一人で幸せに 6/6 ~公園でパス回し~

 黒川君、真田さんと別れた後、詩織はすぐに悠に連絡を入れた。悠は丁度作業が終わったところで、二人は駅で落ち合った後、一旦アパートに戻ってきた。悠は食べられるか分からないギリギリの食材をいくつか貰ってきていたため、それを自宅の冷蔵庫にしまい、帰ってきた亮太を連れて三人で家を出た。

 もうお昼だが、行ってから食べる事にしよう。行先は公園だ。


「詩織、美紀ちゃんの事もう少し教えてよ。基本情報みたいなの」

 悠はそれがぼんやりと気になっていた。岡本食堂に来た時に見た美紀の姿は寂しそうで、悲しそうで、悠がそれまで持っていた美紀のイメージとはかなり異なっていた。

 もちろん、人間なんだから寂しい時、悲しい時があるのは当たり前だが、とにかくその時から、美紀がどんな子なのか気になり始めていたのだ。

「あの子、風変わりでしょ? 服もどっかの民族衣装みたいだしさ、雰囲気も軽くて、行動、思考、ぶっ飛んでる。でも、それって、生まれつきの物だけじゃないんだよね」

 このセリフが悠に衝撃を与えた。つまり、美紀の風変わりな人間性には、そうさせた背景があるという事だ。これも本来当たり前なのかもしれないが、今まではそこまで考えていなかった。

「美紀は、五人兄弟の末っ子なんだけどさ、兄弟がすごいんだよ。一番上のお兄さんは衆議院議員、次のお姉さんは弁護士、その次のお姉さんは小児科医、次のお兄さんはテレビアナウンサーなの。美紀の苗字、中井戸だけどさ、中井戸敦アナウンサーって知ってる?」

 これは知っているかどうかの確認ではない。中井戸敦アナと言えば、朝のニュース番組に出ている、今民放で一番人気の「朝の顔」だ。知らない人なんかそういないだろう。もちろん、悠も例外ではない。

「マジで?! あの人美紀ちゃんのお兄さんなの? あと、まさか議員のお兄さんって、中井戸…よし…」

 中井戸という苗字の国会議員にも覚えがあった。政治の話に疎い悠が顔を思い出せるほんの一握りの政治家の中の一人だ。

「うん。中井戸義典。与党の青年局長やってて、有権者にもすこぶる人気だから、選挙の時によくテレビに出てくるよ」


 詩織の話だと、要するに美紀は、エリートの四人の兄弟に対して劣等感を抱いているらしい。それで、同じ土俵で比べられるのが嫌で、風変わりな美術女子に意識的になろうとしている側面がある…と、詩織は考えているようだ。


「しかもさ、美紀とお兄さん達は、お母さんが違うんだよ。お兄さん達のお母さんが死んじゃって、その後再婚したのが美紀のお母さんなの。だからさ、一番下のお兄さんとも、歳が十歳以上離れててさ。仲はいいんだけどね」

「へえ…美紀ちゃんは、何となく兄弟の中で自分だけ浮いてるって感じてるのかな…」

「そうだと思うよきっと」

「さっきの話し合いは、結局どうなったの?」

「真田さんが彼氏全否定してさ、美紀が耐えられなくなって逃げちゃった」

「ああ……私達も一応気をつけないとね。美紀ちゃん傷つけないように」

 このセリフも、この前までなら出てこなかったかもしれない。



                  *



 三人が公園に着くと、美紀はもう広場に来て待っていた。服はツナギのままだ。美紀は二人に、わざわざ来てくれたことにお礼とお詫びを言うと、詩織にさっきの事情説明を始めた。

「詩織ごめん、嘘つかして。あり姐キツすぎっから、ちょっ、耐えらんなくなっちって」

「いいよいいよ。私達もちょっと不用意だったしさ。どんな話するかきちんと決めてなかったから。本当は美紀の話を聞くことを中心にするつもりだったんだけど……」

「あり姐、火ぃつくと止まんなくなっかんね。学内で俊樹…あ、彼氏ね。俊樹と会わさないように気ぃ付けるわ」

 美紀はさっきよりリラックスしているように見える。人数も少ないし、詩織の事を信頼しているのだろう。

「美紀ちゃん、話したい事あるんでしょ? ちょっと、四人で遊びながら話ししようよ」

 四人は持ってきたサッカーボールでパス回しを始めた。悠、詩織、美紀の三人は、亮太が退屈しないように、多めにパスしてやるよう気を配っていた。

「俊樹、あたしんいっこ上の先輩なんけど、授業出てなくて、もうほぼ卒業延期決まってんですよ」

「そうなんだ。いつもこの時間は寝てるのかな」

 悠は言いながら詩織と亮太の間にパスした。二人ともボールめがけて走り、取り合っている。

「たぶん寝てます。昼夜逆転してんで。……大学んみんなは、あり姐みたいに『ダメな奴』って思うんかもしんないですけど、あいつホントは、メチャいい奴なんですよ。でも本人も、今んままじゃ誰んも認めてもらんないって思ってっぽくて」

