青に恋して

 彼女は本当に美しい。

 かわいいと言い換えてもいい。

 どちらにしても、そんな一言では彼女の魅力を存分に表すことなどできない。

 澄んだ青い瞳はさながら秋晴れの空のようだ。漆黒の髪は短くぼさついてはいるが、指を通すたびに触れるちくちくとした痛みさえ彼女の心に触れているようで嬉しく思われる。

 いや、だが光沢が見られないのは不安かもしれない。きっとあまり良い食事を摂っていないのだろう。いったい親は何をしているのか。




 そんな話の繰り返しを俺は延々聞かされていた。

 友と呼ぶほどには親愛のない、しかし知り合いと言うには長い時間を共に過ごしすぎた俺の幼なじみが急に「大変なことになった」と電話をかけてきたとき、心配などせずに即刻叩き切るべきだったのだ。

 だが心優しくお人好しな俺は、この馬鹿がまた何か厄介事に巻き込まれたのかと一も二も無くすっ飛んできてしまった。本当にお人好しだ。そんな俺もまた馬鹿だと言える。


「それでだな」


 まだ続くのか。俺はわざとらしく、大きく、盛大にため息をつく。


「彼女はとても活発な子で――」


 無視された。

 どうやら俺の幼なじみは随分厄介な女の子に恋をしたらしい。

 まとめるとこうだ。

 一ヶ月前、こいつはバイトの帰りに公園のベンチで震えている女の子に出会った。日没も間近な夕暮れ時のことだった。雨も無いのにびしょびしょに濡れ、やせ細った身体を小さく丸めてベンチに横たわっていたという。

 哀れに思ったこいつはハンカチで髪を拭いてやり、バイト先でもらった廃棄のコンビニ弁当までくれてやった。

 そこまでしてやったのだから、普通は恩に思って事情の説明なり感謝の言葉なりを口にするところだろうが、彼女は何をいうこともなく、食うだけ食ってさっさとどこかへ走り去ってしまったらしい。

 それからというもの、こいつはバイト帰りの度に公園で彼女と出会うようになった。彼女が毎日公園を訪れるらしいと知ってからは、バイトのない日でも公園に通った。まるで待っていたかのように(実際待っていたのだろう)彼女は必ずベンチに座っていた。そしてこいつが差し出す廃棄弁当を貪り食っては礼も言わずに帰っていく。

 一度など、こいつが頭を撫でようとした途端血相を変えて牙を剥き爪をたてたという。この馬鹿はその態度を指して「とても活発で照れ屋な子」と評しているのだが――


「そんな女のどこがいいんだ……」


 疲れ果てた俺のつぶやきは「そこがいいんだろうが!」という力強い叫びに押し潰された。

 兎にも角にも、そんなたかられ生活が続くこと一ヶ月。

 彼女の身体は以前として細いどころか、少しずつだが確実に痩せていっているらしい。もともと艶のなかった髪には無理やり引き抜いたようなハゲまででき始めた。

 これは明らかに虐待だ。だが他人である自分にはどうしようもない。困り果てたこいつが相談役として選んだのが俺だった、というわけだ。


「なげぇよ、前置きが」


「で、どうしたらいいだろう」


 首を右四十五度に傾け、不安げな上目遣いで俺を見る馬鹿。女の子にそういう顔をされれば何かしてやろうという気にもなるが、男にされても甚だ気色が悪いばかりだ。 

 だが、事情を知ってしまった以上、心優しくお人好しな俺は放っておくこともできない。


「そうだな――その子が十八歳未満なら児童相談所で保護してもらう。すぐに引き離すまでは出来ないかもしれないが」


「ほうほう」


「十八歳以上なら家を出る、だな。とりあえずお前の家にかくまってやって、そこから新しい住所やら働き先やら探してやればいい」


 法律というものは難しい。娘を虐待するような親でも親権がある以上、勝手に保護すればこっちが犯罪者だ。だからこそ、対策を考える上で年齢の問題は外せないのだが


「その子、だいたいいくつくらいだ?」


「三ヶ月かな」


「は?」


「いや、今は四ヶ月か」


 反射的に出た声をどうとったのか、やつは慌てて言い直す。そういう意味じゃねえよ。


「とにかくまだちっちゃくてさ。最近ようやく触れても怒らなくなってきたんだけど、抱き上げるとかは無理そうで」


 これは、もしかして。もしかしなくても。


「コンビニ弁当じゃなくてミルクがいいとは思うんだけど、もし他に飯食えて無いなら弁当の方がまだカロリー高い分マシな気がしてさ」


 あれか。あれなのか。


「声は高めで綺麗なんだ。親は血統書付きとかそういうのかも」


「おい馬鹿」


 確かめなければならない。もう確定したも同然だが、それでも一言聞かねばならない。

 俺の口挟みに不満気ながらも「なんだよ」と返事をした大馬鹿野郎へ、俺はたずねる。


「……猫か」


「そうだけど」


 えっ何々もしかして気づいてなかった? やっだーごめんねー。と非常に軽い謝罪が続き。

 俺は。

 正面の阿呆面を思い切り音高く殴り飛ばした。




「そもそも、そんな月齢の子猫が出歩いていること自体がおかしい」


「ふぁい」


「確かに猫、特に子猫に首輪をつけない飼い主は多いが、そういう場合は猫を外歩きさせないらしい」


「ふぁい」


「そばに母親もいないなら、その子はまず間違いなく野良だ」


「ふぁい」


「従って、戸建て住みであるお前一家が保護してもなんの問題も無い」


「ふぁぁーい、やっふぁー!」


 うららかな小春日和の昼下がり。顔の左半分を痛々しいガーゼで覆った、頭の中身も痛々しい男を伴って、俺は件の公園を訪れていた。

 あのあと早速こいつの両親に事情を説明したところ、二人とも快く新しい家族を受け入れてくれるという。ありがたい。

 かくして、こいつは晴れて彼女を迎えに、俺は骨折り損のついでに彼女の顔をおがみに、こうしてやって来たのだった。

 俺は公園には入らず、入り口からベンチを眺める。

 木製の古びた座面には黒い毛玉がぽつんと載っているようにみえた。風が吹くたび小刻みに震えるが、どこかへ飛んで行きはしない。

 そこへ、やつが一人近づいていく。それを見て毛玉はびくっと大きくのけぞるが、変わり果てた姿でも誰とは気づいたようだ。ベンチから降り、よちよちと駆け寄ってくる。

 多少距離が縮まって、ようやく俺からも見えたその顔は――なるほど。まあ、悪くないじゃないか。

 俺は、澄んだ真っ青な瞳の黒猫を抱え上げる悪友を眺めて、一人ため息をついた。



<了>

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