初めての城出

 アルカジアの城門を潜ると、石畳で舗装された道を中心に左右に店が連なる。

 色とりどりの野菜。瑞々しい果物。綺麗な織物。不思議な置物。

 朝の市場は行き交う人々で溢れている。

 のどかなトラウィスとは違い、この国は活気に満ちていて。

「……酔いそう」

 ミュウミュウは、そっと息を吐いた。

『そう? 楽しくない?』

 何故かミュウミュウだけにしか見えていないリヒトは、傍らで屈託なく笑っている。

「人酔いっていうのかしら? 私、どうも苦手で……」

 だからこそ大きな独り言にならぬよう、注意しながら囁く。

 そう意識しなければ、一人で喋ってる不思議な子として見られてしまうからだ。

 なるべくなら目立つ行動は避けたい。何故なら。

「供も付けないで国の外に出るのは初めて。大規模な家出……いえ、城出ね」

 今頃マリアスとクリスチャーナは驚き、慌てふためいている事だろう。

「でも譲れない決断なのよ」

 知らず知らずに呟き、まるで自分に言い聞かせるようにミュウミュウは続ける。

「顔も知らない人になんて私、嫁げないもの」

 縁談の場で会えば、もう逃げ道なんてない。

 よわい15歳、乙女心は炸裂している。

『人間って面白いよね』

 リヒトの何気無い言葉に、かちんとした。

「面白い? ひょっとして私の事バカにしてる?」

 つい声を荒げてしまうのは、まだまだ幼い証拠だ。

 しかし、人ではない存在であるリヒトには通じない。

『人間っていうより、ミュウが面白い』

 純粋な笑みに心臓が鷲掴みにされる。

「リヒトといいクリスといい……無駄にカッコイイから苛々するわ」

 周囲から注目を浴びつつある事に気付かないミュウミュウは、ぶつぶつと悪態をついていた。


「お嬢さん、お嬢さん」

 人の波に流されながら歩いていると、声がする。

「君だよ、君。金髪に碧い瞳の……さっきから独り言の激しいお嬢さんだよ」

 瞬間、どっと周囲から笑いが起こる。

「え? わ……私?」

 ミュウミュウは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 独り言激しいって……軽く目眩がした。

「何ですか?」

 注がれる数多の視線に目を背けつつ、声の主に近付く。

「うん! やっぱりいい!」

 分厚いメガネに謎の柄の布を頭に巻いた、独特の出で立ちの青年が陽気な笑顔で迎えてくれた。

「創作意欲を掻き立てられるよ! はい! 座って座って!」

 促されるまま椅子に座ると、青年は両手の親指と人指し指を立てながら構図を取り始めた。

「あの、困ります。私、お金ないですから」

「動かないでっ!」

 慌てて立ち上がりかけると、鋭く制された。


 こうして偵察に来た筈のミュウミュウは、アルカジアの芸術家の卵たる青年の絵のモデルになっている。

「もしかして、トラウィスから来たの?」

 不意の問いに、ミュウミュウは驚く。

「え? 何故?」

「はい! 動かないっ!」

 質問したのはそっちじゃないっ!

 ミュウミュウは不満を辛うじて呑み込む。

 そして、さ迷わせた視線はある一点で止まる。

 青年の後ろにある大木の枝の上、頭の後ろを組み手で支え、幹に完璧に背中を預けているのは……!

「あいつぅ~……一体どれだけ眠れば気が済むのよ」

 すやすやと気持ち良さそうに眠る姿。

 緊張感のかけらもないリヒトと、些細な事で苛立つ余裕のないミュウミュウ。

「笑顔、笑顔。ほら、笑って」

 青年の指示に引きつりそうな頬を、ミュウミュウは無理矢理上げる。

 そしてリヒトから下がった視線は、また新たな一点で停止した。

 あまりにも視線を注いでしまっていたから、さしもの青年も気付く。

「ああ、これ?」

 額縁に入れられ、三脚に支えられている肖像画。

「我がアルカジアの王子。エヴァン様だよ」

 後頭部を殴られた気がした。

「またここにも無駄にハンサムが……」

 本人に会うよりも先に見てしまったが、この描かれている人物こそミュウミュウの縁談相手であるエヴァン=ルスール=アルカジアその人だった。

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