告知



 △0年後 / 夕方 / 廊下 / 20年後の彼女



「どうしてこうなったんだ!」


 一方の広末くんは頭に一杯疑問符を浮かべながら校舎を駆け抜けていた。

 彼と科学部員の二人は目下田畠さんをダバダバ追跡中。

 今は三階の廊下、教室の並ぶ直線だ。


「察しの悪い人だ」


 おかっぱを汗でじっとりさせた一号が、後ろから広末くんに絡む。


「あの女はマシンを使って時空改変をするつもりなんですよ!」

「変な話は止めろよ」


 荒唐無稽すぎて信じられない広末くんだけど、二号も気にせず質問をする。


「滅びゆく文系よ! あの女に何かおかしいところは有りませんでしたか?」

「うん、いきなり出てったり抱きついてきたり、おかしいところばっかだよ」


 その答えを得て科学部員は顔を見合わせた。


「ッ! やはりそうか!」


 濡れそぼった前髪を掻き分けて、一号は閃いた様子を表現する。


「まーた思わせぶりなことを。ホントはみんなで僕をからかってんでしょ?」

「ハアハア、あれが、からかっている人間の走りに見えますか!」


 胡散臭そうな広末くんに対して二号は大真面目に走る田畠さんを顎で示した。


 (これさえあれば……)


 ラガーマンのようにタイムリープマシンを抱えて疾駆する彼女は、健やかな脚力でカーブを曲がり、階段を降る。


「畜生、ハアハア、なんてスピードだ」


 日ごろの不養生が祟り、一号の体力は三十代後半のそれと酷似していた。だが、チャリ通と校門直前の坂道で鍛えられた広末くんでさえ息が上がり始めている。

 二十年後の田畠さんの真剣さはふざけている人間のモノじゃない。


「確かに、とても追いつけない!」

「執念だ! 今の彼女は彼女じゃないんです」

「どういうこと?」


 まだわからないのか、と言わんばかりに科学部員一号が広末くんに教える。


「ッ! 奴は文系じゃなくて体育会系だったんだ!」


 二号が即座に答える。


「違います」


 違った。

 そんなまったりとやりとりをしている三人とは裏腹に二十年後の田畠さんは焦っていた。二十年ぶりの校舎は勝手がわからず、どこに逃げ込めばいいかとかはさっぱり思い出せない。

 止むを得ん、田畠さんは階段を降り切ったところで強硬手段に出ることにした。


「追いかけてくんな!」


 ドゴッ!


「うわ、消火器っ」


 広末くんの足元を赤い消火器が穿つ。

 彼女は傍にあるものを後ろに思いっきり投げつけ始めたのだ。

 二号はクイッとメガネを指で押し上げた。


「彼女の中身はおそらく、未来から来たどうしても過去を変えたい彼女です!」

「偶然タイムリープマシンのターゲットに指定されてしまゲフッ!」


 説明を継いだ一号が突然もんどりうって倒れる。彼女だ。


「科学的同朋! そんな流し場の石鹸で科学的同朋の眉間をゴハッ!」


 猛然一撃! 二号もぶっ倒れる!


「危ないよ田畠さん。そんなことしちゃいけなグホッ!」


 広末くんも!

 勝利! 田畠さん大勝利!


「よし、邪魔者は消えた! これで、これで、あの子もあの人も――」



 □20年後 / 黄昏時 / 取調室 / 0年後の彼女



「なぜ殺したか、あんた本当に知らないって言うのか」

「うん」


 デカおっさんはいよいよ目ヤニのついた瞳をすがめてわたしを観察しだした。

 少し、雰囲気が変わった気がする。


「……そうか。おい、そのファイルくれ」

「はい」


 若手がドアのある壁に据え付けられた小さい机のファイルを取って中年に渡す。

 おっさんはそれに目を落とし、パラパラとページをめくりはじめた。


「それなに?」

「あんたの知らないことさ」


 なんとも渋い声だ。


「芝居がかってるね」

「他人事みたいな顔しやがって!」


 でもデカおっさんはわたしのからかいを無視して話を始めた。


「旦那さんとは随分仲が悪かったんだってな」

「嘘だあ、なんか凄いラブラブだったよ」

「そんな話聞いたこともない。少なくとも今のアパートに越してからは」


 アパート? でも、あの時は一戸建てだったと思うんだけど?


