第3話 最悪の街で生きるには
「ぐっ!?」
僕は今、魔物と戦っている。
かわいい瞳と丸っこい体を持つ緑色の毛皮が特徴的な魔物で、このダンジョン街の中でも最弱と謂われているグリーンラビッド。固いおでこを武器にひたすら突進攻撃を繰り返す単純な魔物。それでも僕にとっては強敵だ。
何度もグリーンラビッドの突進攻撃を喰らっては立ち上がる。
僕は身体に幾つかの傷を負いながらも、突進してきたグリーンラビッドを剣で串刺しにした。
グリーンラビッドから剥ぎ取れた魔石と緑の毛皮、その二つを肩掛けの鞄へと仕舞う。
「ふう、今日はグリーンラビッド三匹だけか……。こんなんじゃお嬢様たちを養えないよ」
僕は溜息を混じらせ、休憩がてらその場に力無く座り込んだ。
あれから三年が経った。奴隷として最悪な生活から脱却できた僕は、ダンジョン街より遥か西方、シーラス領を収めるフィリウス家に仕えることになった。
僕の奴隷印は解除できなかったのでそのままだが、契約を結んでくれたルーシェお嬢様を始めとした、フィリウス家の方々はとても良くしてくれた。
特に三人のお嬢様は、まるで僕を兄弟のように扱ってくれる。
たまにはやんちゃなお嬢様方に手を焼かされることもあったけど、あの地獄のような日々に比べると本当に天国のようだった。
だが、そんな生活も長くは続かなかった。
領主であり、あの優しかったグラハム様が病に冒され、半年前に亡くなられたのだ。それをかわきりに、フィリウス家は一気に衰退の道を辿る。
グラハム様の領地はその絶対的なカリスマ性で統治されていたと言っても過言ではない。
そんな主がいなくなった途端、隣国は攻め入って来たのだ。その戦いはグラハム様が亡くなったことで浮足立つシーラス領の圧倒的な敗北で、フィリウス家は蟻の如く踏み潰された。
僕は命からがら、三人のお嬢様を連れて戦火の舞うシーラス領から落ち延びることしか出来なかった。
そして現在、誰も手が出せない自由都市国家であるダンジョン街アルヌスに至る。
「そろそろ帰らなくちゃ。お嬢様たちが心配ちゃうよ」
ダンジョン街に存在する最も簡単なダンジョン、冒険者の間では
と言っても地下一階層にいる僕は、地上まであっと言う間だ。
ダンジョンの壁は魔光石と呼ばれる石を多量に含むため、それなりに明るい。時折、暗い場所もあるが僅かばかりだ。
僕はそんな薄っすらと光る壁の光を、その顔に浴びながら慎重に地上へと帰還した。
地上に出ると日が沈みかけている時刻。夜の
地上よりもダンジョンの方が明るかったな。そんなことを思いながらも、家路へと急ぐ。
ダンジョン街アルヌスの端の一角。誰も寄り付かない、ほとんど放棄されている地区に僕とお嬢様たちの住まいはあった。
石造りのボロ屋。元はそれなりに裕福で大きい家だったのだろう。ボロ屋とは違い、立派な塀がそのボロ屋をぐるりと囲む。
今すぐにでも壊れそうな、いや実際にはもう壊れかけているが、その家の地下室が今の僕らの家だ。
僕はきょろきょろと辺りを見回して誰も居ないか確認する。
「……よし。誰もいないな」
そして僕はいつも素早く、その地下室へと入っていく。
しばらく進むと重圧で頑丈そうな木の扉。その扉を鍵で開けると、我が家だ。
「お嬢様、只今戻りました~」
僕は少しばかり声を張って、お嬢様方に帰宅の報告をする。いつもの日課だ。
それを聴いたのかドドドッ、と何やら急ぐ足音を混じらせ、壁の向こう側からお嬢様方が顔を顕した。
「おそいっ!!いつまでダンジョンに潜ってるのよ!?」
いつも一番先に僕に叱責をくれるのが、そうルーシェ様だ。出会った頃から変わらない、美しい金色の縦巻き髪にぱっつん。白いシャツにチェック柄のミニスカート。歳は今年で十五歳になられた。
「ユウリ、おかえり~!抱っこ、抱っこ~!!」
そしてこのいつも甘えてくる幼女がルーシェ様の妹のミリヤ様。歳は十歳で、藍色の長い髪。大きな瞳と相まって、その愛らしい雰囲気がいつも僕の庇護欲を掻き立てる。
「はいはい、抱っこですね、ミリヤ様」
僕はミリヤ様を持ち上げて、部屋の方へと向かう。
抱っこされたミリヤ様はさぞ嬉しいのか、えへへとその笑顔を振りまく。この笑顔を見るだけで僕の疲れは吹っ飛んだ。
しかし、そのミリヤ様とは対照的に「ちょっと、わたしの話聴いてるの!?」とルーシェ様が、眉間に皺を寄せながら、後ろから迫ってくる。
「おかえりなさい。ユウリ、いつもごめんなさいね」
部屋の奥。魔石仕掛けの調理台キッチンでクリーム色のスープを作る美しい女性。
「ただいま戻りました。アリシア様」
僕はミリヤ様を抱えながら、一礼をして返事を返す。
ルーシェ様の姉君であるアリシア様だ。アリシア様は亡き奥様に似ておられるらしく、桃色の髪にそれと同色の瞳。何よりその真っ白なワンピースドレスと相まって、魅力溢れるそのスタイルは年頃の僕には少し刺激的だ。
「もう少し待ってね。今スープが出来上がるから」
優しく微笑むアリシア様。ルーシェ様とは二歳しか違わないが、ずっと大人っぽい。いやルーシェ様が子供っぽいのか……?
