#2
幼い頃からずっと、この真っ白な髪を疎ましく思ってきた。染めても染めても、色が入らない。入ってもうっすらとで、すぐに落ちてしまう。お前はこの姿で一生生きていくんだよ、と神様に嘲笑われているかのようだった。
母は看護師で、ありとあらゆるコネやツテを頼って原因を調べてくれたけど、結局はっきりしたことはわからなかった。色素欠乏症に近い、という結論しか出なかった。
この容姿のせいで、小学校の間は白髪だのばばあだの言われ続けて、中学校からカツラをつけるようになったけど、それもすぐにバレてヅラだのハゲだの言われるようになってしまった。私はただ、みんなのストレスの捌け口として、あることないこと、いつでもどこでも、言われるだけの存在だった。
そんなだから、友達もほとんどいない。味方をしてくれる唯一の幼馴染みは、今地元を離れて大学へ通っているため、身近には本当に誰もいない。
私の大切な、大切な家族。私には、母と妹しかなかった。私の生き甲斐だった。何があっても、二人のために頑張れた。父の分まで私が頑張ると、あの日心に決めたのだ。
いろいろあった。20年間だけど。でも、生きて来られてよかったと、今日は少し思えたのに。
「あーあー。だいーぶ派手にイッたねェ」
靴音が足元で止まるのと同時に、嘲笑まじりの声が降ってきた。こういう声色は聞き慣れている。今までよりは、まだ随分ましな見下し方をされている。
私は少し身体を起こして、恐る恐る声のする方を向いた。髪の隙間から、その表情を盗み見る。
男は私を見下ろしながら、一瞬何かに目を見開いた。こういう表情も見慣れてる。「え、米原さんって」という、驚きと、嫌悪の入り交じった視線。
でも私は、貴方の驚きよりももっと驚愕の現場を、目にしているんですよ?
「大丈夫?怪我してない?これが飛んだだけ?」
気づくと、頭側からも声がした。いつの間に!ばっと顔をあげると、そこには柔和な表情で私を覗き込む男の人の姿が。手には私が吹っ飛ばしたカツラを持っている。
私は、あ、とか、はい、とか、言葉にならないような返事をして、カツラを受け取った。
あれ?何だか普通だ。ちゃんと……人間、なの?いや、騙されてはいけない。だって、あそこにいたのは——
牙を生やした青白い顔
たわしのようにごわごわした毛の生えた耳
ほの赤くぼんやりと浮かび上がる瞳
何でも一飲みにしそうな大きく裂けた口
長い爪に細長くごつごつした指
——明らかに、人外の姿をしていた。
「リーダー、大きな怪我はないみたい」
目の前にしゃがんでいた男の人は立ち上がって、後方に声をかけている。
「連れて来い。」
低く、甘く広がる深みのある声。空気の振動すら悦んでいるような、柔らかな声が響いた。連れて来い、と。……連れて、来い?!
「えっ、え、えっ、あのっ!」
私は何も見てない!何も言わない!何も聞かないから、帰して!焦る気持ちばかりが溢れ返って、うまく言葉にならない。
また男の人がしゃがみこんで、眉を寄せて困ったような笑顔で見つめてくる。そして
「ごめんね」
と一言だけ呟いて、私の腕を取った。
「あ、あの……」
一瞬、大丈夫かもしれない、生きて帰れるかもしれない、と思った私がバカだった。再び私は、絶望の中に取り込まれていく。
「私は、何も」
声がうまく出せない。腕を引かれるままに立ち上がり、力なく歩みを進める。もう、抵抗する気力も起きない。
男の人たちがぞろぞろと、先程誤って開けてしまったドアの中に戻っていく。私もその後に続いていくと、ドアの手前に長身の男性が立っていた。室内に入る直前に一瞬見ただけでも、すごく綺麗で端正な顔立ちとわかる、モデルさんのような男性だった。メンバー、の人ではないよね?あの異様な空間の中には、この人の姿はなかった、ような気がする。この人は、人間?もしかしたら、助けてくれないかな。
なんて、都合のいいことを考えているうちに、私は楽屋の中に連れ込まれていた。
座って、と促されるまま、座布団に正座した。目の前にローテーブル。向かいには、邪魔そうな前髪をした細身の男の人が、頬杖をついて私をまじまじと見つめている。この地毛のままの姿を他人に見られるのは10年ぶりくらいで、心もとなくカツラを握りしめた。
