1―3

「しかし、改めて考えてみると、おまえは本当に物好きだな、ライル」


 自分の前で黙々と食事を続けるライルに、アステリウスはしみじみと言った。

 どんな酒場や食堂にいても、この元副官と共にいるときには、なぜか誰にも絡まれない。実に謎である。


「いいえ、あなたにはとてもかないませんよ、アステリウス様。そんなわけのわからない理由で将軍職を投げ出せる人間は、後にも先にも、あなた一人しかいないでしょう」

「私一人か。名誉だな」

「お言葉ですが、この場合は不名誉です」


 相変わらず痛烈な切り返しに彼は苦笑いした。確かにこれでは自分の下以外では勤まらなかったかもしれない。彼は元副官のこういうところを非常に気に入っているのだが。何でも自分の意見にうなずくばかりの人間と話していてもつまらないではないか。


「ところで、アステリウス様。軍を辞めてから一月ばかり経ちますが、少しはその何かを思い出せるようになってきているのですか?」


 彼は麦酒をあおってから答えた。


「おまえに何のために辞めたのかと罵られそうで言えん」

「罵りはしません」


 元副官はつつましやかに葡萄酒に口をつける。


「せいぜい呆れるくらいです」

「丸くなったな、ライル」

「もうあなたの部下というわけでもありませんから。それにしても、あなたは何を忘れているというのでしょうね。物心ついたときからというと、それ以前にあった何かということでしょうか?」

「ということになるのだろうな。その頃にはまだ両親は生きていたが、彼らに関することとも思えん。あくまで私自身のすべき何かなんだ」


 彼がそう言うと、元副官は考えこむようにうつむいた。


「もしかしたら、それは今生こんじょうのことではないのかもしれませんよ」

「こんじょう?」


 いまだかつて聞いたことがない言葉だ。彼の表情でそのことがわかったのか、元副官は話の切り口を変えた。


「アステリウス様は、転生というものを信じていらっしゃいますか?」

「ああ、あの、死んでも魂が生まれ変わるというやつか? 信じないとは言わないが、正直、どうでもいいな。生まれ変わった時点で、それはもう私ではない。生まれ変わる以前のことを覚えているのならともかく」

「ですから、アステリウス様の言う何かとは、それではないのですか?」


 彼は緋色の目を丸くした。


「それ?」

「今のあなたに生まれ変わる前の記憶が、不完全に残っていらっしゃるのではないかということです。おそらく、志半ばで倒れでもされたのではないでしょうか。その無念の思いが強すぎて、生まれ変わっても残ってしまわれた。……まあ、すべて推測にしかすぎませんが」

「なるほど。筋は通るな」


 感心して、うなずきながら腕組みをする。


「しかし、そんなもの、どうやって検証すればいいんだ?」

「そうですね。それが非常に困ります。世の中には前生ぜんしょうのことをはっきり覚えていて、今の自分が一度も行ったことのない場所へ行き、昔自分はここに住んでいたと主張する者もいるとのことですが、あなたにはそういったことはまるでないわけでしょう? あったら軍を辞めずとも、休暇がてらに出かければ済んだことでしょうから」

「ライル。おまえが相手だと、無駄な話をしなくて済んで、とても助かる」

「おかげで、あなたの話下手をますます悪化させてしまっているような気がしますよ」


 元副官は冷ややかにそう返してから、それでどうしますと元上官に訊ねた。


「おまえのその前生説を信じるならば、しらみつぶしに各地を巡って私が何かを感じる場所を探し出し、そこで過去にあったことを調べてみるか、私自身が前生を思い出すかしなければならんのだろうな」

「図らずも、今は前者を選択していたことになりますね。そして、今まで訪れたところでそんな場所は一つもなかったと」

「そういうことになるな」

「世界は広いですよ、アステリウス様。一生かかっても、すべては回りきれません」

「ということは、残る一つか。――今までどうやっても思い出せなかったものを、どうやって思い出せというんだ?」

「そうですね。それができていたら、あなたが軍を辞める必要もなかったわけですし」


 少しの間、元副官は考え事でもするように黙りこみ、彼が麦酒を飲み干したとき、再び口を開いた。


「信憑性には疑問がありますが、セナンに前生を見ることができる占い師がいると聞いたことがあります。有名人なので見料は張るでしょうが、物は試しでそちらを訪ねてみますか?」

「占い師?」


 彼は大仰に眉をひそめる。


「そんな詐欺師に頼るのか?」

「そう思われるのでしたら、自力で何とか思い出してください。旅もできないほど老いる前に」

「……セナンか。ここから何日くらいかかる?」

「そうですね。順調に行けば、三日ほどでしょうか」

「わかった、ライル。今度の行き先はそこにしよう」


 あまり気は進まなかったが、自分がさっぱり思い出せない以上、手がかりになりそうなことは何でも当たってみるべきだろう。だが、彼の優秀な元副官は、自分の提案が採用されたのにもかかわらず、彼と同様、気乗りしない様子だった。


「どうした? 何か気がかりでもあるのか?」

「アステリウス様」


 元副官は真剣な眼差しを彼に向ける。


「どうしても、それをお知りになりたいのですか? 知らないほうがよかった、ということもありますよ?」


 しばらく考えてから、彼は真摯に答えた。


「ああ。どうしても知りたい。知らないままでは、もうどこへも進めない。……そんな気がする」

「そこまであなたがおっしゃるなら」


 まだ不服そうだったが、そう言って引き下がる。その美しい顔を見ながら、彼はふと、この青年は何を求めて自分についてきたのだろうと不思議に思った。

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