のほほんと 4/4 ~が、合作ストーリー?!~

 日曜日、悠と詩織と亮太の三人はいつものように大学で一緒にお昼を食べに来ていた。今日も残りご飯のおにぎり。悠の「おかかリベンジ」だ。

「あのさ、日曜日は学生少ないから、逆にホルスとかがラウンジにいる事あるんだよ。もしそうだったらさ、場所変えてもいい?」

 国語棟に向かう途中で詩織はそう頼んだ。ホルス達を避ける理由は悠もよく理解していたので「初めから別の場所にしようか?」と気を回してくれた。

 だが、他に静かに涼める場所も思いつかないし、ホルス達がいる可能性がそんなに高いわけでもない。若干の不安を抱えながらも、とりあえず詩織はいつも通り二人を連れて国語棟に向かった。


 三人が国語棟に入ると、ラウンジに一人の背中が見えた。詩織も悠も一瞬ドキッとしたが、ホルスにしてはシルエットが小さい。どこかで見た事がある気がする。いやに地味な雰囲気の背中だ。どこで見たんだっけ?


「あ……黒川君」

 詩織がやっと気付いて声をかけると黒川君はハッと振り向き、何も言わずに手だけ振った。

 そうだ。この地味な雰囲気は黒川君だ。どうしてすぐに気が付かなかったんだろう。着ているシャツが初めて見るヤツだから? いやでも、そもそも、いつも着ているシャツがどんなだったかも覚えていない。っていうか、このシャツ見るの本当に初めてだっけ? 何も覚えてないじゃないか!

 詩織は申し訳ない気持ちになりながら、速足で黒川君の所まで向かった。

「おはよう。あのさ、どうしたの? いつも美紀とか美術専攻の子達とご飯食べてるのに…。それにさ、よくここ知ってたね」

「あ、今日は…一人ですね。ここへは歩き回って辿り着きました。あ、悠さん。亮太君も、おはよう」

「おはよ」

「おはよう。私達もここで食べていい?」

「どうぞどうぞ」

 黒川君は、十分広いにもかかわらずイスを「ゴズズッ」とずらすと、隣のイスに乗せていた自分のリュックを降ろした。詩織は席に着くなり黒川君に聞いた。

「あのさ、なんで今日は一人なの?」

 それが気になる。袴田君の一件と、今一人でいる事が関係あるかどうかは分からないが、とにかく、いつもと違う事が詩織は気にかかった。

「いや、特に理由はないんですけど…なんとなく、今日は一人になってみようかなって」

「へえ……でもさ、他の子達は?」

「あー、どうしてるでしょうね…」

 はぐらかした黒川君に詩織が違和感を覚えた瞬間、亮太が会話をぶった切った。

「このおかか美味しくない!」

 今日のおかかが相当期待外れだったらしい。

「ええ? ちゃんと甘くなってるでしょ。わざわざみりんと醤油で炒めたんだよ?」

「甘すぎるの! もっと、ちょっと甘いだけでいいの。これだったら梅の方がいい」

 悠は鼻でため息をつきながら梅のおにぎりを渡し、亮太のかじりかけの美味しくないおかかのおにぎりを受け取った。

 黒川君は二人のやり取りをにこにこしながら眺めている。

「これはこれで美味しいおかかなんだからね?! そんなに甘くしてるわけじゃないんだけどな…」

「あと、ごはんもちょっと黄色っぽいの」

「黄色ぉ? サフランライス…? いや、おかかのおにぎりにそんな……」

 黒川君が「あ」と呟いた。

「ひょっとしてバターじゃないですかね」

 悠は「あっ!」と顔を広げた。

「なるほど、おかかとバターね! 『甘い』って言葉に捕らわれたな。ほんのりとまろやかって事か。よし。今度やってみてあげるから、今日は梅で我慢しな」

「うん」

 おかかおにぎりへの挑戦はもう少し長引きそうだ。


 詩織は三人のやり取りを見ながら、黒川君への質問を考えていた。一人でここにいる理由が何かあるはずだ。美紀か、ひょっとしたら袴田君と喧嘩でもしたんだろうか。

 詩織が黒川君に質問しようと口を開くと、黒川君も察知して詩織に緊張した表情を見せた。ところが、詩織が質問を口にしようとした瞬間、ポケットでスマホが震えた。詩織は慌ててスマホを取り出した。美紀からだ。

