プロローグ:Beginning of fate

第1話:憧憬/日本という名の

 反芻する記憶。嗚咽に塗れた感情の濁流。吐き気を催すような感覚に、私は点在する思考を求めて、自己の内宇宙に意識を閉じ込める。

 未だ冷めぬ、地獄の憧憬から逃げ出すように、私はあの頃を思い出す。それが現実からの逃避と知っていても。いいじゃない。絶望の中で希望があった頃を思い出しても、と自分に言い聞かせて。今ある現実を現実として認めずに、夢の中で微睡むように。

 そう、あの頃。私がまだ私と知らなかった、最初の記憶――



     ◆◆Re:play◆◆



 ――揺れている。目が覚める。

 振動音が肉体に響く。たとえどんなに時代が進んでも、その振動を全て消し去る事なんて出来やしない。とはいっても、その弊害を受ける代わりに、航空時間は確かに短縮に成功していたはず、と私は霞んでいた意識の中でそう思考していた。


「ふわぁ~」


 イギリスから日本へ飛行機で六時間。その振動で意識を取り戻した私は、眠気から脱出するために閉じていた瞳をゆっくりと開ける。何時間ほどかは解らないけれどいつの間にか眠っていたようで、私は呆然としつつも、その指で瞳の前に垂れる長い金髪を払いのける。


「んー?」


 すると霞がとれ始めた視界は、脚からズレ落ちていた茶色の毛布を認識した。いつの間に毛布を受け取ったのだろう。もしかしたら、キャビンアテンダントさんが気を効かせてくれたのかもしれない。サービスがしっかりしているなぁ、と歓心をしつつ毛布を手で折り畳む。

 眠気も無くなってきたので周りを見渡すと、航空機の座席の間を伝って、他の乗客がそそくさと動き始めていた。先程の振動は、乗っていた飛行機が無事に目的地に着陸した証拠だったらしい。ゆっくりしている暇はない。私は、隣で機能を停止している大事な従者の肩に手をかけて、優しく揺らし起こす。


「起きてください、チキ」

「――再起動完了」

「行きましょう。日本です!」


 機械的なシステムの起動を示す電子音声が響く。私はそんな機械的な従者の手を取った。彼女らしい人間味のない無機質な手。でも、私はそんな彼女が大好きだ。

 彼女は人間ではない。人間を模した人形。ある界隈では有名な日本人技術者が開発したという、アニドールと呼ばれる人型ロボットだ。人間と同じ関節、人間に模した筋肉を持っていて、まるで本物の人間であるように見える人形。私のアニドールは、外が日本製であるのに、中身はイギリス製の電子頭脳を搭載しているハイブリッドなタイプだ。


「……大丈夫?」

「しばしお待ちを――」


 私がチキと呼んでいるアニドールは、イギリス人である私のために、親代わりの小父さんが日本から取り寄せてくれたアニドールである。容姿こそ白髪に長髪で赤目と目立つけれど、その可憐な姿は人間と比べても謙遜もなく、白と黒のメイド服も相まってとても可愛らしい。

 そんなチキが二回ほど瞳をパチクリと開いて閉じて、現在の状況を理解しようとする。そして、私の触れている手を支えにせず、グィっと立ち上がった。


「行きましょウ。日本です!」

「だから日本だよ……」


 チキの天然な一言に、思わず軽い溜め息を吐いてしまう。彼女は再起動したてで、意識がハッキリしていないのだろう。私はそんなチキの手を取って、飛行機から降りるために歩いていく。いち早く、この飛行機から出て外の世界を見てみたい。

 そう。私にとってこの大地は、新天地であり憧れの国。過去に黄金の国とも呼ばれた、ギアスーツ最先端技術国、日本なのだから。



     ◇◇Skip◇◇



 日本。二十三年前にあったとされる、世界中を巻き込んだ外敵戦争。その二つ目の犠牲となった国である。厳密には都市部である東京が特に大きな被害を受けて、その機能のほとんどを失った、と故郷の図書館の本ではそう書いてあった。

 だけど、流石に二十三年も経過しているからか、ある程度の復興はなされている。集中貿易都市、東京として。政治面は大阪、京都に移り、東京は人の在住しない貿易のみの都市となったらしい。


「えーと……確か」


 ちょっと自信が無くなったので、小父さんにもらったパッド状の携帯端末で調べてみる。

 実際は人の住めない土地という認識は間違いらしい。でも壊滅当時の世論は、被害を受けた東京を首都として復興する事は、とてもじゃないが時間がかかると決めつけたそうな。


「ふむふむ」


 しかし、東京の価値がこれで下がったわけではなかった。観光都市としては未だに有益であり、あくまで人が住まないようになっただけである。実際、私が見渡している空港にも係員は存在する。彼女達は東京の外から働きに出てきているのだろう。

