第37話:人間/調整子と
先生はまるで遠く懐かしむように呟き始める。
「その男は、後の歴史には勇敢な男と評されているが、その実態は自分をあまり考えない流される男だった。状況に流されるまま、漠然と生きていた」
「……それって、先生の――」
「ある時に至るまでは」
私の声を遮って先生は続ける。これはあれだ。語りが終わるまで喋らせてもらえない予感がする。
「その男は決断を迫られた。自分の命を張って、誰かを助けるか。それか逃げるか――結果は、男は愚かにも命を張った。たぶん、それが、男にとっては気づいていなかった運命の決断というやつだったんだろう」
「運命の決断、ですか?」
「あぁ。その選択により男は戦う道を選んだ。まぁ、この辺りはお前も知っていると思う」
含みのある言い方な気がした。私はてっきり、先生の話をするんだと思っていた。先生は凄腕のギアスーツ乗りだし、先生の過去は興味があったし――何より、自分と似ている気がしたから。でも、先生が私でも知っている有名人の話をするとなれば、それは先生の話ではないのだろう。
この世界――私の電子で構成された精神世界に入り込むこの人は、名乗ったように人間ではないのだろう。人間には到底できない事だ。だからこそ不思議に思う。この人は私に何を伝えようとしてくれるのか。
「男は何度も戦場を突き進んだ。その中で仲間を失い、仲間に出会い、様々な思惑に曝された……」
「様々な思惑?」
「人の思いは一つじゃない。恨みや妬み、哀しみや愛。色んなものが男を変えていく。その中で男は思ったのだ……あぁ、俺は生きているんだ、と」
その言葉に意味を見出す事は難しかった。先生の言うその男は、なぜ人々の思いに触れて生きていると感じたのだろう。
「その人は人間なんですよね? 生きている実感って、人間なら感じ得るはずです」
「……いや、人間じゃなくても感じる事は出来る。結局のところ、男は様々な生死を見てきたから、そう感じたのだろう。だからこそ、仲間を救うために、大切な人々を救うために、自分の身を犠牲にすると言う選択を選べる事ができた」
先生は少し寂しそうな表情を浮かべる。そこには確かに安堵や安心と言った穏やかな感情があるはずなのに、後悔の感情もまた存在しているような気がした。
「かくして、その男は英雄と呼ばれた」
「英雄……
それはギアスーツ乗りにとっての伝説の存在。二十年以上前に、世界の危機を一人で救ったとされる伝説の赤いギアスーツ。そしてその乗り手。
世界を襲った外敵――詳細は幾ら調べても解らないけれど――の最後の攻撃に、唯一対抗したとされている。消息は不明。だからこそ、先生のその語りは、まるで経験をしてきたかのような語りだった。
「せ、先生って、まさか――」
「もう一人の話をしよう」
先生は再び、私の声を遮る。今度の表情は、まるで獲物を捕まえる事の出来なかった鷲のように険しいものだった。
「その男は人間ではなかった。いや、人間であったが人間じゃなくなっていた。覚醒すると、その存在は変質し、彼は生物学上では人間ではなくなっていたんだ」
この話こそ、先生の話なのだろう。彼の言い分を信じるならば、人間ではない、という旨は信じるべきだ。
それに――こうも人間じゃない存在がいる、という考えを持ちたくはなかった。
「男は困惑した。幸い、記憶はある。自分が何者か、どうなってこうなったのかを彼は憶えていた。だからこそ苦悩した。自分は、人間じゃなくなってしまった、と」
「…………」
「人間と言う区切りから外れた男は、まるでこの世界の異物であるように自分を感じていた」
それは、私の感じている現状と同じ感情だ。私もまた、自分があの綺麗な人間の世界にいてはいけない存在だと感じている。だって、私は誰かによって造りだされた
だけど、先生はそこで不思議な笑みを浮かべていた。まるで、思い出すように、自然に浮かび上がる笑みを。
「……男が絶望しなかったのは、周囲が恵まれていたからだった。彼の正体を知りながらも、皆は彼を人間と呼んだ。かつての仲間が、彼を支えたんだ」
「でも、それは本質的には人間じゃない」
「そうだ。解決じゃない。少なくともその男は、人間ではないし人間と呼べない存在だ。男はそれを自覚していたし、人間ではない自分を受け入れていた」
強い存在だと感じる。その存在は、自分の存在の不安定さを覚えても人間である事を貫こうとしたのだ。
