちの合奏がサビに入った。
パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム……
「……未来の田畠さん、君は――」
「うるさい、全部あなたのせいじゃない!!」
●10年後 / 夕方 / 二人の家 / 0年後の彼女
「あの、タイムをいただいても?」
「どうぞ」
大人広末くんはソファに胡坐をかいて考え込んでしまった。
「……」
やっぱり大人になっても難しいんだ、この問題は。
でも唇が笑ってる……子どもができたと思ってるのかな、彼。
あんなに幸せそうで無邪気に悩める人も、喧嘩して浮気して殺されちゃうんだ。
わたしは、あんまり色々ありすぎて頭が全然働かない。
どうすればいいの?
この年のわたしだったら、ちゃんと答えは出せるんだろうか
□20年後 / 黄昏時 / 取調室 / 10年後の彼女
「よくよくあんたもすごい人だよ」
「人殺して、よくそんな珍妙な態度を続けられるな」
見知らぬおじさんらが、いきなり信じられないことを言いだした!
「えーっ! アタシ、誰か殺したの?」
「だからお前の亭主だよ!」
「殺してないよ」
アタシ全然よくわかんないんだけど、これって未来ってことであってるの?
二人は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔をした。
「……初めて否認したな」
「先輩、精神攻撃もう一度やりましょう」
「いいよ長いから」
おっさん刑事は唇を皮肉げに吊り上げた。
「話してみろよ、息子死んで亭主殺した奴の言い訳なんて面白そうだ」
「え、息子?」
「そっからかよ……。あんたの! 息子が! 火事で死んだの!」
それって……!
「やだあっ! 男の子なのね、お腹の子は!」
娘でもよかったんだけど、元気な子だといいなー。
「はあ……」
「それで、アタシの坊やは火事で死んでダーリンは私が殺したって話ね?」
……。
「なんじゃそりゃあ!!」
そんなの、ひどすぎるわ! うわーん!!
「号泣し出した……」
「こいつ本当にいい年した大人なのか?」
おっさんらは呆れてるけど、これが泣かずにいられようか!?
滂沱の涙がアタシの頬をつたう!
「二人が死んじゃうなんて悲しいよお!」
△0年後 / 放課後 / 201番教室の外
田畠さんの立て籠もりもしばらく続き、廊下の蛍光灯が点けられる時間。
あれきりむっつり何も言わなくなった田畠さんに対して、広末くんたちは右往左往するばかり。
「クソッ! 何か打つ手はないのか!?」
「このままだと何が起こるかわからないぞ!」
頭を掻き毟る科学部員一号二号。
「田畠さん! 一緒に話そう、顔を合わせて話し合えば僕らでも何かできるさ!」
広末くんも中身の無い呼びかけをするしかない。
そんな殺伐とした廊下に救世主が!
「待たせたな!」
「先生!」
ひさしぶりの登場、マッド物理教師だ。
しかし此度の彼は、何か、その、ワイルドな雰囲気がした。
不穏さをいち早く感じ取ったのは広末くんだ。
「あの……先生、手に持っているそれは?」
彼は自慢げにそれを掲げて見せる。
「手榴弾」
「なんで?」
「去年修学旅行先の福岡で拾った。これでバリケードごと吹き飛ばそう」
「ええっ!?」
これには科学部員たちもさすがにどよめく。
「止めてください!」
「先生、マッド過ぎですよそれは」
だが物理教師の狂気は止まることない。
「うるさい、火薬は減らしてある! それに若し死んでも必要な犠牲だ!」
彼はさっと戸のガラスを叩き割りピンを抜いた手榴弾を放り込む。
「田畠さーん、逃げてエエエエエ!!!」
ボッカーン!!
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