「あ……ちょっとごめん。美紀から電話。えっと……もしもし?」

「もしもしあたし! しお…今ど…いる?」

 駅かどこかからかけているらしく、騒がしい雑音で美紀の声が聴き取りづらい。

「大学にいるよ。どうしたの?」

「あんさ、ひょっ…して……ばに……えいない?」

「え? 誰がいないって?」

 詩織が言った瞬間、黒川君は人差し指を立てて、口に押し当てながら詩織に目線を送ってきた。

「…うん。悠とりょうたと一緒。…ううん、いないよ。会ってない。何で?」

 黒川君はずっと詩織を見ている。また何かメッセージを送ってくる事を考えて、詩織も黒川君の様子をうかがいながら美紀と話をした。

「……ああそうなの。……え? 何を飛ばすって? ああ…。分かった、もしさ……え? カモシカ? いや、だからもしさ……え? …うん。もし会ったら言っとく」

 詩織は電話を切ってスマホをゆっくりしまうと、小さめの声で言った。

「あのさ……黒川君、ここにいていいの?」

 黒川君は微笑を浮かべて「んー」と何ともとれない返事をした。

「なになに? 詩織、美紀ちゃん何て言ってたの?」

「今日これから、美術専攻のみんなで袴田君見送りに空港まで行くんだって」

 驚いた悠は黒川君に向き直った。

「えっ黒川君……そっか。何か理由あるんだ」

 黒川君がさっきと同じく「んー」と返事した。詩織は大きくうなずいて見せた。

「大丈夫だよ。私も悠も、黒川君と一緒にいたこと内緒にしておくから」

「ありがとうございます…」

「でもさ、ホントにいいの? だってさ、美紀ちょっと怒ってたよ?」

「んー……まあいずれにしろもう間に合わないですしね」

 いつもは、地味でも落ち着いてて頼りになる感じの黒川君だが、今日は言っている事もやっている事もはっきりしなくて頼りない。詩織はなんだかもどかしくなってきた。

「なんでさ、行かなかったの?」

「いや……行かない方がいいかなって思ったんですよね」

「えっ? でもさ、なんで……」

 ここで悠が口をはさんだ。

「ねえ黒川君、話したくないなら、もう別の話題にしよう。話せるなら、聞かせてほしいな。黒川君いつもと違うから、詩織も私もちょっと心配だよ。今まで私達、黒川君に優しくしてもらってるし」

 詩織と悠、そして一応亮太も見守る中、黒川君は「美紀達には秘密にして下さい」と念押ししてゆっくりしゃべりだした。

「袴田は高校の時からの友達なんですけど……美術に関しては、はっきり言って昔から僕の方ができたんですよね。あいつは陸上部で走ってましたけど、僕はその頃から美術部で、油絵も水彩も、日本画も描いてたので。平面構成とか、あと工芸系も。でも、あいつも美術は昔から好きで、中学の頃からマンガ描いてたんですよ。はっきり言ってそんなに上手くはなくて、もう完全に僕が教えてましたね。受験する時も、僕が実技のアドバイスしたりして」

 詩織も悠もうなずきながら聞いている。

「でも大学入ると、僕なんかよりずっと力のある先輩はいっぱいいるんですよね。だから僕と袴田の関係がちょっと変わって…」

 これは……部屋飲みでの美紀と詩織の合作ストーリーに似ている?! 詩織はこらえきれずに一瞬笑ってしまった。

「ふんっふ」

「え、垣沼さんどうしました?」

「あ、いやいや、悠の鼻の頭に何かついててさ」

 適当な嘘だとは知らず、言われた悠は慌てて鼻をこすった。

「うそ! どのへん?」

「大丈夫。もう取れてるから。ごめんね話の腰ポッキリ折って。続き教えて」

「あ、はい。大学入ってからも、授業の課題にしろそれ以外の活動にしろ、僕の方が先輩や先生に色々任されてたんですよね。僕はいつの間にか心の中で、袴田に追いつかれまいと必死になってて……それに気付いて『俺は競争のために美術やってるんじゃない』って思い直したんですよね。それなのに、この前袴田の留学の話聞いた時、何かその……嫉妬じゃないですけど」

 『嫉妬』これは美紀の大好きな言葉だ。完全に詩織のツボにはまった。

「ふふんっ…ふっ……ふふ」

「え……垣沼さん?」

「あ、違う違う、悠の鼻にさ……」

 詩織がそう言って悠の方に顔を向けると、「むっ」と睨んできた悠の鼻の頭に、今度は本当にビニール片らしきゴミがついている。さっきこすったときに逆についてしまったらしい。もう無理だ。

