第2話:黒鎧/青き光纏いし

「…………」


 騒がしい音がする。集団で何者かが、この船内の廊下を走っているような音だ。

 俺は息を潜めながらも、確かにその音を認識していた。日本のアニドール更新室から乗り移っている、この白髪が特徴的な女性型のアニドールには悪いが、これから起こる予定の面倒事に付き合ってもらう。


 ――あのォ……――

「…………」


 このアニドールの中身である電子頭脳――確かチキと呼称されていた存在が、窺うように話しかけてくるが無視する。

 彼女は外面こそ日本産であるが、その中身は日本産よりも性能の良い、イギリス産の電子頭脳を持っている。

 人間の思考能力までとは言わないが、それに追随するほどの能力を有しているためか、彼女は自分よりも高位の存在である俺に不信感を抱く。その感情は、俺には筒抜けだ。


「…………」


 必要のない思考をしてしまった。そうもしている間に、扉が力強く開かれる。彼女の主人にしてはあまりにも荒々しい。恐らくは金品を求める海賊……。

 俺はあくまで人形として、動かす事を止めたその赤い瞳から、扉を開けた相手を見つめる。


「チッ……人形か!」


 使い勝手の良い銃器、アサルトライフルを両手で持った髭面の小太りの男が、その銃口をチキの肉体に向けてくる。やはり海賊か。ボロボロのタンクトップが物悲しい。

 海賊は、引き鉄に指をかけないように――いつでも銃撃が行えるように、こちらを警戒しながらも近づいてくる。明らかに危険な状況だが、俺はまだ動く気はない。


「アニドール……だったか。高く売れる可能性もある、か。無力化できるなら持って帰ってもいいが……」

 ――ヒッ……――


 チキが怯えの感情を心内で漏らす中、動かない人形を見て警戒心を解いた男は、アサルトライフルを下ろして、この肉体の頬を触ろうとする。

 俺の心の中で、インプットされている生理的恐怖の感覚に襲われて、チキが喚き始めているのが解る。女性の人格には、この状況は辛いだろう。

 そんな彼女に申し訳なさは覚えるが、それもほんの一瞬だ。


 ――ひィッ……オ嬢様ァ……――


 そして男の手が、無機質でありながらも柔軟なチキの顔に触れるその瞬間――俺はこれまで硬直させていた肉体の右腕を動かして、その伸びていた男の手を掴み、そしてアニドールに備わっている怪力で、勢いよく手を引っ張り自分の胸元へ近づかせる。


「グァファッ」

 ――エッ?――


 その男が引っ張られた勢いのままに、チキの肉体に近づいたかと思えば、今度はその近づいた男の腹に、同じく怪力を内在させた左拳で殴り飛ばす。カエルが潰されたかのような下品な鳴き声を出しながら、男はそれで口から泡を吹いた。

 何が起こったのか――中にいるチキは理解できていなかった。だが、視覚的に自分の肉体が行った行動を、遅れてだが冷静に認識する。電子頭脳大国イギリスの電子頭脳らしい有能な認識力である。


「まったく……女形の人形に入り込む日が来るとはな」


 俺はとりあえず、無事に武器を手に入れられた事で肉体の硬直を解き、彼女の肉体の主導権を奪ったまま、溜まっていた愚痴を漏らす。声音の設定は彼女のままだから、違和感が生じるが些細な事だ。


 ――エッ……なんで動かなイんですか!?――


 中身であるチキの人格は、自分の肉体が奪われた事を認識し喚き散らしているが、俺は再び無視する。彼女の肉体には日本での情報更新の時点で肉体に侵入していた。チキの人格の自由は。それから無いに等しかったのだ。

 俺はその泡を吐く男が持っていた、武装組織に広く流通されている、フンド209という通称を持つアサルトライフルを握りしめた。残弾などのチェックを簡易的に済ませ、この肉体にフィットするかを確かめていく。


「海賊連中が……アカルトは死んだと言うのに、組織は死なずか。もはや、その意志も受け継がれていないだろうが……」

 ――アのォ……アなたは何者ですか? なぜ、私の身体を奪うのですか? 何が目的なんですか?――


 チキの人格は、アサルトライフルを構えた俺に、立て続けに疑問をぶつけてくる。

 長い白髪を鬱陶しく思っていた俺は、このまま喚き散らされたまま戦闘を行う事を考えて、簡潔に答えてやる事にした。


「任務だからだ」

 ――エェ……――


 彼女の答えになってない、という意図を含めた嘆きが聞こえてくるが、これ以上の会話をする必要はない。俺は、自分の肉体の違和感――主に長い髪や大きな胸――を軽くチェックした後、アサルトライフルを右手で構えながら、アイの個室を音を立てないように出る。


「…………」


 俺が想像するメイドのイメージを、そのまま具現化したかのような容姿をしている彼女の肉体は、銃などという野蛮な兵器を手に持った事はないだろう。彼女が持つのは箒であったり、アイのために淹れた紅茶だったり、そういう物のはずだ。

