第11話
「趣味の悪い部屋ね」
リンが、可憐な妖精を思わす顔の眉間に、皺をよせる。そこは、宇宙船オダリスクの居住ブロックであり、ブリーフィングルームも兼ねている部屋のようだ。
居住区域は全体が回転し、遠心力による人工重力を生み出すようになっていた。
その部屋は、壁、床、天井すべてが剥き出しの装甲板となっている。電子機器やコード類、空気圧をコントロールする各種装置も、無造作に配置されていた。武骨な装甲板にかこまれたそこは居住区というよりは、船倉の一部といったほうが納得しやすい場所であった。
その殺風景な部屋に不釣り合いな豪華にみえるソファに深々と腰をかけ、足を組み、肘掛けに頬杖をついたビリーは、夢から目ざめたばかりのように物憂げな声でいった。
「こういうところが、落ち着くんだ」
「あなたも、同じ意見なの?」
お茶とホットミルクを運んできたヤンに、リンが聞いた。ヤンがあきらめたような声で、答える。
「もう、慣れたよ。慣れればどうってこたぁない」
ホットミルクを受け取ったリンに、ビリーが気怠く言った。
「で、おれに何をさせたい?」
「妹を救いたいの」
「双子の妹か。名前は、メイだったな」
「そう、メイ・ローラン」
ビリーは頷いた。
「だろうと、思ったよ。で、どこまで調べた?あんたの妹をさらった奴が何者かは、判っているのか?」
リンは、遠い彼方を見つめるように不思議な目をして、ビリーを見つめた。
「惑星マルスは知っている?」
「ああ、知ってるよ。地球と同じ恒星系にある惑星だろ」
ビリーは、相変わらず茫洋とした表情で答えた。
『軍神』の名を持つかつて紅い荒野に覆われていたその惑星は、人類の手により居住可能な星に改造されている。地球帝国はあらゆる軍事設備の研究と開発を、その星で行っていた。
「確か、終戦後も封鎖されたままのはずだな。生物・科学兵器のプラントが連邦軍の攻撃で破壊され、惑星全体が汚染されてしまったとか」
「ええ、封鎖された時点であの星に4億の人間が残っていたのは知ってる?」
ビリーは片方の眉だけ、ひょいとあげ言った。
「聞いたような気は、する」
マルスにいた地球人の技術者や科学者たちは、地球帝国崩壊寸前に脱出している。残された4億の人間は他星系より連行され、強制労働を強いられていた人々であった。彼らは生物・科学兵器により汚染された危険を持ち、他星系への移住を禁止されている。
地球軍の開発した未知のウィルスは、惑星マルス全体を覆っていた。閉鎖後の数ヶ月で、4億の人間の99%は死んでいる。しかし、数万の人間は、かろうじて生き延びた。
「あの星に、生き延びた人々がいる。そして、あの星が完全に閉鎖されていた訳ではないの」
「まさか」
「物理的な意味では、無いわ。サイバーネットワークの抜け道を通じて、外の世界と繋がっていたのよ。軍用の極秘通信回線が、一部生きていた」
生き延びた人々は、外の世界と交易を始めた。地球帝国が惑星マルスの中に隠蔽していた軍事技術を売り、その見返りとして外の世界の物資を投下してもらう。この惑星マルスの軍事技術を、密かに輸出していた者たちは一種の秘密結社のような組織を形成していた。その組織の名が、ブラックスローター団である。
「惑星マルスをブラックスローター団により支配し、失われるはずだった地球帝国の軍事技術を手に入れたのは、一人の少年だったの。その少年の名は、ブラックソル。私の妹をさらった男よ」
ヤンが驚いて、言った。
「じゃあ、ウィルスに感染してるのかよ、そのブラックソルは。あんたの妹はやばいんじゃないのか?」
「その危険性はあるわ。でも、ブラックスローター団が生き延びて、マルス上で生活しているということは、彼らは汚染から免れる方法を知っていたのよ」
ビリーは、話を聞いていたのかどうかよく判らないような、夢見ごごちの目でリンを見つめる。例によって、物憂げに口を開いた。
「要するに、ブラックソルとかいう小僧がマルスに残った開発プラントを利用して戦艦を作り、マルスを脱出してあんたの妹をさらった訳だな」
「ええ」
「よく判らないな。連邦軍の封鎖を、どうやって抜け出したんだ?」
「元々ブラックソルの使っている戦艦は、連邦軍が命じて作らせたものなの」
連邦軍にしても、マルスに残された地球軍の軍事技術は、魅力的なものだ。といって、汚染された惑星上におりる危険は犯したくない。そこで、ブラックスローター団との取引を思いついた。
「ブラックソルは、連邦軍が研究の為に作らせた戦艦を、乗っ取ったのよ。連邦軍は、ブラックスローター団との取引が発覚すれば大きなスキャンダルとなると判断した為、公表しなかった。ブラックスローター団はとてつもない戦力を持ってしまったので、連邦軍もへたに手出しができなくなった」
「そいつは、判った。しかしな、判らないのは、なぜその小僧は、そんなふざけたまねをしたんだ。単純にマルスを脱出するのなら、もっとうまい手はあるだろうが」
リンは、少し息をつく。その瞳が深みのある輝きを、見せた。
「ブラックソルの狙いは、ひとつの惑星を手に入れる事だったの。その惑星は、グランノアール」
「聞いたような、名だな」
ヤンが呟く。
「銀河先住民族の遺跡がある惑星として、一時注目されたわ。ただ、調査が打ち切られ、人々の記憶から消えた」
「ああ、なるほど」
