開かずの間
永遠に続くのではないかと思える階段をのぼると、一枚の扉がミュウミュウの目の前に現れた。
「ここが……開かずの間?」
母であるメイベルが最期を迎えた部屋。悲しみに暮れたマリアスが封じた部屋。
でも、ここに来ればきっと。
「私も自分で決められる」
だけど、困った事が一つ。
「どうやって開けたらいいのかしら?」
そう呟きながら、扉に触れてみる。
「あれ?」
誰かが入ったのだろうか?
既に鍵は開いていた。それは何故かマリアスのような気がした。
「きっと御父様も御母様に会いに来たのね」
扉を押し開ける。その先には予想を遥かに裏切る光景が広がっていた。
「わぁ……」
思わず感嘆の声を洩らしたのは、窓辺に広がる壮大な夕日を見たからだ。
目に痛いくらいの橙が、ゆっくりと変化していく。
やがて、それは群青になり月を掲げるのだろう。星を瞬かせるのだろう。
どうしようもない苛立ちも、理解しがたい痛みも。
選択肢のない状況も、悩んで迷って涙していた自分も。
圧倒的な存在の前では、何もかもちっぽけに思えるから不思議になる。
「自然の力って偉大。これが悟りなのかしら?」
ふっと笑みが浮かべ、ミュウミュウは呟く。
「犠牲とかそういうのじゃなくて、私が出来る事を考えたら結論なんて……ひとつだよね」
沈む太陽。沈む気持ち。
沈む……。
「だーーーーーーーっ!」
衝動的に叫び、首を左右に振りながら、ミュウミュウは体を仰け反らせる。
「駄目駄目駄目っ! 暗い、暗すぎるっ! こんな展開暗すぎるっ!」
辺りを見渡せば、女性らしく整えられた部屋はすっかり青い闇に包まれている。
「開かずの間は、もう開かずの間ではなくなったのね」
父が母との辛い別れに向き合い、思い出を紐解きながら、この部屋を整理した姿が目に浮かぶ。
偶然とはいえ、ここに来た事は二人に導かれたのかもしれないとさえ思えた。
「御父様は今回の縁談の相談を御母様にしたのかしら」
先程の自分と同じように、この窓から時の移ろいを感じながら。
だから、もう鍵は必要ないと判断したのではないかと思った。
マリアスはまだ若く、ミュウミュウが嫁げば新しい妃を迎えるかもしれない。
「御母様一筋な御父様だから、可能性は無に等しいけど……もしかしたら、もしかするかもしれないし」
そうすれば、トラウィス王室を継ぐ者も新たに現れるかもしれない。
「明るく楽しく元気よく! 何事も前向きによっ!」
年頃の姫君達がお洒落に踊りにと恵まれた育ちを謳歌していた頃、ミュウミュウは民と共に畑仕事に勤しみ、身の回りの事や城の事も自ら率先して取り組んで来た。
そんなミュウミュウだから、皆に愛されていた。幸せになって欲しいと願われていた。
「そうと決まれば明日にでも話を進めてもらわないと」
善は急げ、だ。
すっかり気持ちも明るくなり、全てが上手くいくような気がする。
それでも、クリスチャーナの事を考えると切ない。
初恋……だったのだろうか?
幼い頃から共にいたから、常に忠誠を誓ってくれていたから、側にいてくれるのが当たり前だと思っていた。
しかし、嫁げば離れ離れになってしまう。寂しくて不安になる。
「また暗くなっちゃった」
反省の意を込め、声に出す。もう部屋に戻ろうと、踵を返しかけて気付く。
石造りの壁際に設えられた本棚、その一番上。
「あれは……」
手近にあった鏡台の椅子を引き寄せ、靴を脱ぐとその上に乗る。
「あとちょっと……なのにぃ~っ」
爪先立ちの状態で左手で棚板に掴まり、右手を目一杯に伸ばす。
悪戦苦闘していると、ぷるぷると足が震え出すのがわかる。同時に椅子が、ぐらりと揺れる。
とっさに伸ばしていた右手でも、左手で掴んでいた棚板にしがみついた……つもりが。
「……嘘でしょ?」
過ぎた年月は確実に木製の本棚に大打撃を与えていたらしい。ぱきんっと軽快な音がして、棚板が中心から傾く。
前のめりに本の列に突っ込むと共に連続する落下音。
立ち込める埃は視界を曇らせ、強かに体を打ち付けてしまったミュウミュウを激しく咳き込ませた。
「いったぁ……」
何とか体を起こして驚く。霞む世界に積み重なって出来上がっていたのは本の山。
もし、この分厚い本が頭に直撃していたらと思うと背筋が凍る。これくらいで済んだのなら、不幸中の幸いだと思えた。
そして、その頂に聳えるのは。
「箱?」
痛みを堪え、立ち上がると慎重に両腕を伸ばす。今度はしっかりと手に入れる事が出来、一瞬拍子抜けしそうになった。
蓋に積もった埃に、ふうっと息を吹きかける。しかし長年の積み重ねで付着している為か、一筋縄ではいかない。
箱自体は両手に収まる程の大きさで、その形に沿って視線を巡らせていくと、ドレスの袖口が裂けている事に気付く。
落下の衝撃のせいなのか、身を守る為に変に力が入ってしまったせいなのかはわからないが。
「お見合いの時には、きっと御父様もドレスを新調して下さるわよね」
袖の先に施されていた刺繍入りの柔らかなレース部分で、ミュウミュウは蓋を擦る。次いで側面、底と続けるとその全体像が明らかになった。
天然木で作られた箱は薄汚れてしまっていたが、かつては光沢のある碧だったとわかる。
その蓋の部分には、三日月とそれに寄り添う雲が彫られている。そして四つの側面には、大小の星と緩やかな曲線が共にぐるりと一周し、流星を表しているように見えた。
繊細な調和を織り成す丁寧な造りは、その芸術的価値の高さを物語っている。
「何が入っているのかしら?」
目線は蓋と正面の板とを繋ぐ蝶番に引き寄せられる。この誘惑に逆らうのは、非常に難しい。
それでも、これはきっと母の物で父の許しがなければ開けてはいけないと判断出来るくらいの冷静さは取り戻していた。
「それよりも……」
手の中から視線を上げる。
「御父様とクリスに知られる前に急いで片付けないと」
ミュウミュウは箱を窓辺に置くと、いつも携帯しているハンカチを三角に折り、口元に巻いて埃よけにする。
「あのお掃除マスターの御父様でさえ本棚に溜まった埃にまで手を回せなかったんだから、本当に最近まで開かずの間だったのね」
一人納得しながらも、てきぱきと本を一ヶ所にまとめていく。
窓から射し込む月が箱の上面を照らす。
暗い所で見ていたミュウミュウは気付かなかった。
三日月が強調されていた為に見落としてしまった、その形と対をなす曲線が薄くあった事を。
そして、それは月の光を吸い込み、ゆっくりと丸みを帯びた輪郭を形成する。
側面の星々が瞬き始める。
やがて三日月は満月へと変貌を遂げ、星が一層輝きを増し、流れた瞬間……!
背中から浴びせられた強烈な光の放出に、ミュウミュウの心臓は跳ね上がった。
反射的に振り返るが、あまりの眩しさに思わず目を覆う。
よろめいた拍子に足元に積み上げていた本が崩れる。
迸る光は波のようにうねり、渦を巻く。
呼吸すら出来なくなる圧倒的な力に、ただ耐えるしかない。
「な……な……」
それでもミュウミュウは声を振り絞り、叫ぶ。
「何なのよーーーーーっ!!」
そして光が……弾けた。
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