 そんな東京の知識を反芻させていた私の元に、受付にいた女性係員が声を上げて私を呼び止めてきた。


「すみません。アニドールの更新とパスポートの確認をしてないようですが……?」

「あっ!? ごめんなさい、初めてなもので」


 ――やってしまった。

 初めての日本で浮かれすぎていたようで、私は入国手続きを済ませていなかった事に気が付く。観光客には迷惑はかけていないけれど、私はまだ入国ゲートさえ潜っていないんだ。

 黄色と白で彩られた空港の中、私はずっとパッドを見つめて歩みを止めていたのだ。


「アニドール、預からせてもらいますねぇ」

「あ、はい!」


 私に着いてきていたチキは、別の係員の女性に受け渡され、情報の更新のための部屋へと連れて行かれた。変な事されないとは思うけど……ちょっとだけ不安だ。

 日本語は学んできているので、首尾よく事が進むと考えていたのだけど、最初の段階で躓いてしまったようだ。その事に少しの羞恥は覚えるけれど、ここで落ち込んでも仕方がない。

 私はあまり気にしないように、心の中で自分を落ち着かせて、係員に自分のパスポートの情報が入った手のひらサイズのパッドを見せた。


「アイ・アルトリス・イグリスさんですね。歳は十六で生まれはイギリス。今回の渡来の目的は?」

「留学です。日本のギアスーツの運用技術を会得するために、武蔵島のギアスーツ養成学校へ」

「あー。なるほど、解りました。パスポートに旅路のデータを追加しておきますね」


 係員はそう言って、手慣れた動きでアイ――私のパッドに情報を送り込む。流石プロフェッショナル。手際が良くて見習いたいくらい。

 そんなテンポの良い動きを羨ましく見ていると、チキが係員に連れられて戻ってくる。特に外見での変化はない。あくまで日本での生活において、主人である私が困った際に、滑らかに、速やかに反応できるようにするための、そういう類の情報更新をしたようであった。

 私の方の情報更新も出来たようで、係員の女性はこれからの私達の旅路を想い、送り出すために笑顔を見せて、


「良い旅を」


 と、短くだけど私のこれからの四年間を祝福してくれた。優しい笑顔だ。私はそんな笑顔に応えたくなって、日本の感謝に対する応え方であるお辞儀をする。

 チキと一緒に練習をしてきたけど、やはり少しぎこちないかもしれない。

 そう思いつつ、恥ずかしくなりながらも顔を上げると、そこにはまだ笑顔で係員の女性がいてくれたので、安堵の息を漏らしてしまう。


「とりあえず……良かった」


 初めての日本の風習に戸惑いを覚えながらも、日本語が日本人相手に通じる程度にはちゃんと出来ている事に自信を覚えて、チキに自慢がしたくなり、彼女の方を見る。


「…………」

「チキ?」


 チキは――なんだか少しだけ、いつもと違っていた。容姿は変わらない。でも、仕草や雰囲気が彼女らしくないと感じる。八年来の付き合いであるから解ってしまう。

 私はちょっとした不安を覚えた。心の中にある浮ついた熱がすーっと冷める感覚。目の前にいる、ずっと一緒にいてくれた大事な従者が、いつもとは少し違うという恐怖に。私はそれに耐えきれなくなって、手を震わせながらチキの手を握る。


「大丈夫? やはり情報の更新に手間取っているの?」

「いえ。大丈夫です。行きましょう。時間もありますし」


 チキは流暢になった日本語で、私の手を引っ張って空港から出ようと催促する。やはりおかしい。チキは基本的には冷静で、私をよく手助けしてくれる子だけど、いつもは私の意見を重視してくれて、自分から率先して行動を見せる事はほとんどない。

 日本のデータを受け取り、日本語のデータ以外にも日本の常識などがインプットされてしまって、それが原因でおかしくなっているのかもしれない。


「んー……」


 もしそうだったとしたら、私がどうにかできる問題ではない。私にはアニドールを弄る技術がないからだ。

 仕方がないとはいえ自分の無力感が悔しくて、せめてもの想いで、チキの手を強く握り返し横に並び立つ。

 私にとってチキは姉みたいな存在であり、妹みたいな存在であり、母みたいな存在である。だから、彼女がおかしくなったら私が彼女を支えるべきなのだ。


「チキ。楽しい四年間にしようね!」

「はい。お嬢様」


 私にとって、チキは憧れの国が生み出した、大事な友人の一人であるのだから。私にとっての支えでもあるのだから――



     ◇◇Skip◇◇



「ひろーい!」


 タイムスケジュールが詰めに詰まってしまったので、東京の観光もまともにできないまま、予定通りの時刻に客船に乗り込む事になった。

 私は船の甲板で祖国とは少し違う青い海を見つめて、感動のあまりに大声で叫んでしまう。そんな私を見て、訝しむ人達もいるけど気にしない。感動したのだ。仕方がないんだから。