 ボールの取り合いに勝利した亮太が悠にパスを回した。微妙にズレたパスを悠が追って行く。

「そっか…。あのさ美紀、さっき彼氏に色々お説教されるって話してたけどさ、美紀からはどんな話してるの?」

 詩織に聞かれると美紀は眉毛を掻きながらこう言った。

「なんも話してない、あたしからは。あいつん話聞くことばっかしてる」

 亮太からのパスを受け取った悠は、また亮太と詩織の間にパスを放った。再び二人がかけて行く。

「美紀ちゃん、彼氏の事よく守ってるよね。さっきもだけど、うちの店に来た時も。彼氏、幸せ者だと思うよ。向こうもそう思ってんじゃない?」

「うーん、どうですかね。まー、あいつん事分かってやれんのあたしだけなんで……そばいてやんないと…」

 このセリフで悠にはピンときた。美紀は自分が彼氏の役に立つ事が安心につながる。

 そして、風変わりでエリートでもない自分が役に立てる相手は、世界で彼氏だけ。だから離れたくない。彼氏は自分がいないとダメになってしまう……と、美紀は思い込んでいる。でも、そんな自分の勘違いに気付いていない。

「美紀ちゃんの他にも、彼氏の事分かってあげられる人が出来るといいよね。美紀ちゃんの負担、少しは軽くなるだろうし。だって大変でしょ?」

 ボールの取り合いに勝利した亮太がまた悠にパスを回す。受け取った悠は、今度は美紀にパスした。

「おっと。おし、亮太君! おぅら!」

 美紀が「ダボン!」と強くボールを蹴った。ボールはまた亮太と詩織の間を駆け抜け、二人はまた追いかけていく。

「まそんでも、あたしがいてやんなきゃっていうのはあんで、やっぱあたしが受け止めてやんないと」

 ボールの取り合いに勝利した亮太がまた悠にパスを送ってきた。詩織は亮太の後ろからフラフラ歩いてくる。

「ハァ…でもさ美紀、フー…今のままじゃ美紀が、ハァ…もたないでしょ。誰か、たまに代わりをさ、フゥ…やってくれる人が…フー…いた方がいいと思うよきっと」

 息切れがすごい。もたないのはお前だよ。とニヤついている悠の横で、美紀はまた眉毛を掻いた。

「んーでも、一番そばで愛情注ぐ人間って、代わりきかないもんじゃん」

 悠がボールをまた亮太と詩織の間にパスした。二人ともまた追いかけていく。

「それ言われると私ツラいな。今りょうたのお母さん代わりしてるから」

「あ…」

「いや、美紀ちゃんが正しいのかもしれないけど」

 ボールの取り合いに勝利した亮太が、今度は詩織にパスした。受け取った詩織は美紀の方を向いてパスをしたが、ボールは悠の方へ転がっていく。

「あのさ美紀、ハァ…ちょっとキツく聞こえるかも、フゥ…しれないけどさ、美紀は…ハァ…今のままでいいって思ってるの?」

 美紀はまた眉毛を掻いている。

「ま確かに、あたしも今んままじゃダメって思ってんけどさ…でも、あいつん事助けてやれんのあたしっかいないし…」

 話が堂々巡りになってきた。悠は美紀と亮太の間にパスを出し、二人がかけて行く。

 悠にはなぜかピンときた。この堂々巡りは、亮太が変えてくれる。亮太がボールを手に入れたところで、悠は亮太にこう言ってみた。

「ねえりょうた、りょうたにも大きくなったら、美紀ちゃんみたいに幸せにしてくれる彼女出来るといいね」

 亮太はすぐにこう返した。

「要らない! おれ女子、超嫌い」

 美紀が声を立ててカラッと笑った。

「要んないの? でも亮太君、人は一人じゃ幸せんなれないよ」

「なれるよ!」

 ちょっとイライラしているらしい。亮太は言いながら詩織にパスを出した。詩織は取り損ねてボールを追いかけていく。

「ねえ美紀ちゃん、りょうたの言う事にも一理あるかもよ? 今の世の中、ちゃんと一人で幸せになれるようになんなきゃ、逆に彼氏は美紀ちゃんを大事にできないと思う。これだけ彼氏の事想ってる美紀ちゃんは、大事にされるべきだしね。本当は彼氏も、美紀ちゃんの事、大事にしたいんじゃない?」

