第36話:独白/精神世界にて

 イメージは海に深く潜っていく感覚だ。電子の世界を海と例える事があるが、その感覚は間違いじゃない。それが俺が勝手にイメージしているからそう感じているのかもしれないが、少なくとも俺はアイの意識へ潜入していく。

 俺の肉体は本来は人間のものだ。しかし、ある戦争を機に肉体は朽ち、俺は精神だけの存在に成り果てた。それを電子生命体とか、電子幽霊とか、そう呼ぶらしいが、当の本人からすればどうでもいい事だ。俺はツバキから与えられたアニドールのプロトタイプとも言える肉体を使い、人間としてこの世界を生きてきた。


「アイ……」


 そう言う意味では俺はアイと正反対なのかもしれない。最初は人間として生まれた俺と、人造的に生み出されたアイ。今は人間とは呼べなくなった俺と、人間の肉体を持っているアイ。

 人ではない、と自分を呼称するのは嫌だが、その存在である俺だからこそアイを救いたいと願った。


「…………」


 アイの肉体に埋め込まれた脳の通信端末の中身は、アイがこれまで生きてきた記憶のデータが残留していた。オットーに褒められた時の記憶。検査を受けた時の記憶。ギアスーツに乗り込んで特訓した記憶……それらが全て、この通信端末に残っている。

 ツバキの思惑とは違い、恐らくこの通信端末は、アイの記憶を記録するための物ではないのだろうか。アイの当時の感情も交えて、記録している。本当に、実験動物みたいな扱いだ。


「それでも……」


 それでも、アイは俺達の前では笑っていた。彼女は自分の境遇を理解していたかは解らない。だが、俺達はアイの笑顔を知っている。その笑顔が曇るのであれば、俺は彼女を救い出す。


『記憶はしていた――人間だから忘れるという逃避はできるけれど、この記録された空間に入り込めば、それらはフラッシュバックし私と言う存在を貶めるだろう』


 アイの独白が聞こえる。感情も少なく抑揚のない声だ。機械的ではないが、人間が機械の音声を真似るかのようなそんな不気味な声で、彼女は囁き続ける。


『日本への憧れを覚えたのも――アーサー王伝説に憧れを覚えたのも――オットー小父さんに愛してほしいと願ったのも――全て、与えられた感情。全ては計画のために造られた私に与えられた、定められたレール』

「…………」

『私がこれまで目標にしてきた物、全てが自分の中ではない誰かが私に与えたものだった。頭にこびりつく日本への執着。魂に刻み込まれたアーサー王への妄執。心にかきまぜられた小父さんへの愛。気持ち悪い。そんな自分がとても醜くて、化け物のように感じてしまう』

 

 アイの独白は悲痛が混じっているものだった。彼女はまだ幼い。熟していない精神がこんな想いを抱けば、あの優しくも真面目なアイが卑屈になってしまっても仕方がない。

 俺は0と1の世界を突き進み、その声の主を探す。記録データは何度も同じような情景をリフレインさせている。退屈な日常。同じような日々の繰り返し。アイの人格があのように形成されるのが不思議なくらい、その記憶は色褪せていた。


『彼ら――遠見ちゃん達と出会って、あぁ、私は彼らとは違うんだ、なんて感じてしまっていた。いいえ、そう思っていなかったけれど、ここに来てしまえばそう思っても仕方がない』


 いや、ここは逆に言えば彼女が都合のいいように忘れていった記憶領域なのだ。だからこそ、普通では思い出さない事も、彼女が何かしらの原因でのこの通信端末に意識が移ろえば、思い出してしまう。

 なるほど。そういう意味では人間ではないのかもしれない。俺だって覚えがある。この肉体になってから物を忘れる事は出来なくなってしまった。肉体のストレージに記憶を幾つか移すなどをして対処しているが、それでもかつてのように記憶を忘れる事はなくなってしまった。


「私は……人間じゃない。お母さんのお腹の中から産まれたんじゃない。試験管の中で、中身を弄られて意図的に生み出された化け物……」

「それじゃ、俺も人間ではないな」


 その声の主は、聞こえてきた俺の声に気づいたのか、目を赤く腫れさせながらも振り向いた。頬を伝う涙の跡が痛々しい。彼女は、この電子世界でずっと閉じこもっていたのだ。


「まぁ、人間の定義なんて人間が勝手に決めたもんだし、そこまで悩むものではないんじゃないか?」

「せ、先生……」


 もう二度と出会えるかも解らない人物が、まさか自分の精神に入り込んできた事に驚いたのか絶句している。これに関しては、俺もまさか成功するとは考えていなかったら驚きであるが、面には出さないでおこう。

 アイのエメラルドカラーの瞳が一度潤み、しかし見開いてその瞳から光を失わせる。


「先生は、なぜここへ?」

「お前を説得するため。あぁ、手段としてはお前の通信端末に精神をアクセスさせた感じだが……まぁ、人間的な方法を使ってない」

「……無駄ですよ」


 俺を人外と認めながらも、彼女は無駄と嘆く。その声は震えており、恐怖しているように見えた。


「私は……帰れません。帰る方法も解りません。帰る資格もありません」

「どうしてそう思う?」

「私は……人間じゃないから」

「デザインベビーも人間だと思うが……まぁ、この辺りは人間の価値観の相違か」


 それに、そう思えるのも俺が人間の身体を有していないからだろう。彼女を羨ましいとは思ってはいないが、電子体になってから身体の重要性は理解するようになった。


「遠見ちゃん、瞬、優衣、ソフィア、カエデ、マルク、キノナリ先生……そしてヒューマ先生……皆と違うのが怖いんです。だってそうでしょう!? 私の生まれは歪んでいて、皆は普通に生まれてきて、皆と違うのが怖くて……怖くて……」


 錯乱していた。結局のところ、彼女が怖いのは、自分ではなく周りとの差異なのだ。彼女が一人ならば気づかなかった人との違いに、彼女は今になって気づいてしまって苦悩しているに過ぎない。

 思春期らしい悩みだ。彼女の場合はその幅は大きいが、大本はそれに過ぎない。誰もが一度は想う悩み。誰もが一度は感じる違和感。彼女はそれを、極大的に解釈して悩んでいるに過ぎない。


「怖い、ねぇ。生物ってのは完全に同じ物なんていないと思うが、それに関してはお前はどう捉える?」

「……いないとは思います。でも――」

「お前はその原点である生まれ方からして違う、と言いたいんだろうが、残念ながら俺の妻はそれに関しては否定するだろうよ。胎内か試験管かの違いでしょ、って。俺もそう思っている」


 まるで授業みたいだなって、漠然にそう思う。彼女の悩みはさして面倒ではない。彼女が、自分の存在を認めればいいのだ。だが、そこに至るまでが厄介であり、彼女の精神がいかに向き合えるかによって変わってくる。

 俺は彼女を見つめながらも、彼女に語りかける。


「お話しをしてやろう。ある男の人生の話だ」


 それは世間一般では秘匿されている、英雄と目される人物の話でもあった――

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