本音は言えない 3/7 ~酔っ払い参上~
次の日、水曜日で岡本食堂の定休日だ。悠は亮太を早くに寝かしつけて詩織と二人で夕飯を食べに行った。駅近くに最近できた和風居酒屋だかなんだか、おしゃれなお店だ。
「天丼久しぶり~。一人暮らしだとさ、揚げ物なんてやらないよね」
詩織は自分の天丼をしみじみ眺めている。今にもよだれを垂らしそうな顔だ。
「そうだよね。私も天丼久しぶり」
悠は自分の天丼と詩織の天丼を見比べた。詩織の「旬の食材天丼」は悠の「店主オススメ天丼」より二割近く大きい。
詩織は悠よりも背が低いし、体系もかなり細いにもかかわらず、食べる量は悠の倍近くある大食漢なのだ。
「昨日の朝すごく大変そうだったけどさ、何があったの?」
この質問を皮切りに、悠は一昨日の夜の一部始終を詩織に話して聞かせた。その結果、岡本食堂に来た三人の学生は、どうやら詩織の大学の「サンバ愛好会」と言うお遊びサークルのメンバーらしい事が分かった。サークルの名前からして、何となく軽薄な感じが漂ってくる。
「あそこさ、もう最悪なんだよ。月曜の夜からそんなに飲んでるとか……。チャラチャラした人ばっかでさ。昔大学構内を夜一人で歩いてた女の子を、しつこく追い回した人もいたみたい。これは噂だけどね」
詩織はおしゃべりしながら天ぷらの「仕分け」を行っている。
「ん? あのさ悠、これなんだと思う?」
「鱚でしょ」
「でもさ、緑の何かがついてるよ?」
「大葉じゃない?」
「あ~。じゃ、これはあげる」
詩織は食べる量だけでなく、好き嫌いも多い。自分の嫌いなものを次々と悠のどんぶりにのせていく。
「これは、獅子唐? ……違う、アスパラだ! あげる。でさ、昨日の朝不機嫌だったってわけ?」
「うん。あ、私天ぷら多すぎる。好きなのいくつか持ってって。寝坊したところに、りょうたの世話。まあでも、それはいいんだよ。もう山崎さんがしつこいというか、口うるさくて。確かに私が悪いんだけど、私切羽詰ってたからついキレちゃ、待ってエビは食べる!」
「じゃイカもらうね。気持ちは分かるよ。山崎さん確かに口うるさいよね。うちのアパートであの人に注意された事ない人いないと思うよきっと。レンコンあげる」
「野菜ほとんどこっち来てない? そのあと夜も大変だったんだよ。大将に押し付けられた大量の仕事をやらなきゃいけなかったんだけど、りょうたがいつも以上に、『あれやってこれやって』って。おかげで仕事全然終わらなかったよ」
「あれとかこれとかってどんな事? かぼちゃあげる」
「その代りご飯の方少し食べて。虫がいるとか、パジャマがチクチクするとか。正直『我慢しろよ』って言いたくなるような事ばっかりだった。あ、ご飯もっと取っていいよ」
「それさ、りょうた、構ってほしかったんだよきっと。悠が仕事で忙しくしてて、自分の方を向いてもらえなかったから。だからさ、注意を引きたくて、あれこれ悠に言ってきたんだよきっと。んおぁっ!!」
詩織がいきなりえずくような大きな声を発し、悠は一瞬息が止まるほどびっくりした。
「おあ……うえっ! う、ウソでしょ?! これ…」
詩織が大好きな獅子唐の天ぷらと間違えて思いきりかぶりついたのは、大嫌いなキュウリの天ぷらだった。
*
帰り道、悠は胃もたれで気持ち悪くなり、体を揺らさないようにゆっくり歩いていた。詩織の方は悠の倍近く食べた上に焼酎まで飲んで、かなり上機嫌……というより完全に酔っ払いになっている。
「詩織、明日授業無いの?」
「ないっ! っはは! 嘘。でもさ、あのさ、午後からだからね。平気なの。午前はフリーダムタぁイムなんだよ」
「あんな大盛り天丼に焼酎なんて、私にはとても真似できないわ」
「できないと思ってるだけ! やればできるって! 人ってさ、そういうもんなの!」
「あー押さないで。揺れるともどしそう」
アパートの階段を悠はゆっくり等速直線運動で登り、詩織はフラフラ変速曲線運動で登っていく。
「静かにね。もう遅いから」
「うんうん。だってさ、うるさいよって言われちゃうからね」
悠は亮太を起こさないように、そっと鍵を開けた。
「はいっ、じゃぁ今日はこれでお終いでした! また明日だよ! さよなら、さよなら、さよならー!」
「静かに!」と詩織を注意するより前に、悠は七号室の方を見た。山崎さんは出てこない。
「おやおや? 出てきませんねえ。ご就寝かな? んぬっははは。だってさ、今日はお終いだからね。店じまいだよきっと。うるさい本舗店じまい。うはっ! 悠おやすみ」
詩織が自分の家に入った後も悠はしばらく七号室のドアを見ていたが、結局開くことはなかった。
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