「毎晩喧嘩していたそうじゃないか。隣人はノイローゼ寸前だったぞ」


 おっさんはページから目を離さず世間話するみたく喋りつづける。


「……」

「これならうっかりある日どちらがどちらを刺しても無理からぬことだ」


 わざとらしく顎に手を当てて考え込む仕草をした。


「でも、何を毎晩飽きずに喧嘩していたんだろう?

 下世話な話だが、仕事だからな。いろいろ調べてみたんだ」


 おじさんの唇の端がわずかに歪む。


「そしたらなんとこの夫婦、付き合いは高校からという長年の仲。

 まあ、そんだけずーっと一緒にいりゃ飽きて夫婦仲も綻ぶかもな」

「そんなわけない!」

「どうして?」


 えっ!?

 反論はしてみたものの、これは、ちょっと。


「そりゃ飽きもすりゃ喧嘩もするだろうけど、あの、えと、わたしたち、うー」

「何が言いたいんだ?」

「あー! そんなわけないったらないの!」


 クソ恥ずかしいこと言わされそうになったが、おっさんは気にも留めず言い放つ。


「まあ、そうかもしれない。だとしたら原因は? 愛さえ意味を失くす理由とは?」


 またファイルをめくり出したおっさんは、あるページで手を止めた。


「あれ、ところでこの夫婦、十年以上もずっと二人っきりだったんだろうか」

「そうだ、子どもは? 私に子どもはいないの?」


 おっさんはしたり顔でファイルから一枚写真を抜き取る。


「この写真に見覚えは?」

「ボロボロに焼け焦げた部屋、煤で真っ黒な壁紙のダサい花柄……見覚えある」



 ●10年後 / 夕方 / 二人の家 / 10年後の彼女



「ねえダーリン、壁のお花ばっか見てないで私の秘密を聞いてよ」

「……」


 ダーリンってば壁とにらめっこでうんともすんとも言ってくれない。


「耳まで塞いじゃって、もう」


 子どもっぽいんだから!


「ねえ!! いい知らせがあるんだってば!!」



 □20年後 / 黄昏時 / 取調室 / 0年後の彼女



 おっさんは写真をファイルから抜き取り次々並べていく。


「写真はまだまだある、さあ正解はどれかな?」

「ねえ、このおじさんのねちっこい喋り方って何とかならないの?」


 わたしは無表情で立ち尽くす若手に話しかけた。


「最高にクールな言い回しだろ?」

「……。あ、この写真」


 刑事どもはわたしを見守るように押し黙った。

 写真の一枚一枚にはそれぞれ一つずつ物が写っていた。


「おもちゃ、ゲーム機、ランドセル、の燃え滓」

「もっとよく見ろ」


 おっさんに言われるがまま身を乗り出し、よく目を凝らす。

 うーん。


「おもちゃに書かれた名前、プラスチックが溶けてて読めないや」



 アッハッハッハッハッハッハッハッ……



 重苦しい雰囲気だった狭い取調室に軽やかな笑い声が響き渡った。

 おっさんが哄笑していた。


「読めないときたか」

「おじさん読めんの?」


 彼は立ち上がり机の両端に手を置き、わたしと写真の群れを見下ろす。


「よく見ろ」

「読めないって」


 わたしもほとんど立つぐらいで写真を見ているのだ。これ以上やりようないよ。


「ほら、もっと近くで見ろ」

「だから読めな」

「なんでやねーん」


 ガンッ!


 文句を言い切る前にわたしの頭は机に叩きつけれられた。


「ぶふっ」


 頭はおっさんの手に鷲掴みにされていた。

 ふわりと浮遊感。


「お前の」


 息の乱れ一つなく、おっさんは氷のように冷たいツッコミを叩き込む。


 ガンッ!


「ちょっ」

「子供の」


 ガンッ!


「やっ」

「名前だろうが」


 ガンッ!


「いっ」

「いつまでボケてんだ、よ」


 ガンッ!


 それを最後に手が離され、わたしの頭は机の上に落っこちた。

 頭割れちゃう!


