2―2
セナンは、魔術師や占い師たちが住む都として、エルカシア内外によく知られている。
その客のほとんどは裕福な貴族や商人たちだが、彼らが滞在中に落とす金で、宿屋や飲食店、そして娼館もそれなりに潤っているようだった。
セナンに到着したアステリウスとライルは、まずは食事と情報収集のため、客の多そうな飲食店に入り、そこの女将に前生を見られるという噂の占い師のことを訊ねてみた。
「ああ、お客さんたちもタユナ様がお目当てですか?」
よく肥えた女将は、巨体を揺らして朗らかに笑った。
「やはり人気なのか?」
「ええ、ここに来る人の半分以上はそうなんじゃないですかね。あたしなんかは昔のことより、先のことが知りたいと思いますけど」
その昔のことにとらわれるあまり将軍職を捨ててしまった彼は、女将の感想に耳に痛いものを感じながら、少し薄いような気がする麦酒を飲んだ。
「もしその人に占ってもらいたいときには、どうすればいいんだ?」
「きっとすぐには無理だと思いますけどね。タユナ様はあんまりお客が多いもんだから、中央広場にある占い師の組合会館に、予約専門の窓口があるんですよ。そこへお客さんが行って予約を入れるんですけど、昨日来たお客さんが一月待ちだとか言って嘆いてましたっけ。あたしらは待ちが長ければ長いほど大歓迎なんですけどね」
「ちなみに、見料はいくらなんだ?」
「そこがタユナ様の商売上手なところでね、お客様のお気持ちでって言うんだって。でも、あんまり安いと、予約自体受けつけてくれないんだそうですよ。だから、見料の金額は口外しちゃいけないことになっていて、ついしゃべっちまったお客さんは、予約を取り消されちまったそうです。そういうのもわかるんですね、占い師は」
狭いテーブルの間を器用に抜けて女将が立ち去った後、彼は元副官に話しかけた。
「まいったな、一月待ちか。予約だけ入れて、先に他の街を回るか?」
「たぶん、見料をはずめば、順番はいくらでも繰り上がるはずですよ」
麦酒は嫌いだというライルは、ここでも葡萄酒をちびりちびりと飲んでいた。知り合ってから二年近く経つが、その間にこの元副官が何かを飲み干したり食べつくしたりしたところを見たことがない。これだけ少食なら、それは金も貯まるだろう。
「そういえば、見料の相場はどうなっているんだ? 私は今までその手のものに金を払ったことがないからさっぱりわからん」
「上から下までいろいろですよ。辻占で千リタ、場所を借りてやっている並の占い師で三千リタといったところでしょうか。名前の知られている有名な占い師ともなれば天井知らずです。タユナ様とやらもいったいいくらで納得するやら」
元副官の回答を聞いて、彼はにわかに顔を曇らせた。
「千だと? それだけあったら一時間は飲める」
「あなたの対貨基準はいつでも酒なんですね」
「それがいちばん私にはわかりやすいんだ」
「では、アステリウス様は前生占いと引き替えに、どのくらいまで酒を飲む時間を減らすことができますか?」
「正直に言えば、一瞬たりとも失いたくはないが……そうだな。せいぜい一日分か」
「ということは……一万二千ですか。ずいぶん思いきりましたね」
「おい。おまえは私が一日に何時間飲むと思っているんだ」
「とにかく、ここを出たら、さっそく女将の言っていた組合会館に行ってみましょう」
彼の抗議を無視して、元副官は冷徹に言った。
「予約する時間が早ければ早いほど、順番も早くなるかもしれませんから」
占い師の組合会館は、探すまでもなくすぐにわかった。周りの建物と比べて一際豪華で、入口からは中に入りきれなかった人々があふれて列を作っていたからである。
列の最後尾にいた男に何の列かと訊ねてみると、案の定タユナの予約申しこみの列だとの返事が返ってきた。
「いったい何分待ちだ?」
彼は元副官と共に呆然と列を眺めた。
並んでいる人々の年齢、性別は様々だったが、いずれも金持ちそうには見えなかった。おそらく使用人たちが主人の代わりに並んでいるのだろう。
「さあ……三十分ってところかね。見料の交渉で時間がかかるから、なかなか進まないんだ」
最後尾の男が広場の時計塔を見ながらそう答えている間に、中年の女がそそくさと男の後ろに並んだ。
「どうします? アステリウス様。並ぶのがお嫌でしたら、私が並んでおきますよ」
「もともと私の用件だ。もう部下でもないおまえにそんなことはさせられん」
彼は肩をすくめると女の後ろに並んだ。その後ろに元副官も並ぶ。
「剣士さんかい?」
彼の前に立っていた女が、彼が背中に負っている大剣を物珍しそうに見上げた。
「まあ、そうだな。そういうことになるか」
将軍を辞めた後の自分の職業や肩書きなど考えたこともなかった。だが、こうして剣を持ち歩いているのだから、自分は剣士ということになるのだろう。
「あんた、旅の人だね。どこから来たんだい?」
「ランティスだ」
「ああ、道理で垢抜けてると思ったよ。その髪は染めたのかい?」
「生まれつきだ。わざわざそんな面倒なことはしない」
