第4話:武蔵島/新天地である

「……タッ」


 脳裏に幾つものフラッシュが瞬く。気持ち悪いこの感覚に、私はズキズキと痛みを訴えかけてくる頭を、手で押さえながらゆっくりと身を起こした。フラッシュバックするのは真っ赤な手と、目の前で切り裂かれた男の――


「うっぷ」

「オ嬢様ッ! オ嬢様が復活しましたわ!」


 気を失う要因となったグロテスクな光景を思い出し、吐き気がこみ上げてくる。口内に広がる胃酸の酸っぱい味。

 私が目覚めたのに気が付いたのか、白髪の私の従者、チキが歓喜の声を出しながら、私に即座に近づいて背中を摩ってくれる。少し過敏な所もあるけど、私の異変にすぐに気づいて対処してくれる。

 しばらくそうやって私をあやしてくれて、私の恐怖から来る荒い息が治まるまで、私を抱きしめてくれた。たとえそれが無機質な肉体でも、そこに彼女の想いが伝わるのだから、私は彼女の優しさに触れて温かい気持ちになる。


「ごめん……ありがとうね、チキ」

「イエイエ。生きてイて良かったです、本当に」


 彼女のおかげで、ざわついた感情が落ち着いてくれる。私は、少しの名残惜しさを覚えながらもチキから離れた。チキもそれに合わせてパッと離れて、すぐさまに紅茶を淹れてくれる。私を安心させようと、いつものように振る舞ってくれていると思うと、彼女の献身さに涙が出てしまうかもしれない。

 ――そんな弱い自分は見せられない。私は、意を決してあの記憶に挑む。

 今の自分の姿が、あの時に真っ赤で染まった服ではなく、寝間着である事に気づいた。顔にも血が張り付いている感覚はない。チキが気を失っている間に、私を洗って着替えさせてくれたのだろう。チキの献身な態度に感謝と歓心を抱きつつ、私はあの後がどうなったのかが気になり、紅茶を淹れているチキに状況の確認を求める。


「チキ。あれからどれぐらい経ったの?」

「オよそ、一時間です。アの後、船は一時停止し武蔵島からの船を待ってイる状況ですね」


 海賊に攻め入られたのだから、船が運行できなくなっている可能性がある。それなら、武蔵島からの船を待っている間に、意識を取り戻す事ができてよかった。

 気が付いたら新天地の武蔵島にいた、なんて折角の楽しみを、自分の手で投げ捨てるようなものだ。

 だけど、チキは何だか怒り心頭のようで。


「でも、アの男……許せませんよ。私の身体を奪って勝手に使ってェ」

「えっ、チキ! 大丈夫なの!?」

「まァ、身体は大事にしてくれましたが……」


 そう言いながら、私に紅茶の入ったカップを手渡す。どうやら、肉体に損傷は本当にないようで、動きがいつも通りに滑らかだ。だから少し安心する。

 私は感謝の言葉を短く言って、ゆっくりとその故郷で慣れ親しんだ味を味わう。うん。やっぱり美味しい。

 武蔵島へ向かうだけだったのに、どうしてこういうトラブルが起こったのかは解らないけれど、少なくとも私達二人は生きている。その事に感謝すべきなのだろう。


「さァ、気持ちを切り替エましょウ! オ嬢様ッ!」

「そうだね。うん」


 チキがそうやって私を励ましてくれるから、私もまたそれに合わせて小さく微笑む。彼女の言う通りだ。船であった事は忘れて、気持ちを切り替えるべきなのだ。

 私は大げさに首をぶんぶんと回し、そして再び深呼吸する。大丈夫。大丈夫。そう言い聞かせて、私は憧れの地に思いを馳せる。そう、自分達は憧れの大地にたどり着き、そしてその新天地までやって来ているのだ。


「この後の予定って?」

「武蔵島に到着後は、学寮で受付をして個室のチェックです。本日はこれ以上は行エなイでしょウ」

「時間……あー」


 船内の備え付けの時計を見て察する。武蔵島に着いてから、学寮に付いたら日も暮れているだろう。確かに、外への探索は難しい。こればかりは仕方ない。

 私は少し残念に思うけど、時間はまだあるのだから、そこまで沈む必要はない、と無理矢理に言い聞かせる。逸る気持ちは抑えつけて、チキと二人で、これからの話で盛り上がりつつ迎えの船を待った。



     ◇◇Skip◇◇



 武蔵島に到着後、自分の愛機であるギアスーツの移動の確認をする事になり、私はチキと一緒に大急ぎでギアスーツの元へ向かう。完全に忘れていた。結局逸る気持ちが抑えられなくなって、いち早く武蔵島に入ってしまっていたのだ。

 港のトラックの横に立っているのは、いかにも頑固そうで鉢巻を額に巻いた、強気な筋肉質な男性が仁王立ちで待っていた。どうにも、武蔵島への搬入ギアスーツは私の機体で最後のようである。