「ブラックスローターの必要としたのは太古の人工知性、ユグドラシル。ブラックソルはユグドラシルに眠る、太古の秘術を手に入れようとしているのよ。私の妹、天才デジタル・ダイバーのメイ・ローランを使って」
ビリーはラブロマンスを演じる俳優のように、甘い笑みを見せる。まるで、恋人に愛を囁きかけるように、言った。
「それは、それとしてだ。なぜ、メイ・ローランなんだ?デジタル・ダイバーはそう大勢いる訳ではないが、金をだせば雇えるだろう。おれの推測では、おそらくそのブラックソルという小僧だって、かなりの能力を持ったダイバーだぜ。そうでなければ、連邦をだしぬいてマルスを脱出するなんてまねはできない」
リンは、少し嫌そうに答える。
「デジタル・ダイバーは一人よりも二人組んでダイブした時のほうが、遥かに高い能力を発揮できる」
デジタル・ダイブとは、特殊な能力である。それはオペレーティング・システムやアクセス・メソッドを一切介さず、直接デジタル化された情報へアクセスする事だ。メモリ上、あるいは外部記憶媒体に展開されたビットのオン/オフにすぎない情報を脳内に展開し、そこから意味を見出す。それは、超能力といってもいい才能である。
デジタル・ダイブの前にはセキュリティシステムは、全く意味をなさない。セキュリティで制限できるのは、アクセス・メソッドの使用権までである。それを介さず、ある種の直感に近いもので情報をとりだすデジタル・ダイバーに必要なものは、ハードウェアのチェック用ユーティリティと同レベルのソフトウェアだけであった。
ダイバーは、誰でもなれるものではない。訓練したところで、そのまねごとすら、できない。ダイバーは先天的な、異能者といえる。
二人でダイブした場合、一方の人間がメモリの役目を果たし、もう一方の人間がCPUの役割を担う。情報を脳内に展開するのはどちらかといえば、右脳の能力であり、それを解析し意味を見出すのは左脳の能力である。一人の人間がその二つの事を同時に行うのは、困難だ。分担したほうが、効率がいい。
ビリーは、物憂げに質問を続ける。
「確かにそれは、聞いた事がある。しかし、ダイバーが二人でダイブできるのは、相当シンクロ率が高くないと無理だ。たとえば、あんたとメイのように、双子だとかね」
リンは、頷く。その妖精のように美しい瞳に、凍てついた極北の夜空のような冷たい光がうかぶ。
「私たちもいたの。その惑星マルスに」
ビリーは、愛の告白を聞いたように、優しく頷いた。
「私たちの父は、帝国の技術者だった。あの戦略支援システム、フェンリルを設計したのは父よ。体制に対して批判的だった父は、秘密警察にマークされていた。そして…」
「消されたか」
言い淀んだリンの言葉を、ビリーが補った。リンが頷く。
「そうよ。私たちは、母と共に逃亡し、マルスを脱出する事にした。でも、追いつめられた」
「そこで、フェンリルにダイブした訳だな。データを改竄し、帝国軍を混乱させた」
「ええ。私たちは、脱出に成功した。けど、母は終戦を待たずに死んだわ。それと、父には母以外に愛人がいた。その愛人にも私たちのような、双子の子供がいたはず。ただ、男女の双子だった」
ビリーは、満足げに頷いた。
「その男のほうが、ブラックソルか」
リンは、何もいわずに頷く。リンは透明な、なんの感情も宿していない瞳でビリーを見つめると、言った。
「私の物語は、終わり。ブラックソルは、グランノアールにいるわ。私は、リンをブラックソルに渡すつもりはないの。奪い返して」
ビリーは、どこか投げやりに言った。
「ヤン。やっと行き先が決まったよ。クリステヴァ星系のグランノアールだ」
「了解、キャプテン」
ヤンは席を立ち、ブリッジへ向かう。それを見届けると、リンが言った。
「今度は、あなたの話を聞かせて、キャプテン・ドラゴン」
「なんだい?」
「あの龍は…一体何?」
「ヤンから聞かなかったのか」
「聞いたけど、納得した訳じゃないわ。一体どうやってあの龍を手に入れたの」
「銀河先住民族によって封鎖されたエンシェント・ロードは知っているか?」
「ええ。確か…龍の道?」
「戦争中、帝国軍がその封鎖を突破する方法を、見出した。そのころおれは、連邦軍の調査局の一員だった。おれは帝国軍を追って、龍の道の奥へと入り込んだ」
「そこに、あの龍がいたわけ?」
「ああ。そこには、閉鎖惑星ケルダーがあった。先住民族が作り出した次元渦動の奥にあったのは、亜空間ウィルスに汚染された星、ケルダーだったんだよ。先住民族は亜空間ウィルスと接触した時に、その危険性を認識し星系ごと封鎖した。その結果、ケルダーは異常な世界になった。おれがあの龍に出会ったのは、その狂気の星、ケルダーでだ。
おれは、龍に呼ばれたんだよ。やつは死んでいる。やつには、魂が必要だ。おれはやつが望むまま、魂になってやった」
「なんていう名前なの?」
「あ?」
「あの龍の名前」
「マンダだ」
リンは少し笑った。
「原始宗教のマンダ教では、造物主は狂った存在であり、人間の魂を地上に縛り付ける専制者としている。マンダ教における龍とは、太古に楽園にいた人間を誘惑し、造物主に背く為の英知を授けた蛇と同一視されている。
マンダとは、救い主としての龍という意味?」
ビリーは、苦笑する。
「難しく考える事、ないんじゃないの?」
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