「ガハッ。ゴホッ、ウエェェ!」


 吐きそうなくらい気持ち悪い痛みが脳を犯す。

 おっさんは平坦な音でわたしを罵る。


「俺はあんたみたいなクズが一番嫌いだ」


 また頭が掴まれ、グリグリと写真に押し付けられる。

 だから頭割れるって!


「テメエのダンナを殺しておいて反省どころかいつまでも素面でボケてやがる。

 あんたは頭がおかしいんじゃないよ、鬼畜なんだ」

「うう……デタラメ言いやがって……」


 こんなんじゃ憎まれ口も上手く叩けない。

 首を捻って拘束から逃れる。ようやく息がまともに吸えるが、夕陽やスタンドの灯りがチカチカきらめいて見える。

 おっさんはわたしに構わず、座り直した。そしてファイルに目をやりながら喋り出す。


「なら資料に基づいてあんたがなぜ旦那を殺したのか、俺の考えを話してやる。

 四年前のある夜、あんたらの家は火に包まれた。原因はストーブの誤作動。帰宅途中の旦那は連絡を受けて家に急行した」


 真っ赤に染まった室内でおっさんが唾を一回飲む。


「燃え盛る家に着いて、妻子がまだ中にいると聞き果敢に突入」


 ぐっとこちらに顔を寄せ、友達に囁くような声音で彼は結論を告げる。


「そして、妻だけを背負って帰ってきた」


 今度生唾を飲み込んだのは私の方だ。


「子供は、 ……死んだの?」

「おう。中で何があったのかわからんが、外の野次馬たちは見ていたそうだ。

助け出されるなり絶叫しながら罵り合うあんたら夫婦を」

「それから4年も喧嘩し続けた……」

「凄いエネルギーだよな。そして、最後の一押しがこれだ」


 おっさんはズボンのポケットに手を突っ込み、チャック付きビニール袋を取り出して机に放つ。べチョっと水っぽい音がした。


「夫のスマホに残された部下の女との交際を匂わせるメールだ」


 ヌチャヌチャと慣れない手つきで画面を操作し、中年は証拠と思しきメールを見せつけてくる。へー未来のスマホってコンニャク状なんだ。

 って、広末くんマジで!? 浮気!?

 でも文面を見ても、それは部下の女性が一緒に食事に行っておいしかったたとかそんな程度ですぐ浮気と判断するには難しい内容だった。わたしの怪訝な表情を読み取ったのか、おっさんはねちっこい喋りを再開させた。


「お前は子供の喪失で冷め切っていた癖に、いっちょ前に嫉妬心を燃え上がらせ、積年の恨みも合わさりついに包丁を取り、旦那を刺した」

「……嘘」


 そんなわけない。そんなわけないもの。


「はははは。よくそこまでボケてられるな!」

「しょ、証拠は!? 今のって、ただの考えなんでしょ!?」

「あるよ、最初に言っただろ」


 刑事どもがほくそ笑む。


「刺されて抵抗した夫の爪には加害者の皮膚がたっぷり残っていたんだ。凶器の包丁も先ほどそれらしいのが発見されたそうだ」

「そんな……」

「それから旦那が付けた傷が、あんたの腕に残ってるだろ」


 おっさんが腰を上げ、わたしのブラウスの袖に手を伸ばす。


「ちょっと袖をめくって腕を見せてくれ」

「イ、イヤ」

「見せてくれよ」

「イヤアアァッ!」

「ははははは!」


 おっさんは写真やスマホを手にしてわたしの顔に押し付けてくる。


「見せてくれよお。俺本当は自白なんてどうでもいいんだ」

「止めて……」


 スマホくさっ、コンニャクくさっ。


「教えてくれよお、俺も自分の嫁さんと仲悪くてさあ。

 自分のダンナ殺した女の気持ちを知りたいんだよ!」

「止めてぇ! 耳にコンニャク状のスマホを押し付けないで!」


 イヤがるわたしにおっさんはご満悦で、いつまで経っても手を止めない。


「燃える家の中で何があったんだ、教えてくれよ! はははは!」


 早くこの変態を離せ、と若手の刑事を見れば、先輩を尊敬のまなざしを向けていた。


「先輩、最高にクールです……」


 アホか! あーもう最悪!