 だが、アニドールは人形だ。ある程度の動きもこなせるように設計されている。戦闘もこなせない道理はない。

 俺は、初めて履くハイヒールに四苦八苦しながらも、船内の白い壁が目立つ廊下を駆け抜ける。目的地はただ一つ。

 だがその道中、前方にアサルトライフルを構えた男達が現れるのを確認した。


「海賊か」

 ――海賊?――


 海賊と言えば、どの時代にどこにでも存在する賊だが、俺達の時代からすれば、該当するのはあの・・海賊だろう。

 十一年前、ある男と結託して戦争を引き起こした海賊。その残党だ。死んだある男の意志を引き継いだと言い張って、このように船を襲撃して盗みを働いている。

 ……だが、その意志はとてもじゃないが、引き継いだとは言えない。その男の理想は、こんな下劣なものではないからだ。


「ッ!!」


 俺はチキの身体を操り、現れた男達に向かって走りながらも、アサルトライフルの銃口を向けて躊躇なく引き鉄を引く。軽快な音が響き渡る中、チキの肉体は銃弾を放つ反動を諸に受け、肩に負担がかかる。普通は両手で構えるアサルトライフルを、右の片手で扱っているのだから当然だ。

 だが、この肉体は人間ではない。だから人間ほど脆弱な身体ではないのだから、この程度では腕は壊れやしない。


「グッ!?」

「ブフォッ!?」

「チィッ!!」


 放たれた銃弾は、様々な容姿をした海賊達の身体から、汚い鮮血を撒き散らかす。しかし、いつもと勝手が違うのが如実に結果に現れたのか、中には致命傷にはなり得ていない男も存在し、反撃とばかりにアサルトライフルで俺に撃ち返してくる。


 ――きゃアッ!?――

「チッ」


 その銃弾の弾道を一瞬のうちに予測し、アニドールの強力な脚力でジャンプをし、空中で縦に一回転をして銃弾を躱す。銃撃を躱された事に気づく反撃者に、俺は遠心力を計算しながらアサルトライフルの引き鉄を引いた。

 再び鳴り響く軽快な音と、男から放たれる血の混じった断末魔が、耳によく響いた。


「ふぅ……」


 一応、借り物の身体ゆえに、返り血を付けないように細心の注意を払いながら、俺はそそくさと廊下を走る。

 この人形の肉体での戦闘も流石に慣れた。チキの人格は、自分の身体が、自分の物ではないような感覚を覚えているようであった。まさか自分の身体が、このようなアクロバティックな動きができるとは思ってもいなかっただろう。


「ある目標地点に付けば肉体はお前に返す」

 ――本当ですか?――

「当然だ。俺は目的を達成すればそれでいい」


 俺は、その目的のためだけに、彼女の肉体を貸してもらっているに過ぎない。

 再び海賊に会敵した俺は、その肉体で無感動に海賊を撃ち殺していく。残弾が尽きれば銃を捨て、腰を屈めて低い体勢で動きながらも、殺した海賊が落とした銃を奪って継戦する。

 敵の武器を奪って、銃弾を避けて確実に相手を殺す。ギアスーツ戦闘と同じだ。チキの肉体は、ある程度は動けるとは言え、戦闘に調整されたものではない。だから、その肉体の限界を越えないレベルでの戦闘を行うように心がける。


 ――ウわァ……一方的――


 凄惨な戦闘を繰り返した後、あるエリアの目の前に立つ男達を無抵抗の中で撃ち殺す。

 ここが俺の目的地。ギアスーツ保管室。俺は両手でアサルトライフルを構え、伏兵に警戒をしながらも、その部屋の中へ侵入する。

 たくさんの人型の装甲の塊が置いてある。ギアスーツはパワードスーツで、中身がないと自立もできない。だから、それ専用のアニドールが支柱となって、保管されている事が多い。


「あった」


 そしてその中で、俺があらかじめ仕込んでおいた、自分の機体の目の前にゆっくりと立つ。

 黒き装甲のギアスーツ。愛機を幾度もなく改造し、その面影は限りなく少なくなってしまった。赤き装甲は黒に染まり。赤き光は青に染まった。過去との決別の機体――ブルーライン。

 その右腕には、巨大な刃を持ち、側面にはシールドも装備されいる加熱式大剣ヒートブレイド――ルベーノだけが装備されていた。必要最低限の装備である。

 チキの肉体で黒い装甲に触れて、その中にいる自分の肉体に意識を移す。彼女の役目はここまでだ。


「ア、戻った……」

「すまなかったな」


 チキは感慨深げに自由になった自分の肉体を確認し、そして目の前のギアスーツ――俺を見つめてくる。察しの良いようで、俺がブルーラインに移った事に気が付いたのだろう。こうも高性能だと今後に不安・・を感じる。

