2―3

「さて。これから二週間、どうやって過ごす?」


 さすがに短くなってきたタユナの予約の列を尻目に、アステリウスがライルに訊ねると、彼は呆れたように笑った。


「私に訊かないでください。あなたの旅でしょう」

「だったら、ライル。おまえはどうして私についてきたんだ?」

「はい?」


 滅多にないことに、元副官は面食らったような顔をして彼を見つめ返した。


「今まで何となくごまかされてきたが、ちゃんとした理由をおまえの口から聞いたことがない。私のこの酔狂な旅に付き合うことで、おまえに何の益がある?」

「それは……」


 ライルは困ったように目をそらせる。このような元副官を見るのは、これが初めてかもしれない。いつもの泰然とした態度をとるのをやめると、この青年は驚くほど弱々しく見えるのだった。思わずもう答えなくていいと言ってしまいそうになるほど。


「軍に残れば、あなた以外の人間に仕えなければなりません。それだけは絶対に嫌でした。私はあなたの旅に付き合っているのではなく、あなたに付き従っているのです、アステリウス様」


 常にない切々とした調子で訴えられると、つい頬が赤らんでしまうのを禁じ得ない。自ら副官になりたいと応募してきたくらいだから、嫌われているとは思っていなかったが、ここまで思い入れられているとは想像もしていなかった。普段の自分に対する態度を考えると特に。


「そうは言ってもな。私はおまえに何もしてやれないぞ、ライル」


 この元副官がどういう意味で自分に従いたいと言っているのか彼にはよくわからなかったが、彼は副官としてライルを選んだのだ。情人としてではない。


「そのようなことは最初から承知しております。あなたはあなたのままであればいいのです。それに、私がいないと困るのは、あなたのほうではないのですか?」


 余裕を取り戻したのか、ライルはいつものように冷然と切り返した。

 悔しいが、そのとおりだった。多少の波風はあれど、もし自分一人だったら、ここまで快適に旅を続けることはできなかったのではないかと思う。彼より七歳年下のはずのライルは、なぜか世間のことをよく知っていて、彼の質問にはたいてい答えることができた。


「ああ、困る。おまえがいないと、宿一つまともにとれん。そのおまえに今後の予定を委ねるのは、それほどおかしなことか? 私一人で旅をしているわけではないだろう」


 元副官は少し考えてから、申し訳ございませんでしたと神妙に答えた。


「私に予定を考えることを丸投げしたわけではなく、空いた二週間を私の好きなように過ごさせてやろうというお心遣いだったのですね。気づけなくて申し訳ございませんでした」


 そこまで完璧に見抜かれてしまうと、かえってこちらのほうが返事に困ってしまう。元はと言えば、元副官のおまえの旅だという言葉が自分を突き放すように聞こえて癇に障り、このような痴話喧嘩めいたやりとりが始まってしまったのだ。


「そうですね。私には特に行きたい場所もやりたいこともありませんが、夕刻までまだ時間もあることですし、今からタユナの店を探してみませんか? 儲けた金をどのように遣っているのか、少し興味があります」

「今、この瞬間から約束の日まで、すべての行動の決定権をおまえに預けるよ」

「アステリウス様、本当は予定を考えるのが面倒だっただけでしょう?」


 ライルは悪戯っぽく笑った。その元副官らしくない、どこか甘えを含んだような表情と声に彼は違和感を覚えたが、同時にどこかで見たことがあるような既視感にも襲われた。


(いつ、どこでだ?)


 しかし、彼がそれを思い出そうとしたときには、そのきっかけとなった元副官は彼に背を向けていて、たまたま近くを通りかかった女に、タユナの店のあるダグリン通りへはどう行けばいいのかと訊ねていた。




 ダグリン通りとは、占い師よりも魔術師が多く住む古い通りの一つなのだという。道幅は狭い上、石造りの背の高い建物が並んで建っているために、まだ日が落ちていないのにもかかわらず薄暗かった。人通りはなく、中央広場のあのにぎわいから比べると、別世界のように静まり返っている。

 タユナの店はその通りのいちばん端にあった。看板はなかったが、古びた木の扉に組合会館でもらった割札に描かれていた鳥の図が彫りこまれていたためにそれとわかった。これがタユナの紋章のようなものであるらしい。


