一人で幸せに 5/6 ~真田さん暴走、美紀逃走~
次の日の朝、悠と詩織は二人で大学の大食堂に来ていた。亮太は都合よく翔聖君と遊びに出かけている。鍵を持たせてあるから、万が一先に家に帰ってきても、ひとまず困らないはずだ。
二人が朝食のおにぎりを食べていると、黒川君が大食堂に駆け込んできた。
「ごめんなさい、寝坊しました。美紀達は……まだ来てないですよね?」
「黒川君おはよう。美紀も真田さんも、まだ来てないから大丈夫」
詩織のセリフにまた悠の知らない名前が混じっている。
「真田さんって美術の子? あと池谷さんって子が来るんでしょ?」
悠の質問には黒川君が先に反応した。
「池谷? 昨日垣沼さんが美術棟で会ったあの池谷ですか? あいつ呼んだんですか?」
詩織が一瞬固まったのを見て悠はピンときた。これは単純な言い間違いとかじゃない。
「いや、呼んでない。あれ? あのさ悠、私昨日池谷君って言った? ごめん。真田さんの間違い。あと美紀で全員」
「真田さんだけか。池谷『君』は、美紀ちゃんとは関係ないの?」
黒川君が答えた。
「池谷は美術専攻の後輩ですけど、美紀とは特に関係ないですね」
悠は一瞬考えた。真田さんと美紀はあとどれくらいで来るか分からない。それまでは三人ともヒマだ。昨日は裁判で詩織に悔しい思いをさせられた。
―― ちょっとつついてやろ。
「詩織、昨日その池谷君と初めて会ったの?」
「うん。美術棟で会って、黒川君の所まで案内してもらった」
平静を装っているが、詩織は明らかに「この話早く終わりにしたい」という空気を漂わせている。でもそうはいかない。
「二人で美術棟の中を歩き回って黒川君探したの?」
「ううん。黒川君がいる研究室に案内してもらっただけ」
「そういえばあいつ、垣沼さんの事可愛いって言ってましたね」
黒川君のファインプレーで悠には見当がついた。池谷君が詩織の好みだったから、「可愛い」と言われて意識に残っていたのだろう。それで昨日悠に説明する時、酔っていたことも影響して、大して興味のない真田さんと名前が入れ替わってしまったわけだ。
「黒川君、その池谷君ってどんな子?」
「イケメンです。オシャレですし。しゃべりも面白いですよ」
即答だ。「どんな子?」という大雑把な悠の問いに、どんな回答を求められているか完璧に理解している。黒川君も今の状況に何かピンときているらしい。詩織は何食わぬ顔をしながら黙って聞いている。
「中身は?」
「んー、まあ、頭もいいですし、基本優しいですけど…」
「チャラい?」
「はい」
また即答。
「やっぱりね。詩織、やめときな。初対面の女の子に、本人のいる所で『可愛い』なんていけしゃあしゃあと言う奴なんて、信用しない方がいいって」
こう言うと、詩織は悠が予想した通り、テンパって墓穴を掘った。
「いや、でもさ、私に直接言ったんじゃないんだよ。扉越しに言ってるのがたまたま聞こえただけ」
「ふふっ、やっぱり興味あったんだ」
悠がにんまり笑って見せると詩織はどたんとテーブルに突っ伏した。
「あのね詩織! それはたまたまじゃなくて、聞かされたんだよ向こうに。わざと!」
「えー…だってさあ……」
「ねえ黒川君、その時池谷君、詩織が黒川君の彼女かどうか聞かなかった?」
「ああ…はい。なんで分かったんですか?」
「ほら詩織! 確認してるじゃん。一人で男に会いにきて、その男の彼女じゃないなら、彼氏いない可能性高まるからね」
「んんー…もう分かったからさあ…」
お前は男を見る目がないんだから…と悠が楽しく詩織に説教を垂れていると、やっと美紀と真田さんがやってきた。今まで彫刻研究室にいたらしく、二人とも汚れたツナギを来ている。
「あ、悠さんまで…こんちは…」
美紀は真田さんに促されて席に座ると、首にかけたタオルで顔を拭った。目の下にも隈を作って、かなり疲れた顔をしている。真田さんは座るとすぐに美紀をまくしたてるように問い詰め始めた。
「ねえ美紀! 垣沼さんから聞いたけど、おととい彼氏に晩御飯おごらされたんでしょ?」
「ああ…そう。仕方なってさ。無い袖振れないし。ま、後で返してもらうけんね」
「そうやって彼氏に都合よく使われてちゃダメでしょ! いっつも勝手な時間にいきなり呼び出されてるし、もうほんっとに別れるべき! そんな奴のためになんで美紀が大事な学生生活捧げなきゃならないの?」
美紀は笑って「うーん…」と言葉を詰まらせた。黒川君も真田さんに続いてしゃべり始めた。
「まあとにかく、いきなり呼び出されて、美紀が大学でやりたい事とかやらなきゃいけない事が出来ないのはかわいそうだな思って、心配してるんだよね。だから、美紀が今どんな感じなのか知りたいなって…」
