第48話:瞬/優しい
「――ハァッ――ハァッ!」
――昔から事あるごとに喧嘩をしていた。
言うなら、そう。それが当たり前に思っていたのだ。いつも傷だらけになって帰ってくる自分の姿を。それが自分の在り方だと、勝手に思っていたのだ。
それが間違いであるのに気付いたのは中学生になった頃。中学最初の喧嘩をした時だ。いつものように、相手の言葉に苛立ちを覚えて、殴りかかった。十中八九、相手が悪い。自分を正当化するわけではなくて、こればかりは他人から見てもそうである。
殴り飛ばした相手は――俺を罵倒するわけでもなく、ただ最も楽な方法を選んだ。俺の前から消えたのだ。
そこで初めて、自分のやって来た暴力の意味を知った。これまでは、子供の喧嘩で、相手の事なんて考えていなかったから気にもしなかった。でも、やっとまともな思いやりを覚えた俺にとっては、その現実は突き付けられた責任と罪悪感を意味した。
あぁ、そうさ――クソッタレにも自分は自分を抑えつけられない。短気で感情的で、後悔するのはいつも殴った後。反省したとしても、また癇に障れば殴りかかってしまう。
これが、山口 瞬という悪劣な人間性だった。俺がギアスーツに惹かれたのも、その暴力性からなんだろう。その事を、俺は今更ながら再確認したのだ。
「――ハァッハァッ……クソッ!!」
一人で悪態を吐いてみっともない。
それは所詮、自分への怒声であって、声を上げても結果は変わらないというのに。
今回の一件だって、マルクの言葉に反感を覚えてやった事だが、マルクの意見は高圧的だったが間違いではなかった。あいつなりに、先生の態度に思うところがあったのだ。
だというのに、俺はあいつの意見をまともに理解せずにやっちまった――これじゃ、遠見を止めたのが馬鹿みたいだ。止めたやつが喧嘩してどうするんだよ。
結局――俺は変わっていないんだ。
「ハッ――ハッ――オェッ」
荒くなりすぎた息から吐き気が飛び出す。
早朝――もしくは深夜が終わる頃に、俺は寮を抜け出して島の中を走っていた。走らないとやってられない。走るのは気持ちがいいが、それ以上に自分を痛めつけられる。
自分を殴る事ができない臆病者な俺は、こうやってでしか後悔を発散できない。しかもそれは、結果的に自己満足であり、解決ではない。
――本当、クソだよな。
流石にこれ以上走ると、本当に吐き出しそうになるので、無様にも跪いて息を整える。自分への痛めつけなんて言っておいて、辛くなって走るのを止めるあたり、俺は本当にクソ野郎なんだろう。何も変わっていない。そんな、最悪な野郎だ。
「――瞬って、そんな自分を傷つけるような事をするんだね」
透き通るような声色が耳に入る。昔、親父の趣味で聞かされたオペラで、こんな感じに耳に入り込むような声を聞いたっけか――そんな馬鹿げた事を考えつつ、俺はその声の主を見るために首を上げる。
――月光に照らされた彼女は幻想的であった。伸ばされた薄い金髪は夜風で揺れて、その白く純粋な肌が月の光を受けて輝いているように見えた。夜に似つかわしくない、薄い黄色のネグリジェがとても似合っている。そこに、俺の下心が生まれないぐらいに。
アイ。成績優秀、性格もよく、教師からの評判もいい。そんな彼女が、俺をその新緑の瞳で見つめていた。
「なんで、お前が」
「夜の散歩です」
「嘘つけ」
「うん、嘘。本当は、誰かが必死に何かをしているのに気付いたから」
学寮の窓から、俺が走っているのが見えたのだろう。それだけで終わればいいのに、アイは気になって降りて外に出てきたんだろう。
まったく……夜中の三時だぞ。
「瞬。どうして走ってたの?」
「……走るのが好きだから」
「嘘。走るのが好きな人は、そんな自分を壊すような走り方はしません」
「……はぁ。そうだよ。俺は俺を罰したかったんだ」
すんなりと、そう零れた。
アイがまぁ、なんて上品に反応した。アイにとっては意外だったのだろう。意外だろうな。彼女にとって、山口 瞬はそんな事をする愚か者じゃないはずだ。