そんなことを思いながらも、後ろから「ちょっと」という言葉が耳に届く。振り返ればルーシェ様がその顔を近づけていた。
「なんでわたしにだけ、冷たいのよ!?」
「えぇ!?そんな事ありませんよ!?ただいまの挨拶も一番先に……」
今にも泣きそうにその大きな瞳を潤ませている。僕は大慌てで、ミリヤ様を降ろし、ルーシェ様に寄り添った。
「ちょっと!?ルーシェ様!?」
「……毎日毎日、どんな思いで待ってると思ってるのよ。馬鹿ユウリ……」
涙を浮かべ、顔を紅潮させるルーシェ様。小さく呟くお嬢様の頭を僕は優しく撫でた。
「……すみません。ルーシェ様、ご心配をお掛けして。でも僕が稼がないと、もう逃げてきた時に持っていた手持ちの路銀も尽きそうですし」
「あなただけ働かなくても、わたしたちだって……!?」
「それはいけません。以前にも言ったでしょう?僕はグラハム様にお嬢様方を任されたのです。どんな時でも守り抜くと誓ったのです。危険も多いこの街で、それを容認することは出来ません」
それだけは認めることは出来なかった。ダンジョン街アルヌスは、突然変異で無数のダンジョンひしめく限定魔境という場所に作られた巨大都市国家だ。
街は安全な地区も数多く存在するが、あちこちに顔を出すダンジョンが存在する以上危険極まり無い。
そんな所でお嬢様を働かせるくらいならば、一生僕が養っていく。ここに舞い戻ってきた時にそう決めていた。
そう。ここはあの忌々しい地獄の日々を思い起こさせる、豚のご主人様の邸宅がある最悪の街アルヌスなのだから。
「はいはい、ルーシェもユウリも席に着きなさい。ご飯にしますよ」
アリシア様がスープを食卓テーブルに並べたことで、僕とルーシェ様の睨み合いは終了した。
まだ幾分か頬が赤いルーシェ様は、鼻を鳴らしながら納得がいかない様子だったけど、アリシア様の美味しいスープの誘惑には勝てず、大人しく席についた。
「ユウリ、ご飯だよ~!抱っこ、抱っこ~!!」
無邪気な笑顔のミリヤ様からの抱っこの催促だ。僕はいつも食事中はミリヤ様を膝の上に乗せ食べさせているのだ。もう十歳になられたのだから、一人で食べて貰いたいのだが……。
「ミリヤ様、そろそろ一人でお食事の練習しないといけませんよ?」
「むぅ~、ユウリがいない時は一人で練習してるもん!でもユウリがいる時はユウリがミリヤに食べさせるのっ!」
その頬をふくらませ、むくれるミリヤ様。ご機嫌を損ねてしまった。
「仕方がないですね、では僭越ながらこの僕、ユウリ・キリサキがミリヤお嬢様のお食事のお世話をさせていただきます」
僕はわざと仰々しく、ミリヤ様に向かい片膝を付き、頭を垂れ一礼する。
まるで王子様がお姫様にダンスを申し込むかのように、壮大に。
「よろしいなのっ!ユウリはミリヤ専用なの。だからミリヤのお世話をするのは当たり前なの!」
ミリヤ様は何かと僕に特別扱いされたがる。
こうやってお姫様のように扱ってあげれば、すぐにご機嫌だ。
「ちょっと!ユウリはわたしのものなんだからね!?」
そんな様子にすかさずルーシェ様が納得いかない面持ちで割って出た。
その状況にしまったと心の中で呟いた。思わず溜息が漏れた。なぜならまた始まってしまったからだ。こちらに来てから、恒例行事になりつつある僕の所有権争いが。
「ルーシェ姉様はお屋敷でずっとユウリを独り占めしてたの。だから今度はミリヤの番なの」
腰に手を当てミリヤ様はなぜか勝ち誇る。
「ミリヤ、あんたねぇ……」
肩を震わせ、今にも席から立ち上がろうとするルーシェ様。その不穏な雰囲気に僕は冷や汗を掻いた。
確かにここに来る前の屋敷ではミリヤ様にはメイドさんが付いてたし、僕はルーシェ様のお世話をすることが多かったのだ。
だがこちらに逃げて生活を始めた辺りから、ミリヤ様は何かと僕にべったりだ。
まだ甘えたい年頃だろうと、僕もミリヤ様のお世話を優先することが多くなっていたが、それがまずかった。
ミリヤ様は僕を自分専用と主張し始め、ルーシェ様に何かと食って掛かっているのだ。普段は仲が良いのだが、僕の所有権となるとどっちも引かず、ほとほと困り果てている。
「いい加減にしなさい、ミリヤもルーシェも。ユウリを困らせてばかりで、本当に悪い子ですね。さあご飯が冷めないうちに、召し上がりますよ」
いつものようにアリシア様の一言でその戦いは終わる。気が強いルーシェ様も、やんちゃなミリヤ様も逆らえない。いつもお淑やかで、微笑んでいらっしゃるアリシア様だが、怒らせると何よりも恐ろしいのだ。
僕たちは大人しくアリシア様に従い、食事を摂ることになった。
膝の上で僕からスープを食べさせてもらうミリヤ様は、如何にもご機嫌で嬉しそうだったけど、常に対面のミーシャ様が不満気に睨んでいたのが怖い。不意に視線が合うと、ふんっと逸らされるし。
後から僕に八つ当たりのお説教が来ないことを心底祈るばかりだ……。
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