「そんなダメな奴今すぐ別れないとダメ! ケータイ出して! ここで電話してもううんざりだって言うの!」
真田さんはすごい勢いで、まるで美紀を叱りつけているように声を叩きつけている。悠は何となく不安を感じ始めた。
―― 大丈夫かなこれ…。
「あのさ美紀、彼氏の呼び出しって断りづらいの?」
詩織がそう聞くと美紀は眉毛を掻いて「うん」とうなずいた。美紀が言葉を続けようと口を開いた瞬間、真田さんがまた切り込むように入ってきた。
「なんで断れないの? 本当にそんなに大事な話なの? 何話してるか言ってみて!」
「んーまー、話の内容は……あたしが、あいつから貰ったアクセサリーいつもしてない、とか、部屋から本消えてっけどお前持ってってないか、とか…あと、あたしが頼まれた買いもん忘れったり、遅れたりして…何やってんだよ、とかなんけどね」
言い終わるか終わらないうちに、真田さんが「ドン!」とテーブルを叩いた。
「そんなことで呼び出してるわけ?! 自分勝手にもほどがあるでしょ!」
「いやでも、いいとこもあんだよ」
美紀がポツリと返すと真田さんはカウンターを喰らわせるように言い放った。
「例えば?」
「んー…こう、正義感強いってかさ…」
「そんな奴が人を自分勝手に呼び出さないでしょ!」
「ま、そりゃね…でも……身の回りの人、大事にすっし…」
「美紀を大事にしてない!」
真田さんは美紀の答えを全部打ち返すつもりらしい。たまりかねて悠が口をはさんだ。
「彼氏の人間性の事話してもらちが明かないよ。私達まともに会った事ないんだから。それより、みんな心配してるから、もう少し美紀ちゃんの話を……」
「でも美紀が悪いんじゃないんですから、ダメ彼氏の方が変わらないとどうしようもないです! て言うか、そんなダメな奴変われるはずない! きっちりケジメつけて別れなきゃ同じことの繰り返しです!」
真田さんの攻撃の矛先は悠に移った。もう怒りのあまり見境がなくなっている。黒川君が間に入ってくれた。
「あり姐、落ち着いて。ただ彼氏の事悪く言ってもしょうがないって。変われないって決めつけるのも…」
「とにかく別れなきゃダメ! 美紀、もうここで電話して別れるの! そんなダメ人間と付き合ってたら、美紀までほんっとにダメにされちゃう! ケータイ出して!!」
スマホのバイブ音が鳴った。また彼氏の呼び出しかと誰もが思ったが、鳴ったのは悠のスマホだった。大将からの電話だ。休みの日に何の用事だろう。
悠が他のみんなに断って席を外して電話に出ると、大将は信じられないセリフを吐いた。
「おう悠、お前には話してなかったけど、昨日の夜、冷蔵庫一台壊れちまったんだよ。一晩したら直るかなと思ったんだけどさ、今店来て確認したら、直ってないんだわ」
「ええ?! 何で昨日の内に言ってくれないんですか!」
「いやー、直ると思ったんだよ。今から店来て、食材運び出して整理するの手伝ってくれ。もうダメな食材はお前にやるから」
ダメな食材なんか貰ったってゴミになるだけだ。悠なら何でも食べられるとでも思っているのだろうか。色々と納得いかないが、とにかく行くしかない。悠はみんなに事情を説明して、自転車を飛ばして岡本食堂に向かった。
*
残された詩織達の方は話が行きづまってしまった。真田さんはとにかく「そいつはダメな奴だ。別れろ」を繰り返すのみで、詩織や黒川君が何を言っても止まらない。
「ちょっ、トイレ行ってく」と言って美紀が席を立つと、黒川君が真田さんを叱り始めた。珍しく少しイライラした様子だ。
「あり姐、これじゃ全然前進しないよ。彼氏と別れさせるより、美紀が創作とか授業がちゃんとできるようにする事を先に考えないと。別れるかどうかは美紀が決める事だし」
「だってダメ彼氏と別れないでどうやってそれをできるようにするの?!」
「俺は、俺達が美紀に理解を示して味方になれれば、彼氏とのやり取りも少しは変わると思うけどね。そもそも今日の話し合いは、みんな心配してるよって美紀に教える事で、それ以上の事は…」
「それだけじゃ意味ないでしょ!」
二人の応酬を眺めていた詩織の手元で、スマホが震えた。美紀から連絡が入っている。
--- ごめん、もう耐えらんない。一旦帰る。でも、出来れば詩織と、あと悠さんには話聞いてほしい。今日この後とかダメ? あり姐といそべえには、また彼氏に呼び出されたって言っといてくんない? ---
詩織は確認してすぐにスマホをしまった。
「真田さん、黒川君、あのさ、美紀また彼氏に呼び出されて、もう行っちゃったみたい。今日はこれまでにしよう」
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