「なあ、本当は息子もあんたが殺したんじゃないのか?」


 ……。

 コンニャクと同じく、その言いがかりも耳からいつまでも離れなかった。



 △0年後 / 放課後 / 廊下 / 20年後の彼女



「これで、これで、あの子もあの人も――」


 三人のクソガキをKOし、ワタシが意気揚々と角を曲がろうとすると、バッと白衣のゾンビが出現した。


「そうはさせん! 物理学的先回り!」

「チッ! どけ!」


 手を広げて立ちふさがる死に損ないを殴り飛ばす。


「ぐわっ、ボクの解剖学的嗅ぎタバコ入れが……離すかあ!」


 しかし片腕のみの打撃では限界があり、男はワタシの腰元に縋り付いてきた。


「しがみつくなっ。どけ!」


 疲労のせいか、女の力の限界か、男を振り払えない。そのうち、倒したクソガキどもが追いついてくる、畜生……!


「ッ! 先生、助太刀します」


 男三人にしがみつかれて、そいつらの手がワタシが握るタイムリープマシンに伸びていく。精一杯の抵抗に頭突きや足で牽制する、負けるもんか、負けるもんか!


「なんて力だ! 先生、スイッチです! 中身を入れ替えてやりましょう!」


 クソガキ二号の言うまま、ジジイの指がマシンの赤いボタンに伸びる。


「このクソビッチ!」

「ちっくしょうっ!」



 ピカッ!



△0年後 / 放課後 / 廊下 



「……はあはあ」


 ボタンを押すや否や、マッド物理教師はその場に崩れ落ちた。まだ体力に余裕のある科学部員一号が意を汲んで勝ちどきを上げる。


「やった! 悪は去った!」


 さらに冷静な二号が、棒立ちの田畠さんに向けて居丈高に手を差し出す。


「さあ、そのマシンを返しなさい!」

「田畠さん……?」


 ようやく追いついてきた広末くんは胡乱な目の彼女を心配して近づく。

 その無防備なみぞおちに彼女の正拳突きが突き刺さった。


「アタァッ」

「ギャッ!」


 そう、二十年後の田畠さん続行。

 科学部員に激震走る。


「入れ替わってないじゃないか!」


 床に腹ばいのマッド物理教師がしみじみ呟く。


「三つの時間の意識をシャッフルしてるわけだからね。こういうこともあるよね」

「くたばれやあっ!」

「ぎゃああああああっ!」


 校舎に男どもの悲鳴が木霊した。



●10年後 / 夕方 / 二人の家 / 0年後の彼女



 白い光の後、わたしはまた二人の家にいた。

 暴力おじさんから解放されたと思ったら、将来殺す人が目の前にいる……。

 きっ、気まずい。


「は、ハロー?」

「……」


 未来の広末くんはなんでだかフルボッコで、腕組みしてそっぽを向いている。


「あのー」

「……」


 すごい不機嫌なんだけど。

 さり気に頬をふくらましているブリっ子クソ野郎にかなりムカつきながら、わたしは天井を仰ぐ。


 あ~あ、なんでこうなちゃったんだろ。


 意味わかんないけど、タイムスリップして。

 意味わかんないけどハニーって呼ばれて、子供は死んじゃってて。

 意味、わかんない、けど、彼を、殺してて。

 わたし、ただ――



 □20年後 / 黄昏時 / 取調室 / 10年後の彼女



「もうおっさんたちでいいや、聞きたいでしょ、いいことなのよ?」

「んなもんが聞きたいんじゃねえんだよ!!」


 バリーン!


 いきなり視界に戻ってきたおじさんは机の上の湯呑み茶碗を床に叩きつけた

 スッゴーク怒ってる。ダーリンといい、もうどうして!?

 今日は最高の日のはずなのに!


「ああもう、何で誰も聞いてくれないの! アタシは――」



 △0年後 / 放課後 / 廊下 / 20年後の彼女



「はーっ。はーっ」


 地に平伏した男ども前でワタシは荒くなった呼吸を整える。


「ふー……」


 この手にはタイムマシンがある。

 これであの子も死なないし、あの人も殺さないで済む。誰も私を責めない。



「私は悪くなんかない、非なんてないし認めない。ワタシが非を認めるなんて、――」





 好きな人に告白されたかっただけなのに。



「こんなに秘密を告白したくてたまらないのに!」



「罪を告白するなんて絶対にありえない!!」




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