第47話:激情/止まれない
アイの話が終わると今度は俺の話へと移る。
正直、俺の話は例の弁償問題で終わると思っていたので、先生が俺の名前を呼ぶと、
「え!? あ、はいッ!」
情けない動揺混じりの返答をしてしまう。俺の後ろにいる遠見がクスりと解りやすい笑いが聞こえてきて、優衣を見るとにんまりと笑っている。くそぉ……幼馴染間の俺のヒエラルキーはやっぱり下なのか。
小さな咳払いをして、ちらとソフィアを見る。彼女は笑わず、しかし無表情とはまた違う、呆れたような視線を俺に向けていた。なぜ、彼女を見たのか。動揺しすぎだ。
「そうビクビクするな。――オットーが使用していたギアスーツに関しての事だ」
スクリーンの画像をルビィさんが切り替える。映し出されたのは、二つに分かれた巨大な金色の杯と、整備中のように格納庫に収まっている金色のギアスーツだ。
グレイル・ユニットとギアーズ・オブ・マーリン――GOMだ。趣味の悪い、金持ちの感覚を押し出したカラーリングと裏腹に、その装甲は前の戦いの傷が残り、落ちぶれて見える。
「イギリスからの賠償として、武藏島への寄贈品となった。が、学校長としては今回の戦闘功労者に贈与したいらしい。それで、瞬。お前に話が回ってきた」
「……ありがたいっすけど、元々はアイの小父さんのなんすよね? なら、アイに任せた方が」
「ううん。私には宝の持ち腐れだから……それに、瞬が小父さんを一度は止めてくれた事は知っているし、瞬がいないと、解決しなかったから」
そこまで褒めてくれると、心を撫でられるようで気恥ずかしい。正直、自分より強いアイの素直な称賛はありがたかった。
自分の異常性ゆえの称賛だったとしても、彼女の言葉ならすんなりと受け止められる。
「そういうわけだ。今後、GOMはお前と優衣に預ける。いいか?」
「了解っす」
「解りましたです」
「整備長にも言ってるから、あとは任せる」
あの筋肉ムキムキの人か。と、その言い方を整備長の前でするとゲンコツを喰らうので、注意しなければならない。
俺とアイなどのギアスーツ乗りからすれば、あまり関わりのない――逆に遠見や優衣、カエデちゃんなどの技術士見習いにとっては先生に当たる人だ。俺達からすればヒューマ先生ぐらいの関係。
二十代後半で、日に焼けた肌に負けないぐらいのむさ苦しい印象を与える巨腕は、全て筋肉で構成されている。それが第一印象なあたり、俺は人を外身で判断する悪い癖があるのだろう。性格は厳格だが、意外と優しくて、そして軽薄。優衣が人見知りしないところを見るに、いい人なのだろう。
「あとはGOMを搬入した時に、同時に送られてきた二機のギアスーツ……それが消えたという報告もしておく」
「消えたんですか? 手品のように?」
「……いや、厳密にはオットー襲撃時に無くなった。カメラは正常に作動していたというのに、一度の暗転ですぐに消えていた」
「という事は、まだ何かあるかも、という事です?」
遠見の率直な疑問に、ヒューマ先生もすぐには答えられなかった。
まだ何かあるかもしれない――その不安は、俺達にも浸透する。アイの表情は険しくなり、ソフィアは変わらず冷めた目を向け、先生は悩んでいた表情を切り替えた。
「否定はしない。だからこそ、今のうちに済ませておきたい事がある」
それが本日の本題であったのだろう。ルビィさんが用意されていたプリントを手渡してくる。上質な紙に、羅列する真面目な文字。その表題は、生命保険手続きの意味の言葉であった。
優衣が目を見開いた。遠見も、たぶん俺も。何せそれは――
「今後、死ぬかもしれないから、ですか、先生?」
「――否定は、できない」
アイの鋭くも揺れ動く問いかけに、先生も苦悶の表情を見せて、否定しなかった。いや、できないという事は決定事項なのだろう。
前回の戦い。あれは自分の命を懸けた救出作戦であった。そうするしかない――そう思ったからこそ戦う事ができた。だけど、あの時は自分の命の事まで考えられていなかった。
ギアスーツは兵器だ。それは常識であり、だからこそ運用は慎重に、その意味を逸脱しないように使われる。そしてあの戦いは、その逸脱のいい例であった。
「大人がしっかりすればいい事だ――そう見栄を張りたいが、その結果が前回だ。そしてその弱さは、お前達に降りかかる。生徒もまともに守れない俺を非難してくれ。俺は、今、お前達に殺し合いを強要しているんだ」
その先生の様子は――出会ってから初めて見せる弱い男の姿だった。いつも教壇に立ち、気怠そうに、しかし真面目に胸を張る先生。黒のギアスーツに乗り込み、鬼のように戦闘の指南をしてくれる先生――そのどれにも当てはまらない。
情けない、とは思わなかった。それは先生の姿を知っているから。この人は誠実で、熱く、いつも苦労を背負っている。前回の戦いだって、旧型のギアスーツに乗り込んで参戦する必要はなかった。死ぬ危険は、この人が一番知っているはずだ。
だからこそ、非難の言葉を口にする者はいなかった――一人を除いて。
「情けないものですね、先生。大の大人が、僕たち子供に助力を求めるんですか?」
――サーッと、脳から何かが抜け落ちた。
それが理性であったのは、言うまでもない。いや、もしくは感情の爆発とも言えるか――
次の瞬間には、俺はそのふざけた口の持ち主――マルク・ゼレニンの顔面を殴りつけていた。
「――グッ!?」
遅れてマルクの歯を噛み締めた音が聞こえた。拳を振りぬいた反動で、マルクの身体は床に叩き付けられた。予想外の一撃だったのだろう。マルクは忌々しさの中で、明らかな困惑を見せていた。
続けて殴りかかろうとする俺を、遠見が止めようと腕を握る――止まらない。
優衣がやめて! と泣き叫んでいる――止まれない。
アイが俺の胴体に抱き付く――止まるわけにはいかない。
先生が苦悩の中見せた、俺達への誠意を馬鹿にするやつを、ここで殴り飛ばさないと、俺は止まれないんだ――
「――やめて」
その声は、シンと俺の沸騰した感情に溶けていった。
ソフィアが、あの冷たい目で俺を睨みつけていた――マルクを庇うように。
わなわなと震えていた右拳が少しずつ力を失う。同時に、俺の中に湧き上がった怒りは、少しずつ後悔に変わっていく――また、やってしまったと。
「まさか、お前に殴られるとはな――」
マルクが口調を荒げて俺を睨みつける。当たり所が良かったのか、痕こそ残っているが吐血はしていない。ひりひりと赤く腫れた右頬を隠しつつ、マルクはゆっくりと立ち上がった。
殴られるか――それは仕方がないと思った俺であったが、マルクは鼻で俺を嗤い、目の前の寸劇に対応しきれなかった先生を睨みつける。
「暴力的な輩がいるこのゼミ――あんたみたいな弱い大人の名前を冠するこのゼミをやめさせてもらう。異論はないな、
「――いいだろう」
マルクが放った最後の言葉の意味は、たぶん先生への軽蔑の言葉だろう。
先生はその言葉を受け入れ、マルクは俺を一瞥して去っていく。
その最後の視線は、確かな敵対心を抱いていた。対して俺は、自分への後悔とマルクへの罪悪感に満ち溢れていた。力なき俺の視線は、マルクが教室を去るまで戻る事はなかった。
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