3―2
アステリウスにとってタユナの回答はまったく予想外のものだった。
腑に落ちたという感覚はない。だが、完全に的はずれとも思えなかった。
目の前の敵兵をひたすら切り殺していたあのとき。滴るほど返り血を浴びながら、確かに誰かを捜していた。
「その敵は、今この世界にいるのか?」
タユナに問うと、彼女は首を横に振った。
「私には現世を見ることはできません」
「では、前世にはいたのか? 私が気づかなかっただけで、私の殺せない敵とやらは存在していたのか?」
「いいえ。敵はいませんでした。しかし、それより前の前生では常に存在していました。あなたはいつもその敵によって命を落としていましたが、直近の前生から見出すことができなくなってしまったのです。あなたは今でも無意識のうちに探しつづけています。あなたの命を奪いつづけた、あなたには殺せない敵を」
「なぜ?」
そう訊き返さずにはいられなかった。
「そんな敵になど会わないほうがいいだろう。なぜ自らそんなものを求めなければならないんだ?」
彼の疑問に、タユナは明快に答えた。
「殺せない敵に立ち向かうこと。それがあなたの最大の喜びだからです」
タユナが指摘したその感情には、強い心当たりがあった。彼はしばらく何も言うことができなかった。
自分の命を脅かすほどの強敵。そのような存在に、彼はまだ出会ったことがない。わざわざ自分から探し出そうとは思わないが、もし出会ったとしたら、きっと嬉々として戦おうとするだろう。
だから、忘れられないのか。かつて自分にそのような敵がいたことを。タユナの言う前生が真実であるならば。
「その敵とは、常に同じ人間なのか? ――いや、そんなはずはないか。いちばん近い前世では誰だった?」
タユナはまた首を横に振る。
「私の前生占いでは、お客様の前生が知り得たことしかわかりません。あなたの敵が常に同じ魂を持った人間であるかどうかも、私にはわからないのです。少なくとも、毎回顔と名前は違います。あなたが最後に会った敵は、今から三百年ほど前に滅びた、東の国の最後の王でした」
「三百年……ティオキアか?」
前世を見ることのできる占い師は、黙ってうなずいた。
「確か、隣のカサリアに滅ぼされたのだったか。そのカサリアも今はないが。私はティオキアの王に殺されたのか。いったいなぜ?」
「服従を拒みました」
タユナの答えに逡巡はない。語る言葉に妙に説得力があるのはそのせいかもしれない。
「あなたはティオキア王に対して反乱を起こしましたが、仲間の裏切りにあい、捕らえられました。王は自分に忠誠を誓えば命を助けるばかりか、近衛隊の一員として採用すると言いましたが、あなたは最後までその申し出を拒みつづけ、処刑されたのです」
「なるほど。私らしいが、確かめる術はないな」
「私はあくまで自分が見たものをそのままお伝えしているだけです。それを信じるか信じないかは、すべてあなたしだいです」
「いや、私はあなたは本物だと信じるよ。たいへん参考になった」
彼は苦笑すると、傍らの剣を手に取った。
「だから、もしわかるのなら、ついでに教えてくれないか。私の殺せない敵の探し方を」
タユナは驚いたように薄い唇を開く。彼女がそのような表情を見せたのは、これが初めてだった。
「探し出してどうするのです? また戦うのですか? 先ほどご自分でおっしゃったではありませんか。そのような敵になど会わないほうがいい、なぜそのようなものを求めなければならないのかと」
「記憶力がいいな。うちの元副官並みだ」
そう冷やかしてから、タユナの前生占いに集中するあまり、今までその存在を忘れていたライルのことを思い出した。
「ライル!」
あわてて振り返ると、元副官は彼から少し離れたところに、いつもと変わらない姿で立っていた。
「どうしました?」
何だか久しぶりに会ったような気のする元副官は、大きく目を見張っていた。わけもなくほっとして、苦笑いを漏らす。
「いや……何でもない。立ちっぱなしで疲れただろう。座らないか?」
「どうせなら、もっと早めにそうおっしゃっていただきたかったですね。もう結構です。ここで待ちます」
元副官が冷ややかに答えるのも無理はなかった。彼はさらに苦笑を深め、再びタユナに向き直る。
「私もあえてそのような敵と戦いたいとは思わない。だが、どうしても忘れ去ることができなかったものがそれならば、そして、この世界のどこかにその敵がいるというのなら、私は一度その敵に会ってみたい。それを知るために私は職を捨て、優秀な部下も道連れにした」
「アステリウス様」
