姫と世話係と宝石と

「わ……忘れてた……」

 クリスチャーナの足は速い。

「ミュウ様っ!」

 逃げ込んだ森の中。

 闇雲に走っていたミュウミュウは、行き止まりにぶつかってしまった。

 見上げた断崖絶壁。

 その中間あたりで浮遊している石の化身を、これでもかと睨み付ける。

「リヒト~……何とかしなさいよぉ」

『俺、ただの宝石』

「もう逃げられませんよっ!」

 恐る恐る振り向くと、頭から角が二本生えそうな勢いのクリスチャーナが両手を腰にあて、仁王立ちしていた。

「どうしてこんな真似をなさったのですか?」

 対峙すると、返答に困るミュウミュウ。

「どうしてって……」

 言えば解決するの? そう言いかけて、ぐっと呑みこむミュウミュウ。

「姫様、もう少し御自身の立場を自覚して下さいませ」

 クリスチャーナは正しい。

「縁談前に自ら供も連れずに来たなどと知れれば、どう思われてしまうか……」

 いつだって間違っていない。

「国王様も民も皆、ミュウ様の幸せを願っているのですよ」

 でも……でもね……!

「勿論、私だって……」

「だ~~~~~~~っ!」

 クリスチャーナの言葉を遮り、ミュウミュウは低く唸る。

 ぴくんとリヒトが反応するが、そんなリヒトを見えていないクリスチャーナはミュウミュウを凝視した。

「姫様……?」

「うるさいっ! うるさいっ! うるさ~~~~~いっ!」

 声を限りにミュウミュウは叫ぶ。

「姫だってねぇ……恋したいのよっ!」

「恋……ですか?」

 クリスチャーナの言葉に、こくこくとミュウミュウは頷く。

 もう泣き出していて、言葉は紡げない。

 心配そうに見つめるリヒトに気付いていたけれど、溢れる涙は止まらない。

「わかってる……わよ……」

 しゃくりあげながらも、ミュウミュウは何とか思いを発する。

「御父様の気持ちも自分なりに理解してるっ! でも納得出来るには言い訳になるけど、私はまだまだ子供なのっ!」

 もう自分でも何を言っているのか、何が言いたいのかミュウミュウはわからなくなる。

 そんなミュウミュウが落ち着くまで、リヒトとクリスチャーナは押し黙るしかない。

 二人(一人と一個?)には、わかっていた。

 ミュウミュウが全てを、心の内を吐き出さねば、前に進めない事に。

「わた……し……私はっ!」

 そう叫び様、ミュウミュウは真っ直ぐにクリスチャーナを見つめる。

「いつの間にか……そんな表情をされるようになられたのですね」

 クリスチャーナは切なく呟いたが、ミュウミュウには届かなかったのだろう。

 堰が切れたように、ミュウミュウはわんわんと泣き出す。

 リヒトは何も出来ない歯痒さを学び、そしてクリスチャーナはゆっくりと、しかし確実にミュウミュウの前に進んで行った。

「姫様」

 片膝を折り、頭を垂れる。

 涙で濡れる頬に、震える小さな手に触れる事は許されないから、せめて。

「ミュウミュウ様」

 ミュウミュウは小国の姫君で、クリスチャーナは一介の世話係に過ぎないから。

「私の望みは貴女様の幸福、ただそれだけです」

 だから、いつかわかってくれると信じて。


「姫様~っ!」

 アルカジアからの帰り道、もうすぐトラウィス城が見えるか見えないかの所で、ミュウミュウ一行は民達に迎えられた。

「ほら、見て下さい! いい具合に種が取れましたよ」

 ごつごつした両手を老人が差し出す。

 馬上にいたミュウミュウはクリスチャーナに支えられ、胸の奥に確かな痛みを伴いながらも地に降り立った。

「来春は豊作になるといいわね」

 その手を大事そうに包むと、ミュウミュウは微笑む。

 嬉しそうな老人の着ている上着の裾を握りしめた少女が、じっと馬上を見ている。

 その視線を辿ると、リヒトがにこやかに少女に手を振っていた。

 子供には見えるの? そう考えて、自分も子供なのだとミュウミュウは笑いそうになってしまう。

「姫様、これでお嫁に行かなくたっていいよね?」

 老人の傍らに立つ少年が、突然放つ。

「これっ!」

 老人は驚き、少年を戒めた。

「だって姫様は、俺が幸せにするんだっ!」

「わたちも~! 姫様とケコンする~っ!」

 掛け値のない告白に少女も笑いながら、空いていた右手を勢いよく上げる。

「なっ……何っ! それなら、わしだってっ!!」

 両脇の孫達に負けてはなるかと、老人も声を張り上げた。

 胸が熱くなり、嬉しくて嬉しくてミュウミュウは仕方なくなる。

 でも、もう涙は見せないと決めた。


 やっとわかったのだ。

 慕ってくれる民の為に出来る事。大切な父の為に出来る事。

 そっと顔を上げると、淡い夕日を背にしたクリスチャーナが微笑んでいる。

 そして忠誠を誓ってくれた……大好きなクリスチャーナの為に出来る事。

「ありがとう、みんな」

 ミュウミュウは溢れるような笑顔で、全員に感謝を伝えた。

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