見られた以上、白状しないといけない。本当の山口 瞬を。
「俺は弱い人間だからさ。こうやって嫌な事があったら走って苦しむ。そうでもしないと立っていられない。元の自分に戻れない。だってそうだろ? 嫌な事があった次の日は辛い。殴った相手と、その友人にどういう顔を見せればいい。手を出した俺は、あいつにとって悪だ。だというのに、俺自身は取り返しのつかない後悔を抱いている。自分を悪だと認識しているから、尚更辛い。辛いのに……俺は、俺を苦しめる事しかできない」
俺の吐き出した毒を、アイは神妙な面持ちで見つめていた。クラスメイトの、ゼミの仲間の懺悔だ。自分勝手な男の言い分に、アイは心底厄介に思っているだろう。
そうしてくれ。貶めてくれ。アイにそう言われた方が――
「――そう。瞬は、優しいのですね」
ふと、彼女は小さく呟いた。動揺している俺に、彼女はその細い右手で俺の髪を撫でる。
その……なんで、彼女が俺の頭を撫でているのか、解らない。
「どうして、そう思うんだ?」
「だって、瞬は自分を悪いと認識しているんでしょう? そしてマルクが正しいとも。それは間違いじゃありません。でも、その逆も間違いじゃありません」
アイは慈しむように膝を折った。俺と同じ視点まで顔を持ってきて、優しさの中に真面目さを感じさせる顔を見せた。
「あの時、みんなもマルクに怒りを覚えました。先生の苦心を無視した一方的な発言――だから、瞬の怒りは間違いじゃありません。グーは駄目だと思いますけどね」
「……悪い」
「えぇ、瞬は悪者です。でも、それだけじゃない。瞬は私達の怒りを代弁してくれました」
――どうして、彼女の顔を見ると、心がざわつくんだろうか。
ソフィアともまた違う。そんな感情は、彼女の優しい笑みに溶かされる。
「手段が駄目だっただけ。それだけです。瞬はそれだけなのに、ここまで自分を追いつめている。私は、心が痛いです。あなたの優しさが――脆くてあまりにも瞬らしいから」
「俺、らしい?」
「えぇ。瞬は優しい人です。感情的で、それは時に自分を傷付けるけど――私はそれに救われました」
アイは自分の左手を胸にあてた。まるで、そこにある心に触れるように。あるはずのない心を俺に伝えるために。
「小父さんを説得した時の言葉。私は後から知ったけど、あれは私にも嬉しい言葉だったんです。私は小父を家族のように思えなくなっていたけれど、瞬の説得の言葉で一度は静止した姿を見て、あの人は私を愛してくれていたんだと解りました」
「あれは……ただ、無我夢中で」
「本心、だったんですよね? えぇ、そのあなたの本心が小父の心を止めてくれたんです。私は、あなたに感謝しているんですよ」
そう言ってアイはゆっくりと立ち上がり、俺の眼前に右手を差し伸べた。彼女が与えてくれる、もう一度立ち上がってくれと言う願いの橋。それを繋げるのは俺自身だ。
――あぁ、変わっていない。俺は変わっていない、けど
それを誇りにしたい。そう漠然に思った。いつまでも自分らしく。それが迷惑をかける事になっても、誰かを救う事に繋がっても――それが、山口 瞬が違えない己であるのならば。
「謝りましょう。そこからです。説得が一番の近道ですから」
「――そう、だったな」
こりゃ、アイには頭が上がらないな。でも、頭を上げないと立ち上がれない。
彼女の右手を握りしめて立ち上がる。吐き気はない。息も荒くない。悪態を吐く自分は、治まってくれている。
アイがニカっと笑う。本当、いいやつだよ。女の子とか、そういうのではなく、単純に人間としてお前が――輝いて見えたんだ、アイ。
アイと共に学寮に戻る。次に目が覚めたら、まずは顔を洗って、飯食って――そして、謝るんだ。お前も正しかった。だから、ごめんって。
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