いただきます

 板の上に丸い実を載せる。洗ったばかりだからまだ濡れているけれど、それを抜きにしてもみずみずしくて、いいものを選んだと笑みがこぼれる。

 傍らのコンロでは湯がぐつぐつと煮立っている。中のパスタがゆだり切るまでにはまだ時間がかかるだろう。

 ぷつり、と包丁の刃をたてれば、それはこともなくするりとまっぷたつになる。どうせ潰してしまうので綺麗に切る必要もないのだけど、張りつめた皮を破る感触が妙に楽しくて、私は次々とトマトを切り刻んでいく。

 刻んだトマトをオリーブオイルで炒めて、そこにイカを加えて……と調理工程を反芻する思考に、ふいに忍び笑いが混じった。


「いいにおい。お腹すいてきちゃったなぁ」


 くすくすと密やかに、どこかわざとらしくさえ感じるあいらしさを秘めた笑み。その持ち主は、キッチンに立つ私へ向けて言う。


「ほんとう、器用だよねぇミヤタは。僕がやったら指のひとつも切り落としちゃうかも」


 そう思うのなら、急に背後に立つのをやめてくれればいいのに。

 今まで何度小言を言っても料理の邪魔をやめない幼い男児に、思わずため息をこぼす。

 そうしている間にも返事をしない私に焦れたのか、今度はその細い腕で私の腰にすがりついてくる。


「ねえ、ミヤタ。僕の話、聞いてる?」


「やめなさいイツキ。危ないでしょう」


 叱っても、「ミヤタが気をつけてくれればいいんだよ」とむくれるばかりで一向にこたえる気配が無い。


「ああほら。ぼーっとしてたらソースが焦げちゃうよ」


 焦げません。ちゃんとかき混ぜて面倒をみています。


「次はお肉足すんじゃなかったっけ?」


 足しません。今日は海鮮パスタです。


「ちょっとお野菜少ないんじゃないの? いつももっと食べろって言うくせにさぁ」


 別にサラダを作ってあります。安心なさい。

 お前は小舅かと言いたくなるのをぐっと堪える。

 茹で上がったパスタを二等分し、できたてのソースをたっぷりかけると、トマト特有の甘い匂いがふわりと立ち上った。思わず会心の笑みを浮かべる。今日もいい出来だ。


「イツキ、お皿をテーブルへ運んでください」


 未だ私の腰にしがみついたままのイツキへ声をかければ、即座に「えー」と不満げに返された。それでもおとなしく運んでくれるあたり、彼もお腹がすいているのだろう。自分の皿「だけ」ではあったが。

 イツキが運び残した私のパスタとサラダをダイニングテーブルへしつらえる。

 あとは飲み物とカトラリーを、と机に指を滑らせて、気がついた。

 フォークと水のグラスが既に用意されている。


「イツキ、これは――」


 言いかけて、言葉は上品な咀嚼音に遮られた。


「……イツキ、いただきます、は?」


「いただいてまぁす」


 そうわざとらしく言って、くすくすと嗤う。

 全く、これだからこの子は。いつも少しの善行のあとに少しの悪行を付け足して、こちらに感謝の一言を言わせない。その言葉の、何がそんなに嫌なのかはわからないけれど。

 「イツキ」と呼びかければ咀嚼がやんで「ん?」と軽い音が返ってくる。


「お手伝いをしてくれて、ありがとうございます。助かりました」


 沈黙。

 ややして、カチャカチャとフォークが皿の上で回る音がする。

 咀嚼音。


「早く食べなよ。にやにやしてないでさ」


 つっけんどんにそれだけ言って、イツキはまた押し黙ってしまった。

 そうか、私はにやにやしていたのか。

 今、イツキがどんな表情をしているのか。それを見られない私の両目を少しだけうらめしく思って、私は両手を合わせた。


「いただきます」



<おしまい>

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