黒猫の涙
こちらの作品は第22回文学フリマ東京(2016/05/01)にて、サークルよたがらすブースで配布したフライヤーに載せていたショートショートです。
よたがらす合同誌『季刊よたがらす3号』掲載の拙作『魔法使いのしっぽ』の前日譚となります。
また、同内容を『小説家になろう』の方にも投稿しております。
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暑い。熱い。肌がじわじわと焼け焦がされていく。髪がちりちりと音をたててちぢれ、焼き切れていく。口を開けば熱風が喉を焦がし、声さえ奪われた。
それなのに、聞こえるのだ。燃え盛る炎の奥から、焼け落ちていく家の中から。
聞き慣れた家族の声で、つんざくような悲鳴が。
「おにいちゃん! おにいちゃん! あついよぉ! たすけて!」
「リンデ! ロサ! どこなの! 何も見えないわ!」
妹と姉は赤々と燃える炎の向こう。助けなければ、と思うのに、脚はすくんで動かない。
よろめいたかかとに何かが引っかかる。尻もちをついて、手をついた先には――母親が倒れていた。背中に大きく開いた傷跡は既に乾いて血も流れない。床には一面に真っ赤な染みが広がっている。
気がつけば、一人森の中を走っていた。
灰になっていく家に背を向けて、山狩りの松明を避けるように、ただひたすら走った。
遠く背後から男の悲鳴があがる。間違えようもない、父親の声だ。
「逃げろ! ベラ! リンデ! ロサ!」
あるいは、それは幻聴だったのかもしれない。家族を見捨てることを正当化したいという願望が生んだ、都合のいい幻。それでも
「逃げろ!!」
少年は――たった一人生き残った魔法使い、リンデはその幻にすがるほかなかった。
雨が降っている。
大粒の水滴が次から次から降り注ぎ、リンデを濡らす。焼け焦げたローブはじっとりと重い。乱れた髪が顔に張り付く。
吹き付ける風は潮の臭いがした。リンデがたどり着いたのは海辺の町らしい。
並ぶ家々はどこにも温かい灯りがともっている。貧しい町ではないのは簡単に見てとれた。しかし、リンデが助けを求めて戸を叩くと、途端に楽しげなざわめきはやみ、重い沈黙がおりるのだった。
何件目かの扉を叩いて、無反応にため息をつく。踵を返したリンデの耳に、誰かの囁きが届いた。
「ほら、あの子じゃない? 前に山村の人たちが言ってた……」
「ああ、森の魔法使いか。悪魔を使って村に疫病を流行らせたとか。とうとう狩られたか」
「子どもだけ生き残って可哀想だけど……親が人殺しじゃあね」
「山のやつらの恨みを買いかねん。放っておくしかなかろうよ」
肌はすっかり冷え切っていた。熱いよりはよほどいい、と思うも、寒さは確実にリンデから体力を奪っていく。
荒れ狂う海を臨む埠頭で、とうとうリンデは座り込んでしまった。
もう立ち上がる気力はない。頼るあても無い。腹が減っていた。空にも海にも水はいくらでもあるのに、リンデが口にできる飲水は一滴もない。焼けただれた肌がいまさらのようにひりひりと痛んだ。
灯台の下に身を寄せ、目を閉じる。このまま二度と目が覚めなければいいのに、とさえ思った。
そのまま、どれくらいの時間が経っただろう。
はっきりしない意識の中、人の声を聞いた気がした。
まぶたを押し開くと、そこには男が一人立っていた。
去っていく白衣の老人に頭を下げ、見送っている。
「本当に、ありがとうございました」
男は振り返って、リンデを見やると
「おお、目が覚めたのか! よかった!」
満面の笑みを浮かべた。
リンデはもはや雨の下では無かった。広くはないが、清潔な部屋。温かい布団にくるまれ、傷には包帯。服も寝間着に着替えさせられている。恐らく家主のものだろう。
彼は、リンデが魔法使いだと知らないのだろうか。
戸惑うリンデに、男は話しかける。
「君、森の魔法使いの子なんだって?」
身体を固くするリンデに気がつかないかのように、男は続けた。
「町の皆が噂してたよ。まあ、なんだ。俺は魔法使いのことはよく知らないが、君は随分つらい目にあったみたいだな」
男はえらく話し好きのようだ。リンデが口を挟む隙も与えず、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「俺はジョウン=フォーダムと言う。駈け出しの貿易商人さ。安心しろ、山のやつらが来ても君を引き渡したりしない。ゆっくり休んでくれ」
「なんのために?」
つぶやいたリンデの言葉に、ジョウンは小首をかしげる。
「なんのために、おれを、たすけるの? おれ、まほうつかいだよ?」
かすれた声では聞き取りづらかったのだろうか。ジョウンは困ったように、反対側に首をかしげさせる。
リンデは男の意図を図りかねていた。
ただでさえ世間には距離をおかれている魔法使いの、それも狩りに遭った家の子どもを匿って、男になんの得があるのだろうか。
「おれの、とうさんが、なんてよばれてたか。しらないの?」
「ええっと、君が魔法使いなのは知ってるが……君のお父さんには会ったことないしなぁ」
曖昧に笑うジョウンに、いよいよリンデは眉をひそめる。
ふと、リンデのかもす剣呑な空気を割るように、涼やかな笑い声が響いた。見やれば、部屋の戸口に女が立っていた。彼女は両手で布づつみを大事そうに抱えている。
「人が人を助けるのに、大層な理由が必要ですか?」
プラチナブロンドの髪を長く垂らした、美しい女だった。彼女は姿にたがわぬ流麗な所作で礼をすると、メアリー=フォーダムと名乗った。
「とはいえ、確かにわたくしたちは、全くの善意だけであなたをお助けしたわけではありません」
「お、おい、メアリー!」
たじろぐ夫を目で制し、メアリーは微笑む。
やはりか、と身構えるリンデにメアリーは手に抱えた包みを差し出して見せた。
「ただ、この子にふさわしい親でいたかったのです」
包みだと思ったものはおくるみだった。中では、母親と同じ色の髪を薄くまとった赤子が、青い瞳でリンデを見上げている。
「かわいいでしょう? 女の子で、リリーと言うのですよ」
ぽかんとした表情でリンデを見上げる赤子は、母親よりもむしろ父親に似て見えた。
「魔法使いさんも抱いてみますか?」
まじまじと見つめていたせいだろうか。メアリーはリンデの腕におくるみを渡してきた。
「えっ、ちょっと、あぶな……!」
「ほらほら、ちゃんと首を支えてあげてください」
慌てるリンデにはお構いなしに、ここを支えて、こう持って、と赤子の抱き方をレクチャーすると、メアリーはさっさと手を放してしまう。
仕方なしに赤子を抱き寄せると、リンデの持ち方がくすぐったかったのだろうか、赤子は腕を広げてきゃっきゃと楽しそうに声をあげる。
その伸ばされた小さな小さな手のひらが、リンデの頬に触れた。
「ああ」
なぜか視界がにじんでいく。
頬に触れた熱が、肌にじんわりと染みこんでいくように感じた。
炎の熱さとは違うその熱に、在りし日の家族の姿を――幸せな日々の思い出を見たような気がして。
「ああ――温かい」
こぼれた雫を、小さな手のひらがぬぐって散らした。
これは、一人の魔法使いがお姫様に恋をするまでの、その始まりの物語。
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