「すぅー……はぁー」


 やはり空気も、何もかもがイギリスとは違う。日本の特有の空気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐くのを繰り返す。

 従者であるチキは、日本に来てからの情報更新がやっぱり多かったようで、私との二人の部屋で情報の整理を行っている。時間がかかるようだったので、二人での船内探索の予定を取りやめて、私一人で甲板まで出てきたのだ。


「武蔵島には隠れた名店があると聞きましてな――」

「かーもーめーさん!」

「日本の水はうめェなァッ!」


 甲板には、武蔵島に向かう老若男女が海を眺めていたり、飲み物を飲み交わしていたりしていた。

 武蔵島は日本本州――今では大和島とも言われているようだけど、その太平洋側に作られた人工島だ。最東端のある島を中心に造られた島であり、次世代の主要都市となる予定で建設されていた。開発時期が二十年前らしく、人工島としてはまだまだ新しい島である。

 私はその島の、ギアスーツ養成学校に入学する予定なのだ。


「予定ではこのまま一時間の移動だから……ちょっと暇かも」


 私は予定が書かれたパッドを片手に、自分がこれから学ぶ技術の大元について頭の中で思い返す。

 ギアスーツ――和名では機動鎧装とも呼ばれるパワードスーツの事だ。現在の世界の主要となっている兵器であり、戦車を造るぐらいならギアスーツを五機造れと、陸軍の偉い人が格言を残すほど、コストパフォーマンスに優れた兵器とされている。

 日本には、ギアスーツ開発の第一人者がいる事もあって、ギアスーツ開発に関しては、私の祖国であるイギリスよりも発展している。だから、日本のギアスーツの運用理論を会得するために、私は日本への留学が認められたのだ。

 祖国のため、そして憧れの国で住まうために。私は必死にギアスーツの動かし方を覚えて、今ここにいる。


「んー……早く着かないかなー」


 新しき生活、憧れの国。イギリスという、狭い世界で生きていた私からすると、この国で四年間を過ごすのは心が踊る。そわそわとリズムよく弾む胸に合わせて、思わず小躍りしそうになっちゃうくらいに。

 ――ッ!?


「キャッ!?」


 その私の晴れやかな気持ちは、突如響き渡った銃声によって掻き消された。

 青い空に響く軽快なその音は、ギアスーツ乗りである私なら、幾度となく聞いた事のある音であった。

 乗客のほとんどが、その恐怖を植え付ける音に驚いて動きを止めてしまっている。日常ではありえない音。日常を非日常に簡単に変えてしまう兵器の咆哮。それを操る主が、海上から甲板に現れる。


「ギア……スーツ」


 全体はくすんだ紫色をしていて、大きく目立つバイザーが特徴的なギアスーツ――二世代前の旧式とされるカルゴが、一般的な銃器、アサルトライフルを片手に構えて現れたのだ。

 現在では旧式とされるカルゴ。でも、生身の人間にとっては、脅威となる兵器に変わりはない。


「動くな! 動くと撃つぞ?」


 突然の人型兵器の登場に腰を抜かす者が出る中、そのカルゴは焦りを感じさせる声音で、銃口を私達に向けながら宣言した。

 この人がどういう人かは知らないけれど、どうにか目を盗んで、船の中にある自分のギアスーツの元へ行かないと……嫌な予感がする。それこそ、誰か死人が出てしまうんじゃないかって。

 そう考えたけれど、カルゴの特徴的な大きな水色のバイザーが、私の取ろうとしている行動の全てを見透かしているように見えて、その場から動くにも動けない。


「この船は海賊がいただく! お前達は……人質だ」


 海賊を名乗った男の声は、酷く冷淡なものであった。ギアスーツに乗るようになって、大人相手でも戦えるようになった私でも聞いた事がない、ドスが効いていて、自分達の心を握り潰そうとするかのような摩耗した声。

 私は、何も纏っていないからこそ生まれる恐怖に飲み込まれる中、個室に取り残した大事な彼女の名前が浮かび上がり、思わず呟いてしまう。


「チキ……」


 海賊と名乗るのだから、複数人で行動をしているに違いない。海賊が行うのは強奪であるはずだから、ギアスーツは勿論、世界的には高級品であるアニドールですら、奪われてしまうのは想像に難くない。

 そんなのは嫌だ、と思っていても命を握られている今、下手に動く事は叶わない。チキとの別れに恐怖し、私は奥歯を強く噛みしめる事しかできなかった。

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