でもきっと、どうせ、生きてここを出られない。であれば髪が白かろうが何だろうが関係ない。そう思ったらもっと心もとなくなって、無意識のうちに手が痛くなるほど力を強めていた。
「で、あんた、見たんだよな?」
ようやく、目の前の男の人が口を開いた。
「なん、なんのこと、ですか」
しどろもどろになりながら答える。何も見てない、何も見てない、と何度も頭の中で反芻し、自分に言い聞かせようとしていた。
「ん~」
男の人は声とも息ともとれない音を吐き出して、伸びをした。
不思議と、私の心音も徐々に落ち着きを見せていた。だって、何だか……ゆるい!ゆるすぎる!私のことを食べるんじゃないんですか?って、こっちが問いたくなるくらい。周りにいる他のメンバーさんたちは、私たちの様子を見るでも聞くでもなく、自由に過ごしている。私がさっき目の当たりにした現場から、ただあの異様さを抜いただけで、他は何ひとつ変わりなかった。重大な事態であると受け止めているのは、私とこの目の前の男の人だけのようにさえ思えた。
「あんたのこと、抹消するのはカンタンなんだよ。でもさ、こうしてちゃんと話を聞こうとしてるのよ。見たのか、見てないのか、正直に言ってよ。」
高圧的な態度には慣れている。私はまた手に力を込めた。
「どっち?素直に、言って。」
「見ま……した。」
自分でも言ったかどうかわからないくらいに小さく呟いて、俯いたまま、上目で様子を伺った。果たして本当に、本当のことを言ってしまってよかったのだろうか。
「んー……だよね、そうだよねー……」
彼はまた、唸るような声をあげた。他のメンバーさんは、相変わらず個々に過ごしている。
「あのさ、俺たちはさ、今大事な時期なわけよ。」
大事な時期、という言葉に、場の雰囲気が張り詰めた気がした。
「……はい」
そりゃ、そうだよね。人気大爆発中だもの。疎い私でも知っているくらいなのだから。
「だからね、変な噂がたつと困んの。ゴシップ誌とか、メディアのやつらなんか、俺らのネタが欲しくてたまらないわけよ。」
「はい」
「ということで、あの姿を見られてしまったからには、そういうおそれがある人間は、野放しにはしておけないのね。わかってくれる?」
「えっ、はぁ」
わかっては、あげられるけど。でも、そうしたら、私は?
「まあー、一般人が『ムンクラ』は化け物集団でしたーなんて言ったところで、証拠もねーし、買い取ってもらうことすらできないとは思うけどね?」
「はぁ」
「でもやっぱ、このまま元通りに帰すわけにはいかないんだわ。」
「……はぁ」
それで、私に、どうしろというのだろう?この人たちは、どうしてこんなに親切に、ここまで説明してくれるのだろう?
「なんか、はぁしか言わなくなっちゃったけど、もうコワレちゃった?」
楽屋の片隅から、こそこそ話が聞こえてきた。先程私の足元にいた男が、頭上にいた男の人に耳打ちしている。が、壊れるとか言うな、とすぐさま思いきり頭をはたかれていた。
何だかこの……人?じゃなさそうだけど、この人達、やっぱりおかしい。何ていうか、今はもう全然、怖くなくなっている。なんか、不思議だ。
私、腹をくくったのかな?それに近いけど、でも、それともちょっと違う気がする。
「そこでだ。」
鏡の前の台に手をかけて本を読んでいた人が、こちらを振り返った。さっき『連れて来い』と言った、見た目と違ってすごく柔らかくて綺麗な声の人だ。あ、いや、この人も人ではない、んだよね?
「見られたからには、本来生きて帰すわけにはいかない。」
真っ直ぐな、射るような視線。この人の目を見ていると、引き込まれそうになって、固まったように身動きがとれなくなる。私は思わず、ひとつ息を飲んだ。
結局私は、ここで一生を——
「だが、」
思考も無になって、すべてを諦めていくような感覚から、その言葉に現実に引き戻された。
「俺たちの目の届くところで、俺たちのために働いてくれるというなら、命は助けよう。」
「えっ?」
この人達のために、働く?って、言った?今?
「は……はたら、く?」
でも、そうすれば、命は助かる?それって、生きてる方のが辛いこと、じゃないよね?まさか、ね。
「大事な時期、なんだ。人手がいる。」
そう言ってその人は、ゆっくりと口角を上げた。
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