「す、すみません……」

「ハァ……ま、仕事だし、送り返す事はしないが自分の愛機の存在は忘れないで上げてくれ」


 意外にも話せる男性に呆れられ、もう一度謝る。色々あったせいで、完全にギアスーツの存在を忘れていた。愛機に謝る事も忘れずに、その愛機の名前を呼ぶ。


「ごめんね、ギアーズ・オブ・アーサー」


 Gears Of Arthur――略してGOAと称される銀色の機体。それが私の乗機であるギアスーツであった。

 アーサーは、騎士道物語のアーサー王をモチーフに造られた機体であり、甲冑を着た騎士の姿をしている。左肩には盾があり、右肩には様々な武器を接続できるジョイントがあるのが特徴だ。新品だからかその銀色の装甲が眩しく光る。


「えーと、IRK-01 ギアーズ・オブ・アーサー。受領完了っと」

「ありがとうございます」

「この後、こいつは学校にあるギアスーツ保管施設に移送される。明日にでも確認してくれ」


 筋肉質の男はそう言って、GOAを連れてトラックに乗り込み、私を残して走り去っていく。恐らく、彼が学校に所属している、ギアスーツ整備の教師の方なのだろう。

 私はギアスーツの運用技術専門だから、そこまで深い関わりになるとは思わないけど、もしかしたら、もう一度会えるかもしれない。その風貌は、二十代前半のように見えたけど、ここを任されているという事は、それなりに凄い人に違いないわけであるし。


「向かイましょウか」

「そうですね」


 私とチキは、ギアスーツの受領を終えると、徒歩で学寮に向かう事になった。勿論、電車やタクシーなどの手段もあったけれど、私自身が武蔵島をゆっくりと見たかった事もあり、徒歩で歩む事にしたのだ。

 武蔵島――元々は生産技術などを全て賄う島になる予定だったけど、時代の流れによって、結果的に人が住みつくようになった予定外の島である。第二の日本、または日本を一つに濃縮した島とも言われている。

 そこで開発されている技術の中には、私の祖国が目当てとしているギアスーツ技術もある。


「オ嬢様。虫よけスプレー、使イます?」

「ううん、いいよ。ありがとう」


 チキのありがたいお言葉を断って、私はその美しい景色を見る。

 その外観こそ普通の島であった。内観も、さしてそこまで近未来的ではない。森もあるし、虫も飛んでいる。鳥はカモメが多く、空気は澄んでいて気持ちがいい。

 最先端技術の島だというのに、そこは日本の歴史に載っている自然豊かな島であった。


「綺麗だね」

「そウですねェ」


 思わず呟く。武蔵島。海に囲まれた、イギリスと似て否なる島。ここが私にとっての第二の故郷となるのだ。そう思うと、私は思わず手を広げて駆け出してしまう。


「エッ、オ嬢様!?」

「あははははッ!!」


 籠の中に入れられた白鳥が舞うように、水槽の中の金魚が解き放たれるように――自由を得た実感を覚えた私は、自然豊かなこの島で満面の笑みを浮かべる。

 これこそが憧れであった。それをやっと実感できたのだから。


「チキ。よろしくね!」


 嬉しそうに溢れる笑みで、そんな当然な事を言う。チキは、私が舞い上がっている事を察してか、曖昧な笑みを浮かべながらも、私が差し伸べる手に手を合わせる。


「エェ。これからも、よろしくオ願イします。オ嬢様」


 彼女の言葉に私は、もう一度彼女に抱き着いた。



     ◇◇Skip◇◇



 学寮での受付を終えて、個室に入る。とはいえ、チキも一緒に生活するため、個室の割には少し大きめの部屋を貸し与えてくれるようになっていた。普通の部屋の1.5倍の大きさの角部屋。505号室だ。

 その内装は、現在はダンボールで溢れている。私用品がイギリスから届けられていたのだ。チキはそれを確認して、私も確認された物を再び確認して、部屋の造形に合わせてどう配置するかを考えていく。


「端には冷蔵庫……あ、でもエアコンと被るかなぁ」

「オ嬢様。窓際に冷蔵庫が被ります」

「あっ……えーと、考え直しかぁ」


 チキと一緒に部屋の模様替えをしているのが、私には一番楽しく感じられた。私の故郷の部屋は、ここまで自由じゃなかった。生まれてから変わらない部屋。変わらない模様。それがいつしか、私にとってはただの風景に思えたのかもしれない。

 でも今、目の前にあるのは色褪せたと思っていた風景ではなく、多種多様の色づいた物だ。自由に移動させられるし、自由に置き換える事もできる。これほど嬉しい事はない。


「ふわぁ~……」

「オ嬢様。就寝しますか?」

「うん……そうする」


 思わず欠伸を垂れ流す私に、ベッドメイキングをしていたチキは自信満々にベッドを提供する。ベッドだけは、とチキは急いで整えていたのだ。

 私は、ゆらゆらと揺れ動く意識を頑張って繋いで、ベッドに倒れこむ。チキが私を支えて移動させて、掛け布団をかけてくれる。もぞもぞと動き、私は幸せな気分に酔いしれる。


「チキ……ありがとう」

「エェ。どウイたしまして」


 私を愛でるように頭を撫でてくれる。チキは、私にとって親友でもあり、姉みたいな存在であった。従者でこそあるが、私は彼女を信頼している。チキも私を愛してくれているはずだから、私の信頼に応えてくれるのだろう。

 そんな、ほのぼのとした関係が未来永劫続くと信じて――私は薄く微笑んだ。

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