 詩織が美紀の方を向いてボールを蹴ると、今度は亮太の方へ転がって行った。

「ハァフ…私もさ、そう思う。その方がさ、ヒ…彼氏も、幸せだよきっと。フハ…今のままじゃ、ダメって思ってるならさ、ハー、ヒッんぐっえっほ! 少しさ、考えてみなよ」

 美紀は眉毛を掻きながら黙り込んだ。でも顔は笑っている。


 パス回しを終わりにして、四人は木陰でお昼を食べる事にした。コンビニで買ったおにぎりやサンドイッチだ。

「ね亮太君、さっき女ん子嫌いっつってたけっさ、なん嫌いなの?」

 亮太は美紀の方を見ずにおにぎりをかじって答えた。

「だって、本当はあっちがガキのくせに、おれとかの事ガキって言ってくるから」

「一生彼女要んない?」

「要らない」

「悠さんとか詩織みたいな女ん子でも?」

 亮太は美紀の方に顔を向け、少し考えてからおにぎりを飲み込んで言った。

「んー、それなら考えてもいいよ」

 生意気だ! 美紀がまた声を立てて笑ったその時、美紀のスマホが鳴った。美紀はスマホを取り出し、すぐに電話に出た。

「もしもし…………ん、ちょっ待ってて」

 美紀はスマホのマイクを手でふさぐと、悠と詩織に向けて言った。

「あいつから。五分で家に来いって」

「え…美紀ちゃんの彼氏の家、たぶんうちの店の近くだよね? ここから五分じゃ絶対行けないよ。大急ぎで十五分かな」

「あいつに何つったらいいともいます?」

「うーん…正直に言ったら?」

「私もそう思う。でもさ、美紀が彼の事大事に想ってるって伝わるようにね」

 悠と詩織にそう言われると、美紀はまた電話に戻った。

「ごめん、あたし今公園来てんだよ。五分は無理。二十分で行く。……や無理だって。え? …………」

 美紀は黙り込んだ。相手の話を聞いているらしい。

「ハァあ? お前ふざけんな! いつあたしが、んな事言ったんだよ! お前は…ちゃんと一人で何でもやれる男だろ! あたしはそんでもそばにいたいって事だろが! 二十分テレビ見て待ってろ! 五分で行ってやっから!」

 彼氏が何を言ったかは分からないが、カッとなった美紀は悠と詩織に言われた事を思わず彼氏にぶつけた。それも、一応きちんと自分の言葉に置き換えている。

 美紀が電話を切ると詩織が美紀の肩にポンと手を置いた。

「よく頑張った」


 美紀はその後、詩織と悠、そして亮太にお礼の言葉を残して、大急ぎで走って行った。美紀の顔は一応笑顔だったが、不安が目元と頬に色濃く滲んでいた。誰でもする顔だ。でも、少し前までの悠には美紀のこんな顔は想像できなかっただろう。

 詩織はお茶を飲むと、三つ目のおにぎりの袋を丸めて、二つ目のサンドイッチの袋を空けた。

「あのさ、美紀上手くやれるかな…」

「どうだろうね。私達、彼氏とは話した事ないし。でも、美紀ちゃんが変わったら、彼氏の方も、少なくとも何か変わるんじゃない?」

 悠と詩織が静かになると、亮太がポツリと言った。

「ねえ悠、美紀さんは一人じゃ幸せになれないの?」

「いや、なれるよ。たぶんね」

「じゃあ何で彼氏の所に走っていったの? 彼氏なんて要らないじゃん」

 今度は詩織が答えた。

「好きだからだよきっと。一人で幸せになれるけど、それでも好きだから、近くにいたいんだよ。りょうたにはさ、まだそういう気持ち分からないでしょ?」

「うーん…ちょっと分かる」

 生意気だ! 悠も詩織も大笑いした。またしても女子にガキ扱いされた亮太は、その後家に帰ってからもしばらく不機嫌モードだった。




第九話 一人で幸せに - 完

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