「あっはぁあーっはっはっはっははは!!」

 ラウンジ上空、吹き抜けの四階まで、詩織の大きな笑い声が響いた。それに続いて、今まで話についていけずに黙っていた亮太も体を揺さぶって大笑いしている。

 悠はまた慌てて鼻をこすると、詩織の頭を軽く「ポン」とはたいた。

「黒川君わざわざ話してくれてるんだよ?!」

「ごめん! 反省する」

 詩織が頭を下げると、黒川君は笑顔で応えて続きを教えてくれた。

「結局僕はずっと……実は、袴田の事を低く見てたんですよね。必死になって追い越されまいとしたのも、それまで通り低く見ていたかったからこそ必死になったのであって。それに薄々気付いてたのに、僕はかっこつけて気取って『競争のためじゃない』とか考えて自分をごまかして、解決した気になってのほほんと過ごしてたんです。ひょっとしたら、袴田は僕が低く見てる事に勘付いてたかもしれないんですよね。それであいつは僕に、留学の事黙ってたんじゃないかって。あいつは僕にその…先手を打つというか何というか……。それで僕は、袴田が僕の見えない所に行って、帰ってきた時に僕を超えてたらっていうのが怖くなっちゃったんですよね。それで、袴田を見送る時に何て言ったらいいか……あー違う、違います。袴田に何を言われるかが怖いんです」

 詩織は我慢しながら、かろうじて真顔を保って聞いている。

「つまり結論として……僕はかっこつけて気取っていいヤツぶってるくせに人を低く見て、負けるのが怖いだけの、のほほんとした根性なしの馬鹿だって事ですね」

 この結論のあたりは暗すぎて、不甲斐なさすぎて、絶対美紀の好みに合わない。ずっといい感じだったのに、美紀の好みから最後に急に大幅にそれてしまった。美紀の言っていた通り、黒川君は問題外! ……というのが詩織のツボにはまった。

「ふふん…そんなにさ……ふ…自虐的にふふならなくても……んふっふ…」

「ちょっと詩織! いい加減に…」

「あ、悠さん、いいんですいいんです。大丈夫ですよ」

 強く注意しようとした悠を黒川君がなだめた。詩織もさすがに気が咎め、もう一度黒川君に謝って、トイレに入った。

 手を洗って鏡の前で自分の顔を眺めた。黒川君が自分の傷ついた思いを真面目に話してくれているのに、関係ないくだらない事でそれを笑ってしまった。何やってんだお前!

 詩織は鏡の自分を叱ると両手で頬を「パン」と叩いて気持ちを入れ替えた。


 詩織が戻ると、悠と亮太がおにぎりの具材のことでまたゴチャゴチャ揉めていた。亮太が、次は梅とおかかじゃなくてタラコとおかかにしてくれ、と交渉しているらしい。黒川君はいなくなっている。

 悠は詩織に気付くと、怒りのにじむ声色で責めるように言った。

「ねえ詩織、黒川君行っちゃったよ!」

 詩織は返す言葉が見つからず立ち尽くした。ところが、悠は詩織の反応を見て大声で笑い出した。

「あっはははは! 大丈夫だよ。ちょっとからかっただけ。先輩と何とかっていう話し合いがあるんだって」

「あ…そうなんだ…」

 胸をなで下ろして詩織が席に着くと、悠が楽しそうに詩織の肩を「トントン」と叩いた。

「ねえ、黒川君がさっき最後に何て言って行ったか、教えてあげようか」

 聞くのはちょっと怖いが、悠の顔は笑っているし、聞かないと余計気になる。

「うん」

「私が黒川君に謝ったんだよ。詩織が真面目に聞かなくてごめんねって。そしたら、『垣沼さんは真面目に聞いてくれてたと思います。でも彼女にはきっと、僕の話の何かが面白かったんでしょうね』って」

 詩織が苦笑いすると、悠はすぐに続きを話した。

「でも、笑ってもらって逆に元気出たって。気にしすぎだなって。実際私も、黒川君気にしすぎだと思ってたし。でも私がタラタラ言葉で言うより、詩織がのほほんと自然に笑って見せたのがよかったんだと思うよ」

「ああ…のほほんとか……」

 詩織の気持ちは明るくなったような暗くなったような。「のほほん」という言葉はいまいちポジティブに聞こえない。誰かが真面目に真剣に何かしている横で、なんにも知らずに気付かずに、のんきに寝転がっている。そんなイメージだ。

「ねえ詩織、黒川君もさっき、自分の事『のほほんとした馬鹿』って言ってたじゃん?」

 そう言えばそうだった。今詩織の頭の中に浮かんだ「のほほん」のイメージと、黒川君の、「人柄」というより「状況」は、確かに似ているのかもしれない。

「詩織は、黒川君のほほんとしてると思う?」

「うーん、してるようなしてないような…。なんかさ……しててもしてなくても、それが黒川君のいい所だろうなって思うよきっと」

 別に強引に褒めているわけではない。黒川君を「のほほん」という悪口で表現できたとしても、そのネガティブなイメージは彼の人柄とは結びつかなかった。

「うん。そうだよね。黒川君本人も、詩織に笑われて気付いたかもね」

 悠はそう言うと、詩織に残った最後のおにぎりを手渡した。「よくやった!」という顔をしている。

「ありがと。これ梅?」

「ううん。美味しくないおかか」


 詩織ではなく亮太が「うん」と返事をした。




第六話 のほほんと - 完

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