初々しい濃紺を憶えていて(BL)
(叢雲×丙/鈴が鳴る~の前の話)
狂い咲きの桜のように、闇夜に舞う金色の蝶
色町は今宵も華やかに
長い睫毛に縁取られた彼の瞳に映るは
そう遠くない未来の、花魁道中。
なのだろうか─
初々しい濃紺を憶えていて
文久、京──
世間は攘夷派、佐幕派、エゲレス、メリケン、と様々に騒ぎ立てる。
俺はそんな時代に溜め息を尽きながら、人々の間を突っ切った。
まるで、自分は興味がないと言うかのように。
昼間の京は嫌いだ。
騒がしい時代の騒音、浪士の喧騒。
…不愉快だ。
俺は藩での会合をさっさと済ませると、藩邸をすぐさま出た。
足は真っ直ぐにある場所へと向かう。
桜が華やかに踊る花町。
眠らない街は色気付いた空気と静かな熱気に包まれる。
三味線の音と共に顔を出す遊女たち。
赤い格子越に、一人の遊女が此方を見やり、ふわりと花のように笑った。
亜麻色の髪を高く結い、牡丹の花をあしらって、来い来いと手招きしてみせる。
彼女は、恋歌。位は天神だっただろうか。
「………」
俺はすぐに視線を逸らし、路地を行き交う人々に混じる。
恋歌とは何度か相手をしているが、今日は何となく、そんな気分にはなれなかった。
最近の忙しさがきているのだろう。
疲れている、日常に飽きている。
だから、なにか変わったことが起こらないものかと期待している自分。
千鳥足で陽気に声を張り上げている男たちを余所に、俺はこのむせかえる様な色気から抜け出した。
花町に来ても、昔のように心躍るものはなく、
無駄足だった、と落胆し、一滴も呑まずに帰る自分も随分と年をとったものだと実感した。
*
どのくらい歩いただろう。
ぼーっと星空を眺めながら歩いていた。
幸い道は間違えていないようだ。
─ふと、視線の先の存在に気づく。
路地の隅にへたり込む……女?
色とりどりの花を散りばめた模様の着物に、ふんわりと可愛らしい若草色の帯。
その帯は腹の前で締めてあり、薄茶色の髪には桜の簪(かんざし)。
その風貌はまるで、遊女のようだ。
しかし、その細い四肢、低い背丈、骨ばった足首は少年らしさが伺える。
俺はできるだけ足音をたてないようにそうっと近付いた。
「おい、」
「っ」
眼下に見下ろす距離にいるそいつはびくっと肩を弾ませる。
「何してんだ?こんな夜道で」
「あ……」
そいつはゆっくりと此方に向く。
…穏やかな、衝撃だった。
そのこぼれ落ちそうな大きな瞳に、月に照らされて青白く滑らかな肌、ほんのりと色付いた頬と唇。
少年のようなあどけなさと、少女の可憐さ、そして僅かばかりの色気。
その辺の子供とは別格の雰囲気を纏っていた。
彼は困ったように笑うと、澄んだ声色で話した。
「ごめんなさい、少し転んでしまったもので」
京言葉ではない。江戸なまりのある話し方だ。
俺も江戸の出故、少しばかりの親近感が沸く。
「大丈夫か?手貸すから、立てるか?」
「はい…すみません…」
小さな手をとってやり、
ゆっくりと立ち上がろうとするが…
そいつは痛そうに顔をしかめ、体勢を崩してしまう。
俺は彼を支えながらすぐに足を見やる。
左の足を庇うようにする彼の様子に、足を挫いているのだと悟った。
おまけに可愛らしい下駄の鼻緒も切れている。
「その下駄、貸してみな」
「え、……はい」
俺は渡された下駄の鼻緒を、応急処置ではあるが直しておく。
それから、左足は裸足のまま、そいつを抱き上げる。
驚きを隠せないそいつに問う。
「お前、家はどこだ?」
「……桜屋です」
「なんだ、お前やっぱ花町の奴だったのか」
自分の僅かな推測が当たって、少し笑えた。
「桜屋、か。着いたら教えてな」
「あ、あの、えっと、…はい」
戸惑いの表情を浮かべたまま、彼は大人しく頷いた。
*
「あ…此処です」
「そうか」
結構奥まで来た気がする。
ある一角を指差す彼をそっと下ろしてやる。
何の疲労感もない己の腕に違和感を感じ、小さな溜め息をついた。
「お前、軽すぎだ。きちんと食え」
「は、はい。」
素直に頷く彼の頭を撫でてやると、店から一人の男が出てきた。
流れるような銀髪を結った、品の良い男。
「丙、遅かったじゃないか」
「あ、白虎兄さん」
「そちらの方は?」
「あ、えっと、助けて頂いたんです」
白虎と呼ばれた男はそうか、と微笑むと、俺に向き直って律儀に頭を下げた。
「どうも、ありがとうございました」
「礼を言われるような事は…」
「いえ、本当に感謝しております。ほら丙、お前もお礼をしなさい」
丙は俺を見つめるとぺこりと頭を下げた。
「本当に助かりました、ありがとうございました」
それから、可憐な笑みを浮かべ、
「今度、何かお礼をさせて下さい。あの、お名前を…」
「……叢雲だ」
「叢雲、さん……」
刻み込むように復唱すると、彼は更に笑みを深めて、
あなたは僕の恩人です。またお会いできた暁には、是非恩返しをさせて下さい。
と、ふわりと俺の手を取ったのだった。
(終)
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