本音は言えない 4/7 ~恐怖~

 次の日の夜、詩織は亮太の相手をしに来てくれた。これでノート付けも進む……と悠は思っていたのだが、詩織は奥の洋室の明かりを消して、亮太を怪談話で怖がらせ始めた。

「りょうた、知ってる? お化けってね……」

「うん」

「怖がってる人の所にね……いっぱい……寄ってくるんだよ」

「うん…」

「りょうたさ……怖がってるでしょ?」

「ううん、怖がってない」

「嘘だ……絶対さ……怖がってるでしょ」

「怖がってない! だっておれ、お化けの」

「ほらりょうたの後ろにいるよぉっ!!」

「あああーっ!!!」

 叫び声を上げて飛びのいた亮太は、テーブルで仕事をしている悠の所に走ってきた。これでは本末転倒だ。

 亮太は「まいったな……」とうんざりしている悠の右腕を自分の方へ引き寄せた。亮太の手は汗ばんでいて、温かい。震えてはいないが、つかむ力加減から亮太の心情が悠に伝わってきた。亮太は悠が思っているよりずっと切実に構って欲しかったのだ。それが伝わってきた途端、悠のうんざりはふわっと消えてしまった。

「大丈夫大丈夫」と笑いかけて立ち上がり、一緒に詩織の所に向かった。

 詩織は「ごめん!」と表情に浮かべた。悠が小さく首を縦に振って「平気」と示すと、詩織はその後も容赦なく怪談話を続けて亮太を怖がらせた。亮太は泣きそうになりながら悠にしがみつき、悠の方は肩を抱えてやったりしてやった。


「ごめん」

 亮太を寝かしつけた後、詩織はそう謝った。

「いいのいいの。りょうたに腕つかまれた時、切実さが伝わってきたんだよね。考えたら、最近ずっと中途半端に構ってた。それで『構って欲しい病』になったのかも。いつもいつもは無理だけど、今日は一旦構ってやろうと思って。メリハリつけないとね。だから、結果としては成功だよ。助かった」

「そう? じゃあよかった。もし明日からも『構って欲しい病』が治らなかったらまた呼んでね。次は上手くやるからさ」

 子供の事はやっぱり詩織がいると頼りになる。失敗しても結果としてはだ。詩織が帰った後、悠はしばらく仕事をして眠りについた。



                  *



 悠はぼんやりとした意識の中、タオルケットを脇に蹴飛ばしながら寝返りを打っていた。誰かの声が聴こえてくる。それに、何かを叩くような物音も。


「……う……ゆう……悠……」


 名前を呼ばれているようだ。悠はくっついていたまぶたを引きはがした。光の針が目に刺さって痛い。

 何度も瞬きしながら辺りを見てみると、明かりが点いていないのに部屋の中はオレンジ色の光でいっぱいだ。窓から差し込んでいる。撮影か何かの強い照明だろうか。


「悠! 悠!」


 声の主は詩織のようだ。「ドンドン!」と外からドアを叩いている。この部屋はエアコンがついているのに妙に熱い。それに何かうるさい音も聴こえる。これは……サイレン?


 頭の中に電撃が走り、悠は大声を上げながら飛び起きた。

「りょうた!!」

 もぞもぞと動く亮太を無理やり抱き上げ、悠はドアの方に走った。

「悠! 起きて! 早く!」

「大丈夫今出る!」

 二人は大急ぎで通路を抜けて階段を駆け下りアパートの庭を通り抜け、道路へ走り出た。振り返って見てみると、アパートの奥に建っている家が業火に包まれていた。

ここまで離れてもまだ熱い。

 道路にはすでに大家さんとアパートのほとんどの住人が出てきている。目の前の光景に全員絶句し、アパートに燃え移らないように祈る事しかできなかった。

「こちらのアパートの皆さんは全員いらっしゃいますか?」

 消防士さんがやってきてたずねた。住人達はお互い顔を見合わせ確認し、いない人がいるかどうかそれぞれ頭の中で必死に考えた。

「あ、山崎さん! 山崎さんいない!」

 詩織が叫んだ。

「どのお部屋の人ですか?」

 消防士さんが詩織に確認した時、詩織ではなく大家さんが叫んだ。

「西園寺さん、ダメよ!!」

 西園寺さんがアパートへ走り出していた。大家さんの声で気付いた消防士さんが大声を上げて走り出した。

「ちょっと! ダメダメ、戻って!」

 状況に気付いた他の消防士さんもやってきて、西園寺さんは引き止められた。

 代わりに消防士さんが七号室のドアを激しく叩くと、山崎さんが寝間着姿で出てきた。ひどく取り乱していて、何度も部屋に戻ろうとしては消防士さんに止められ、ドタバタと階段を下りてくる。

「山崎さん、怖かっただろうな…」

 悠の脇で詩織がポツリとそう呟いた。

 山崎さんは道まで走ってくると、悠の前で思い切り転んだ。悠は山崎さんの手を取って起き上がらせた。

「大丈夫ですか?」

 悠の質問に、山崎さんは細かく何度もうなずいた。そしてその後ずっと悠の二の腕を汗だくの手で、震えながら握っていた。



                  *



 幸い死人やけが人はなく、アパートにも燃え移らずに済んだため、アパートの住人達は次の日からひとまず普段の生活に戻った。


「ここから引越しする人とかもいるのかなあ…」

 夕飯を食べに悠の家へ来ていた詩織が寂しそうにこぼした。

「いるかもね。うちのお母さん心配性だから、引っ越せって言うかも」

「えっ!」

 詩織の反応を見て、悠は慌てて付け足した。

「いや、引っ越さないよ? 私はここ気に入ってるから。家賃安いし、住人にも危険な人はいないし。火事なんてどこだって起きるし」

「よかった…。まあでも、確かに私も親には言われるかもしれない。私もここ好きだし、お金もないから引越しなんてしないけどね」

 亮太が二人に聞いた。

「何で引越しするの?」

「怖い思いした場所から離れたいって思うから。そういう人は引越しするしか仕方ないよ」

 悠のこの説明に大きくリアクションしたのは詩織だった。

「えぇ~、仕方ないの? 私は誰かに引越ししてほしくないな。そういう人いたら何とか阻止したい」

「…どうして?」

「うーん、だってさ…自分の慣れてる環境って壊したくないっていうか…」

 つまり自分の都合だ。悠は呆れてしまった。

「火事が怖かった人が引越ししたいのをそんな理由で止めるわけ?」

 詩織は肩を縮ませた。

「そうだけどさ…」


 詩織が帰って亮太も眠った後、悠は大将に押し付けられたノートをつけていた。悠は単純作業が得意で、すぐに集中モードに入ってしまう。

 食材を仕入れるための伝票は大将が書いている。大将は平仮名、片仮名、漢字のいずれかで書いているつもりらしいが、読む方には暗号だ。慣れていないと解読できない。もちろん悠には解読できるが、手間がかかる。

 ひたすら解読して、ひたすら書き込む。それに集中していると


--- あああっ! ---


 悲鳴だ! 誰だ? まさかお化け? いや、そんなはずはない。どこから聴こえた? 壁の向こうか! 一瞬のうちにそんな思考過程をたどって、悠は壁を見つめた。

 壁の向こうは七号室。山崎さんの家だ。


--- ………… ---


静かなままだ。悠はしばらく黙って壁を見つめていたが、もうその後悲鳴は聴こえなかった。

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