だけれど、それは私には通用しない。その人であり続けた存在は、始まりは人間であった。でも、私は人間じゃない。人間と呼ぶにはあまりにも歪だ。だから、私には人間と言う根底となる部分が存在しない。あるとしたら、人間の手が加えられて生み出された人造人間……紛い物だ。
「私には、その男の人のような強い心はありません。始まりが人間じゃない以上、私は人間であるはずがない!」
私の叫びは電子空間に広がる。この空間だって、普通の人は持ちえない物のはずだ。自分の精神世界に閉じこもるなんて、そんな事もあり得ない……。
これまでの私は、それを無視し続けてきたのだ。自分は人間だと、そう思い込んで。都合よく、人間であろうとした、紛い物。それが私。アイ・A・イグリスの正体だ。
先生は私を不思議そうに見つめてくる。その目が、嫌いだ。見つめられるのが嫌いだ。そうやって、私を覗きこんでくる目が嫌いだ。観察するように、化け物を見るようなその目が――
「人間と決めるのは、自分じゃない」
先生の声が、呟きが聞こえた。
「人間と言う定義を決めたのは人間だ。なら、その個人の存在を認めるのも人間。即ち、他者だ」
「えっ……」
「俺の話、聞いていただろう? その男は、他人から人間だと言われたから人間でいられたんだ。上辺だけでもいい。本質が人間じゃなくてもいい。その男が人間でありたいと願えた。だから、その男は人間で在れたんだ」
先生の言い分はよく解る。他人が、人間だとその人の事を言った。だから、その人は自身を思って自分を人間だと言い張ったのだ。素晴らしい話だ。羨ましい話だ。妬ましい話だ。
「でも……私は、私にはいない。私を人間と呼んでくれる人なんて……」
「遠見達がいるだろう?」
「遠見ちゃんも……瞬も優衣も! ソフィアもマルクも! カエデも、キノナリ先生も、絶対に怖がる! 化け物のように思われるッ!!」
あぁ……そうだ。それが一番怖いんだ。自分が人間でない事以上に、仲良くなった皆に化け物として見られる事が一番怖いんだ。
だから、ここから出たくない。帰りたくない。このまま、このままあの一か月にも満たない、充実した日常を思い出して消えてしまいたい……。
「……ようは、お前は遠見達を信頼していないと?」
「えっ……?」
先生は冷酷にもそう言ってきた。確かに、私の言い方ならそうも捉えられるだろう。だけれど、そんなはずはない。私は遠見ちゃん達を信頼している。信頼、しているはずなのに……
「遠見達と一緒に過ごしてきて、お前はそう感じたわけだ。バレたら、見捨てられる、と」
「……ちがう……けど……」
「いや、違わないな。けれど、当然の感情だ。解るわけがない。だから不安に覚える。隠し事をしている事がバレたら、どうなるか……けどな」
先生は私の肩を掴んできた。眼を逸らそうとする私を頭を掴んできた。逃げられない。逃がしてくれない。いや……逃がさないようにしてくれている。
「皆は、お前のために挑んだ。瞬は慣れない銃を使って戦った。遠見は必死にサポートをした。優衣は瞬にお前の事を託した。ソフィアもマルクも、解決のために動き出した」
「そんな……うそ」
「嘘じゃない! お前の正体を知っても、瞬は戦った。お前を取り戻す、と」
確かに、小父さんが私の正体を言っても瞬は止まらなかった。彼は私のために戦ってくれていたと言うのか。
先生は、ゆっくりと私の頭から手を離す。少しだけ何かを思案するような表情を浮かべた。
「お前の事を想う者がいる。たとえお前が、人間ではないと言われても、人間だと言ってくれる奴らがいるんだ。お前は人間だ。少なくとも俺が保証する」
「私は……人間?」
「あぁ。人間、アイ・A・イグリス。俺の大事な、教え子だ」
先生はそう言って、私の精神世界から消えていった。恐らく、戻ったのだろう。
……人間。私はその言葉が怖い。もしかしたら、元の世界に戻っても、人間じゃないと言われるかもしれない。そう思うと、心が震えて、立ち上がる勇気が消えてしまいそうになる。
でも――そうだ。私を待ってくれている仲間がいる。その仲間に、拒絶されても、せめて最後に何かを伝えたい――
私は脚に力を込める。立たなくちゃ。まだ、人間であるかなんて不安だけれど、せめてもう一度だけでも希望を持とう。私は人間。そう言ってくれる仲間がいると信じて。
世界は崩壊する。私は――現実世界に帰還した。
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