抗議するようにライルは元上官の名を口にしたが、彼は取り合わなかった。
「会ってどうします? 会えばあなたはまた戦いたくなるかもしれません。今までと同じことを繰り返してしまうかもしれません。それに、その敵ももうあなたと戦うことを望んではいないのかもしれません。だから、前生、今生と敵として出会えないままでいるのかもしれません」
「そうかもしれない。だが、違うかもしれない。やりもしないで悩むのは、私の性分ではない」
紅蓮の男は笑い、己の分身とも言える大剣を左腕に抱えこんだ。
「タユナ殿。あなたは敵を探す方法をご存じか、ご存じでないか。それだけ教えていただきたい。もしあなたが知らないとおっしゃるのなら、私はこれから世界中をあてどなく彷徨い歩かなければならない。それは経済的にも精神的にも、私にはかなりきつい仕事だ。もし他に効率的なよい方法があるのなら、ぜひそれを試したい」
これまで、彼の質問には時間をおかず答えてきた占い師が、初めて長く沈黙した。そのこと自体が、彼女はその方法を知っている――そして、彼に教えるべきかどうかを迷っているということを意味していた。
やがてタユナは顔を上げ、相変わらず正確に彼のほうに向けた。
「効率がよいとは言いかねますが。――かつてアドラの地にあった神殿には、思い人の姿を映すという鏡が安置されていました。言い伝えによれば、この世界の創造主が、いつでも思い人を眺めることができるようにと作ったものだとか。しかし、異教徒たちによってその神殿は破壊され、その神の名も抹消されてしまいました。鏡だけは壊さずに持ち出そうとしたのですが、どうしてもそこから動かすことができず、また腹立ち紛れに叩き壊すこともできなかったので、結局そのままその地に残されたそうです。今もその鏡が残っているのであれば、もしかしたら、それであなたの求める存在が見つかるかもしれません」
「アドラ……確か、サイスの国境近くにある村だな。よくそのような話をご存じだ。現世のことも充分見えているようだが」
タユナは口元をゆるめたが、首は縦に振らなかった。
「いいえ。これらはすべて前生占いによって知ったことです。他人様の前生を覗かせていただくことによって、過去だけは深く広く知ることができるのです。前世しか見られぬ私の、これが最大の特典ですわ」
彼は一瞬、同情の目をタユナに向けたが、思い直して立ち上がった。現世だけしか見られぬことが、前世だけしか見られぬことより幸福だとどうして言えよう。現に自分はそんな彼女を頼ってこのセナンへ来たのではないか。
「ありがとう。たいへん助かった。本当に見料はいらないのか? 一万二千分の価値はゆうにあるぞ」
「一万二千?」
「二週間後に私が支払うはずだった見料の額だ」
少しだけタユナは声を立てて笑った。そうすると、彼女はごく普通の若い女のように見えた。
「それはどうぞ、別のことにお遣いください。あなたとあなたの敵に幸あらんことを、心よりお祈り申し上げております」
彼女の最後の一言を奇妙には思ったが、これ以上元副官を立たせたままにしておくわけにもいかなかった。タユナには見えないだろうが、彼にしては深く頭を下げてから、背後で待つ元副官の元へ剣を持って歩いていく。
「待たせたな」
「ええ、とても」
「おまえは本当に前生を見てもらわなくてよかったのか? 無料だぞ?」
「最初に言いましたでしょう。私は自分の前生などに興味はありません」
「あちらはおまえの前生も見てやるつもりで呼んだのではないのか?」
「別に強制はされなかったでしょう。私はそれより早く宿で休みたいです」
ずっと待たされつづけたのがよほど面白くなかったのか、ライルはかなり機嫌を悪くしていた。座らなかったのはこの元副官の自己責任だが、今それを言ってさらに悪化させたくない。たった一人の貴重な旅の仲間なのだ、さて、これからどうやってこの青年の機嫌をとろうかと考えながら部屋を出ようとしたとき、ふとタユナに訊き忘れていたことを思い出して足を止めた。
「タユナ殿」
振り返り名前を呼ぶと、タユナが顔を上げた。
「最後に一つだけ訊きたい。その敵を見つけることができなかった私は、どうやって死んだんだ?」
前生のことに関するかぎり、タユナの回答に迷いはない。
「国を守るために殉死しました」
「なるほど。それは私らしくない」
彼はありがとうと礼を言うと、ライルの後に続いて部屋を出た。
その夜は奮発して夕飯を奢ってやったが、ライルの機嫌はなかなか直らなかった。
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