 俺はそんな彼女を無視して、ギアスーツの肉体をイメージする。ギアスーツは肉体の延長線上だ。人が服を着るのと同じ原理。俺が動かすのは機動する鎧だ。

 その黒い装甲に埋もれた、青白い光が線のように肉体を走り、顔である開けたバイザーにも光が灯り、頭に設置されてるメインカメラを介して、眼前に世界を映し出す。

 仲間からは、闇夜に浮かび上がる幽霊のようだ、と言われていたか。縁起でもないが、今の自分を思えば冗談では済ませられない。


「オ、オ願イします!」


 肉体のイメージをギアスーツに浸透させる間に、肉体を取り戻したチキは、俺に懇願しようと神に祈るように俯いていた。

 肉体を奪われて人殺しを体験させられて、それでもなお、彼女は俺に立ち向かう意志を有していた。


「私の主人でアる、アイオ嬢様を助けてくださイ」


 彼女が心配する少女は、確か甲板にいるはずだ。チキの献身的な懇願に、少しばかりの感心を抱く。そこまで誠心誠意を見せられると、人間として応えたくなるものだ。

 だからこそあえてそっけなく、そしてあくまで冷静に答えてやろう。


「当然だ。それが任務だからな」


 それだけを伝えて俺は、装甲から漏れ出すエネルギーを主推進システムスラスター代わりにし、ギアスーツ保管室の天井を突き破る。痛い。だがこれが、一番早く彼女の想いに応えられる方法だ。

 ふと下を見る。献身的な従者は、もうそこにはいなかった。個室に戻ったのか、それとも彼女を助けに行ったのか――いや、彼女ほどの高性能な電子頭脳ならば、個室に戻るであろう。非日常に侵された主人に、日常を提供しようと思考するはずだ。

 最近の電子頭脳もバカにはできないな、と技術の進歩を噛み締めつつ、俺は次なる戦場へ降り立つ。



     ◇◇Shift◇◇



「動くなよ……」


 甲板の端に集められた乗客は、カルゴを身に纏っている男に、銃口を向けられながらも脅される。私もまたその一人であった。せめて、誰かがギアスーツ保管室にさえ行けば、多少はこの状況が変わるかもしれないけれど、男の纏った警戒心はそんな猶予も隙を作らなかった。


「チキ……」


 私は自分の事よりも、個室に籠っているであろうチキの事を心配してしまう。彼女がいたから、自分は自分でいられたのだから。私が今できる事は想う事だけ――――


「おいッ! 聞いてんのか!?」

「ヘッ?」


 その思考の一瞬に、私は胸ぐらを掴まれて、宙に浮かされて、怒鳴り散らされていた。海賊のカルゴが、なぜか私を掴みあげていたのだ。

 なぜ? どうして私なの? そのような思考が反響する。

 男の気まぐれなのか。そんなのは解らない。解るわけがない。解るつもりもない。でも、だからこそ理不尽に思ってしまう。


「グッ……ゥゥ」

「チッ」


 私は、恐怖で震える肉体を抑え込むために、必死に力を込めた。でも身体は、私の想いを裏切って目尻に滴を生み出し、私の中に後悔の想いを募らせていく。

 ここで終わってしまう。国のためにと想ってやってきた。国から、大好きな物語を原型としたギアスーツを貰ったと言うのに、まだ何もできていない。

 悔しい。でもそう想っても何も変わらない。その想いの残滓が、私の口をゆっくりと動かせて言葉を漏らした。


「タ……す……けテ……」

「――当然だ」


 それは懇願であった。祈りであった。誰かが、私のその最後の声を聞いてくれると信じて。

 だから――その声に答えるような声が聞こえた気がして、私は絶望で霞みかけていた目を見開いた。


「グァアアアアアアアッ!?」


 瞬間、私の目の前が真っ赤に染まる。胸ぐらを掴んでいたカルゴが、その肉体を綺麗に縦に裂かれた。そこから生み出された、人の生きていた証が私の視界を塗り潰したのだろう。

 カルゴを裂いたのは刃。赤く光った刃が、カルゴを切り裂いたのだ。

 どこから? 空から。少なくとも、カルゴを真っ二つにできるぐらいに、上空から落下して切り裂いたのだろう。

 そしてその刃の主は、露払いのように刃を振り降ろし、海賊を真っ二つに裂きながら血塗れの私を睨む。赤い視界に浮かび上がる青白い光に塗れたバイザー。


「黒の……ギアスーツ……」


 黒に塗られた鎧を身に纏った、青白き光を放つそれは、切り裂いたカルゴを薙ぎ払う。弾き飛ばされる男など目もくれず、その漆黒の鎧は、私をただ見つめる。その姿は、いつしか読んだ事のある漫画のヒーローのようで。

 それは、私にとっての運命との出会いであった――――

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