退屈だったこともあり、彼は女の質問に真面目に答えた。
「へえ、地毛かい。そんなに赤い髪なんて初めて見たよ。見事だね」
「おかげで悪さができん。すぐに見つかってしまう」
「そりゃあ、そうだろうねえ。あんたが前生を見てもらうのかい?」
「ああ。あんたも?」
「いや、あたしは代理で並んでるだけさ。これが商売でね。お客に言われた金額で予約をとる。代金は割札と引き替えにもらう。わりといい金になるよ。ここに並んでるのはほとんどそうだね」
「なるほど、そういう商売があるのか。考えたな。しかし、タユナという占い師は、どうしてこれほど人気があるんだ?」
「さあてねえ。あたしは予約をとるだけで、一度も見てもらったことはないからね。何でも、見てきたように前生のことを話してくれるんだそうだよ。で、後で調べてみると、タユナ様が言ったとおりのことが、昔ちゃんと起こってる。それが評判になって、次から次へと客が増えていってるんだ。あたしは前生のことがわかったって、何の得にもならないと思うんだけどねえ」
本日二度目の意見に、彼は思わず目を伏せずにはいられなかった。
「よかったですね、アステリウス様。期待は持てそうですよ」
彼の陰で元副官が囁く。
「どうだかな。適当に昔話と絡ませてやれば、前生なんていくらでも捏造できるんじゃないのか?」
「それも一種の才能ですね。劇作家にもなれる」
「何にせよ、貴重な体験はさせてもらっているな。今まで隊列を組んだことはあっても、行列に並んだことはなかった」
「それは私もさすがになかったですね」
元副官は珍しく楽しそうに笑った。その後ろに新たに人が並ぶ。
結局、彼らが組合会館の中へ入り、予約の受付を行う個室の前に立ったのは、それから三十分以上後のことだった。
「ほう、個室か。さすがセナンで一番人気の占い師だな」
「見料のことがあるからでしょう。他人の前で交渉したら、すぐにわかってしまいますから」
「それもそうだな」
そのとき、個室の扉が開き、彼の前に立っていた女が出てきた。
「予約は無事にとれたか?」
彼が訊ねると、女はにっこり笑い、木片で作られた割札を振ってみせる。
「これで金がもらえるよ。じゃあ、お先に」
「次の方、どうぞ」
女の後ろから、いかにも占い師然とした黒衣の女が現れて、彼に声をかけた。
「連れがいるんだが、同席させてもかまわないか?」
女は彼の隣にいる元副官を見やると、そちらの方もご予約ですかと訊いた。
「いや、私だけだ」
「そうですか。それなら結構です」
女は丁寧に一礼し、どうぞと言って二人を部屋の中へと導いた。
意外にも、中央にテーブルがあるだけの、実に簡素で狭い部屋だった。そのテーブルの向こうに、これまた同じ黒衣を着た女が座っていて、二人を見ると立ち上がり、深々と頭を垂れた。
確かに、いちいちこのような対応をしていたら、時間もかかるだろう。扉を開けたほうの女は扉を閉めると、テーブルには着かずに扉の横に立った。
「大変お待たせいたしました。どうぞお掛けください」
澄んだ高い声で女は言い、自分の向かいを手で示す。
「あ、ああ……」
彼は元副官と顔を見合わせてから、女に言われるまま椅子に腰かけた。
「私どもの主人タユナが多忙のため、私どもが代わってご予約を承っております。ご見料はお客様のお気持ちで結構ですが、もしお急ぎでしたら、それなりにお願いいたします」
時間短縮のためか、おっとりとした話し方のわりに、内容はあけすけだった。
「では、もし明日予約を入れてほしいと言ったら、どのくらいの金額が必要ですか?」
女以上に単刀直入に訊ねたのは、彼ではなく元副官だった。
「おい、ライル……」
打ち合わせと違うだろうと詰ろうとしたところ、女はにこりと笑った。
「そうですね。最低五十万リタというところでしょうか」
彼は絶句し、元副官は苦笑した。
「さすがにその金額では、あなたが干上がってしまいますね。――どうぞ、出せるだけの金額をおっしゃってください」
「……一万二千リタ」
これだけあったらどれだけ酒が飲めるかと、悔しい思いを噛みしめながら彼は言った。
女は自分の膝の上に書類を置いてめくると、そうしましたら二週間後の午後三時ということになりますねと答えた。
「一万二千で二週間……」
予約を一ヶ月先にされたという客は、いったいいくらで申し出たのだろう。
「二週間後の午後三時に、ダグリン通りにあります私どもの店に直接おいでください。そのときにはこの割札を必ずお持ちくださいますように。これが受付票がわりになりますから」
女は話しながら書類に羽根ペンで何やら書きこみ、テーブルの角に置いてあった箱から取り出した木札にも書きこんで、それを半分に割り、その片方を彼に手渡す。
手の中でそれを見てみると、言われた日付と時刻が書かれており、その裏には半分に割られた鳥のような紋様が描かれていた。
「なお、ご見料は
女は駄目押しとばかりに微笑むと、ではどうぞお帰りくださいと扉を指した。
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