第6話 奪い奪われる者
雑貨屋さんを出ると、僕は胸の執事服の裏ポケットに石鹸をしまった。
最初は肩掛け鞄にしまおうとしたが、あの中はグリーンラビッドの毛皮やらで汚れているし、匂いが移って石鹸のいい匂いが台無しになってしまうと思ったからだ。
「ルーシェ様、喜んでくれるかなぁ……」
きっと喜んでくださる。僕は込み上げる高揚感に顔をにやつかせながら、幾つもの路地を曲がっていく。
そんな浮つく気持ちを抑えながら、路地を駆けていると急に僕の足が止まった。
「……あれ?ここどこだろう?」
見知らぬ街並み。廃れた住宅街。さっきまでの商業区とは明らかに雰囲気が違う。
今にも放棄されてしまいそうな
踵を返す。だが振り返った刹那、
―空が見えた。
一瞬何が起きたのか、分からなかった。だが何かに腕を引っ張りあげられた感覚と、僕が宙を舞っているという事実。
ぐるりと廻る視界の端。僅かだが、人影のようなものが見えた。それとほぼ同時に、地面が眼前に広がった。
「あがっ!?」
無様に地面に衝突した。全身が痛い。でも受け身を犠牲に、何とか胸ポケットは守れた。
痛みに耐えながら顔を上げると、そこには頭まですっぽりとローブを被った集団がいた。
その中でもフードを被っていない、先頭の男の顔を見て僕は一瞬にして青ざめた。彼らが何者であるか、理解ってしまったからだ。
その先頭の男。右目の眼帯に描かれる狼の顔をかたどった紋章。
「……さ、最悪だ」
僕は地に伏せながらも、その紋章を見て思わず言葉が漏れる。この街にちょっとでも住んだことのある者なら誰しもが知っている紋章だった。
「……小僧、俺たちが誰だかわかるよな?」
眼帯の男が声を発する。
僕はその問いに、歯軋りしながら言葉を返した。
「……
「フッ、物分りのいいやつは好きだぜ。わかったなら有り金と持ち物全部置いていけ」
そう。今の僕にとって絶対に避けなければならなかった、最悪の相手。このダンジョン街最大の盗賊団『
眼帯の男とその集団は卑しい笑みを浮かべながら、倒れ込む僕に近寄って来た。
「聞こえてんのか、小僧」
僕は胸ぐらを捕まれ強引に起こされた。フードを被る集団の一人が僕の肩掛け鞄を無理やりにでも奪おうとする。
「やめて下さい!あなたたちが欲しがるようなものなんて僕は持っていません!!」
僕はその行為に必死に抗った。今の僕にとって、何か一つでも取られたら致命的だ。冒険者として稼ぐことすらままならなくなる。
「……ちっ、うるせえガキだな。お前らやるぞ」
その言葉で僕を取り囲むようにローブの集団が集まってくる。にたにたと薄ら笑いを浮かべるその集団に僕は身が竦んだ。
「あの、何を……」
怯える僕が声を発したのとほぼ同時。ローブの男の拳が飛ぶ―。
「~~~~~ッ!!!!」
お腹に衝撃が走った。僕は余りの痛みに言葉を発することも、息をすることも適わず、体をくの字に折った。だがそれは、始まりに過ぎなかった。
倒れ込もうとする僕に、ありとあらゆる方面から拳と蹴りが乱れ飛ぶ。
(痛い痛い痛い痛い痛い―)
悲鳴も出ない僕を容赦なく襲う暴力の数々。あちこちから走る鈍痛に僕は胸ポケットだけを抑え、顔を歪めることしか出来なかった。
「オラァッ!さっさと全部よこせ!糞ガキが!!」
「……い、やだ。わたす、もん、か」
胸ぐらを掴まれ、宙に浮く僕の意識はまどろむ。右目の視界が赤く染まってくる。もう駄目かもしれない。力が抜けていく身体は、とうとう最後まで守っていた胸ポケットの手を離した。
「ん?何だこいつ?胸ポケットになんか入ってるぞ」
「……やめ、て」
細い声しか出ない。腕も上がらない。
僕の胸ポケットから強引に奪い去られる石鹸。それだけは、それだけは絶対に駄目だ……。
「何だこれ?ただの石鹸じゃねえか」
「は?金じゃないのかよ。そんなもんいらねえよ、ゴミだゴミ」
男は石鹸をその足元に捨てる。そして次の瞬間、一気に踏み潰し砕いた。
「……あああああああああァァッ!?」
絞り出された掠れた声。頭がその光景を拒絶する。その出来事に僕は呆然とすることしか出来なかった。何かが僕の中でぷっつりと切れた。もう抵抗する気力さえ起きない。
「ハハハッ。こいつ石鹸くらいで何必死になってんだ?」
「そんなに大事だったのかよ、このゴミが」
石鹸を砕いた男がその足元を蹴飛ばす。石鹸は無残にも飛び散った。
「いいからお前はさっさとその鞄よこせ!!オラァッ!!!!」
霞む視界の中、繰り出される膝蹴り。その痛みを感じること無く、ぎりぎりを保っていた僕の意識は飛んだ。
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