「今、この中では誰かが前生を占ってもらっているわけか」


 いったいいくらぐらい金を積んだのだろうと思いながら彼が呟くと、元副官はそうなんでしょうねと気のない返事をした。


「一日に何人くらい見ているのか知りませんが、店の外観に金をかけないところを見ると、相当に貯めこんでいますね。ちなみにタユナは若い女で、まだ独り者だそうです」

「それはまた、別の意味で人気が高そうだな」

「でも、占いをするとき以外に人前には出ないそうです。周りにとってはいい金蔓でしょう」


 店の前でそのような立ち話をしていると、突然扉が内側に開き、組合会館で会った女たちと同じ黒衣の女が現れた。

 彼と元副官は驚いて女を見つめたが、女のほうはそこに二人がいることをすでに知っていたかのように、まったく表情を変えなかった。


「失礼。今行くよ」


 彼はあわてて元副官と共に店の前から立ち去ろうとしたが、女は大きな声でお待ちくださいと二人を引き止めた。


「タユナ様が中へ入っていただくようにと申しております。どうしても一度お目にかかりたいと」


 元副官と顔を見合わせた彼は、代表して女に言った。


「もしかして、別の客と間違えているのではないのかな。私の予約は二週間後になっている」


 証拠として先ほど受けとった割札を渡そうとしたが、女はそれを無視して首を横に振った。


「いいえ。確かにお二方でございます。タユナ様が人間違いをされたことは、ただの一度もございません。お時間はとらせませんから、どうかお会いになってはいただけないでしょうか」


 まったく予想外の展開だった。ライルもまだこれから先二週間の予定を考えていないようだし、ここでタユナに会っておけば、時間も金銭も節約できる。そう考えたとき、彼はふと、気がかりなことを思いついた。


「まさか、見料をとったりはしないだろうな?」

「とんでもない、そのような失礼なことは申しません。こちらからお会いしたいとお願いしているのですから」


 女はかなり気を悪くしたようだった。申し訳ないと彼は首をすくませる。その様子を見て、女は表情をゆるませた。


「いえ、そう思われても仕方のない商売のやり方をしておりますから。けれども、私どもはお金のない方々からはご見料はいただいておりません。タユナ様に前生を問われる方は、みな明日の糧の心配はないけれども、今にご不満のある方ばかりです」


 女の言い分に、彼は苦笑せざるを得なかった。確かに前生など生活に余裕のある者しか知ろうとは思わないだろう。あの女将も行列の女も前生には興味はないと言っていた。


「ライル、どうする?」


 元副官は驚いたように彼を見上げる。


「なぜ私に訊くんです?」

「さっき、おまえに二週間先までのすべての行動の決定権を預けてしまった」

「では、今それを謹んであなたにお返しいたしますよ」

「いいのか?」

「どうしてもやりたいことが見つかりましたら、そのときまたこちらから請求させていただきます」


 元副官から決定権を返却された彼は、改めて女に向き直った。


「わかった。会おう。どういう用件かはご本人から伺ったほうがいいのかな」

「はい。とにかく中へ入っていただくようにとしか命じられておりませんので」


 女の後について、建物の内側へ足を踏み入れると、そこは薄暗い小広間となっていた。待合室も兼ねているのか、簡素な椅子が何脚か並んでいたが、今は誰もいなかった。

 小広間の突き当たりにまた扉があり、その扉の横には、黒い布のかかった小さなテーブルと椅子とが置かれている。テーブルの上に箱と書類があるところをみると、そこが受付となっているのだろう。その席もまた今は無人となっていた。女は外に出るまでここに座っていたのかもしれない。


「タユナ様はあの扉の向こうでお待ちです。通常でしたら、ここでお客様の武具類を預からせていただいているのですが、今回はそのまま持ちこまれても結構ですとのことです」

「ずいぶん寛大だな」


 そう言いながらも、彼は背から剣を鞘ごと外し、手に持った。正面の扉は小さめにできていて、剣を背負ったままでは引っかかりそうだったからだ。


「正直申しまして、タユナ様にそう言っていただいてほっとしております。私にはとてもその剣に触れることはできそうもありませんもの。――禍々しくて、今も血が滴り落ちている」


 女の目は彼の大剣から背けられたままだった。


「見えるのか?」

「ここで働いていることがその答えです」


 女は扉の前へ立つと、静かに扉を叩いた。


「タユナ様。お客様をお連れいたしました」


 一瞬の間の後、よく通る女の声が「どうぞ、中へお入りください」と返答する。


「私はここで待っていたほうがいいのではないですか?」


 元副官が彼に小声で囁いたが、彼が答える前に女が強い口調でいいえと言った。


「タユナ様はお二人にお会いしたいとはっきりおっしゃいました。――どうぞ、お入りください」


 女は外開きの扉を開いて、二人を中へと追い立てた。

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