肉のうつわに宿るもの
※これは割とグロいよ!気をつけてね!
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今、僕は死んでいる。
I am dying.とでも言えばいいのだろうか。
僕の身体はもう何も感じない。痛みも無い。右頬は血だまりに触れている筈だけれど、血の冷たさも感じない。
うつ伏せに倒れた僕の視界からは、僕を刺し殺した少年の脚しか見えない。
彼は右へ左へうろうろと歩き回っている。その前は僕の傍らにしゃがんで僕の背中をやたら執拗に滅多刺していた。
短く刈り込まれた黒髪に糊の効いた白いワイシャツという格好からは、まさか通りすがりの中年男の腹をナイフで刺そう人物とは到底思えない。もっとも今となってはワイシャツも血まみれだ。
彼はいったいどうやって帰るのだろう、着替えはあるのだろうか、とぼんやり考えていると、少年の脚がまた僕に近づいてくるのが見えた。
拳で殴られるような衝撃が背中に降ってくる。何度も何度も。
少年はどうしても僕にとどめを刺したいらしい。
すでに充分刃物にえぐられてひき肉状になった僕の背中を、飽きもせず刺し裂き切り開く。痛みは感じないのだけど、この具合ではきっと内蔵も酷い状態になっているのではないだろうか。嫌だなぁ。後片付けが大変になるじゃないか。僕は『立つ鳥跡を濁さず』を信条にしているというのに。
「なんだよなんでだよなんで死なないんだよなんなんだよこいつ」
少年は僕を刺す。背中を、とは言えない。今は背中と腸と腹部の肉を砕いてほどよく混ぜたペースト状の何かを刺している。
「死ねよ。死ねよ死ねよ死ねよ。死ねよ死んでくれよ」
もう小一時間も同じ作業を繰り返している少年はぶつぶつと呪詛を呟く。彼はきっと、自ら進んで殺人を犯すような人間では無いし、その行為に耐えられる精神も持っていなかったのだろう。かわいそうに。
しかし彼には悪いが、僕はもう死んでいる。
彼が僕にナイフを振り下ろす一回一回に、僕は死んでいる。そしてナイフが抜かれるその瞬間に生き返る。ナイフを抜かなければ死んだままかというと、たぶんそんなこともないのだろうけれど。
さて、少年が諦めて帰ってくれれば僕も後片付けをして帰れるのだが、彼はどうあっても僕の死を確認しなければならないらしい。そして、彼の後ろにいる人物に諦めてもらえなければ今彼を諦めさせたところであまり意味は無い。
やらねばならないだろう。実に二十年ぶりではあるが。
涙と鼻水にまみれた、まだ幼さの残る顔へ、僕は手を伸ばす。
ひとまず初動捜査は終えた。
アスファルトに盛大にぶちまけた血を一滴残らず体内に納めて、ついでにできたてほやほやの死体も納めて、僕はほっと息をつく。
ともかく、今日のところは家に帰れそうだ。明日以降のことは家内と相談して決めるほかない。
足を帰路に向けて、もう一度息をつく。今度は重く暗い感情をこめて。
怪物に生まれて数十年、人間としての暮らしもなかなか板についてきた。息子が生まれてからは、せわしなくも幸せな人生だった。その息子ももうすぐ大学生。子育ても一段落することだし、これからは家内とのんびり旅行にでも、と予定していた、その矢先にこれだ。
旅行は延期。僕はしばらく『怪物』に戻らなければならないだろう。
仕方がない。これも家族を守るため、そして僕がこれからも人間であり続けるためだ。
暗い脇道から大通りへ出ようとした、その時。
がたん、と背後で物音がした。
振り返れば、大きな青いゴミ箱の陰から、少女が顔をのぞかせている。まだ十五、六歳ほどだろうか。セーラー服がよく似合う、おとなしそうな子だ。
その少女が、僕を見て顔をひきつらせている。ぱっと見はただの中年サラリーマンにしか見えないはずの僕を、そう、まるで『怪物』を見るような目で見ているのだ。
理由はひとつしかない。ああ、見られてしまったのか。
一歩、少女に向けて踏み出す。
地べたに尻もちをついた少女は、あわてて後ずさろうとする。膝が震えてうまくいかないようだ。ただいたずらに手のひらを擦りむくばかり。
「ぞ……ゾンビ……!」
失礼な子だなぁ。思わず眉をひそめる。
刺されても生き返るからと言って、僕は死なないわけではない。体だって腐肉でできているのではない。
二十年前の現役時代もよくゾンビに間違えられたものだけど、やはり世間のイメージに従うと、僕はゾンビの仲間ということになってしまうのだろうか。
僕は足早に少女に近寄り首を掴んだ。そして、今来た方へ、裏道の暗闇の奥へと引きずっていく。
「あ……あぁ……っ! やめ……っ」
苦しい息の奥から、途切れ途切れに少女の命乞いが聞こえる。
胸が痛い。さきほどの少年しかり、こんなにも若い子を。きっとこの子にも、帰りを待つ親やきょうだいがいるだろうに。この子が帰って来なくて、彼らはいったいどれほど悲しむことだろう。
でも、仕方がない。仕方がないのだ。だって、見られてしまったのだから。
僕は怪物に戻りたくない。人間でいたい。
世間に好奇の目で見られることも、恐怖の目で追われることもなく、愛する家内と息子と、ただの人間としておだやかに生きていきたい。
そのためには。
月の光も届かない暗闇の奥。
人ならざる牙を突き立て少女の屍肉を貪る
誰もなかったのだ。
<了>
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