その7

 ――網乃メアリの『真実』とやら、たっぷりと見させてもらおうか。



 確かに彼は、自信満々にマネージャーに向けて言い放ったはずだった。

 だが、残念ながらその自信は単なる空元気に過ぎなかった。あれほどやる気に満ちていたはずのゴシップ記者は、僅か数分後にはもう顔中に不安の色をにじみさせていたのである。



「お、おい……まだ歩くのかよぉ?」

「悪いね、この『事務所』はこういう感じなんだ」

 

 いや、マネージャーにとってはこういう感じだとしても、『常識』で考えると絶対におかしい――イケメンの爽やかな言葉を、彼は素直に信じる事ができなかった。


 確かにこの事務所は、アイドルユニット『Dolly`s』の大成功で一気に知名度を上げ、芸能界でもそれなりの地位を得る事に成功している。特にリーダーであり、今回の取材の対象でもある網乃あみのメアリは一般層にもだいぶ有名になり、各地の番組に顔を出し、メンバーと共にイベントで多数の曲を熱唱するまでに至っている。


  だが、それらの事実を踏まえたとしても、マネージャーが『事務所』だと言う建物の広さは尋常ではなかった。ゴシップ記者が目覚めた白い部屋からここまで、5分以上もずっと歩き続けるほどの大きさなのだしかも、延々と続く廊下には一切の窓が無く、白く明るい照明が照らし続けているだけだった。さらには、先程から手に持っているゴシップ記者のスマートフォンには、『圏外』と言う文字が映し出されている。これではまるで地下の工場や秘密基地じゃないか、と思った。



「い、一体いつまで続くんだよぉ、これ……」

「あと3分くらいかな?」


「さ、さんぷんも……」


 この長い廊下を毎日行き来すれば、10分前集合と言うマナーが嫌でも身につくよ――冗談を言いながら余裕の笑みを見せるマネージャーの言葉を、ゴシップ記者は必死にスマートフォンにメモし続けた。絶対にこの真実を記録してやる、と言う復讐心が燃えていたからだが、指先は誤字ばかりを画面に出し続けていた。窓も無ければ電波も通らない異様な場所を進み続ける、と言う普通の人なら気がおかしくなりそうな時間を、ずっと耐えていたからかもしれない。この時間さえ過ぎれば、自分は大スクープを手に入れることが出来る、自分こそが日本一の記者であるという空虚な自尊心によって――。



 そして3分後、マネージャーが言った通り、窓がない白い廊下は終わりを告げた。2人の目の前に、妙に大きなスライド式の扉が待っていたのだ。その横にはビルなどでよく見かける矢印のボタンがあった。



「あれ、これってエレベーターかぁ?」

「そう、これに乗れば、もう少しで目的地だよ♪」


 じゃあ早く乗せろ、と言うゴシップ記者の言葉に急かされるように、マネージャーはボタンを操作した。



それから約45秒後、2人を乗せたエレベーターの扉が開くと、そこにあったのは巨大で頑丈な鉄の扉であった。近くにあった画面にマネージャーが暗証番号を打ち込むと、鉄の扉は大きな音を立てて開かれた。その中には手すりがある細い道と、周りを取り囲むたくさんの青白い光があった。

 一体ここは何なのか、あの青い光は何なのか。そう尋ねようとしたゴシップ記者を、マネージャーは笑顔を見せながら道の向こうへと導いた。この先に、待ち望んでいた真実がある、と。




 そして、たくさんの光に囲まれた細い道の終点にたどり着いた瞬間、ゴシップ記者は固まった。その目は大きく見開いたまま、青白い光の主たちを見つめ続け、口はあんぐりと開いたままとなり、体も手すりを掴んだまま、一切微動だにしなくなってしまったのだ。


 理由はたった1つ、青白い光に包まれた『少女』であった。




 安らかな顔をしながら安らかな顔をしながらぐっすりと眠り、生まれたばかりの姿を晒し続ける彼女の顔に、ゴシップ記者は見覚えがあった。黒々とした髪の色を除けば、その少女はどう見ても、人気アイドルユニット『Dolly`s』のリーダー、『網乃メアリ』そのものだったのである。

 

 だが、ここで眠る彼女は1人だけではなかった。


 あの青白い光の正体は、円柱状の水槽の照明だった。その内部に詰まった液体の中で、黒々とした髪の毛を漂わせながら『網乃メアリ』が静かに眠っていたのである。そして、『水槽』の数は1つや2つばかりではなかった。右も、左も、前方も、上も、そして下も、細い道の周りのあらゆる場所が、全く同じ姿形の少女が眠る水槽で埋め尽くされていたのである。


 現実離れした光景を見て、まるで石像のように固まり続けるゴシップ記者の元に、イケメンマネージャーが近寄った。

 そして、明るい声でこう言い放った。


「ここが、事務所のアイドルの『育成場』となります♪」



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 青白い光に包まれながら、美少女は静かに眠り続けていた。円柱状の水槽の中で静かに泡が沸き立つ中、柔らかい笑顔を見せながら生まれたばかりの姿で、人気アイドル『網乃(あみの)メアリ』に良く似た人物は、まるで目覚めのときを待っているようだった。

 そして、彼女以外にも目覚めを待つ少女は、この部屋の一面に広がっていた。全く同じ顔に体、胸にお尻、そして美しい肌を持つ存在が、遥か上にある天井からどこまでも下にある床まで埋め尽くす円柱状の水槽の中で眠っていたのである。



 あまりに美しく、そしてあまりに不気味な光景を、欲望に満ちたゴシップ記者が認識するには、しばらくの時間が必要だった。


「こ……これって……」


 何千何万、いや下手すれば何億人も美少女が眠り続けているであろうこの空間を、彼の隣にいるマネージャーは『育成場』と言った。普通ならその言葉は、各地の一般人を自慢のアイドルに育て上げるための学校のような施設を指すはずである。だが、目の前に広がっていたのは明らかにその常識とかけ離れた光景であった。アイドルの基になるであろう美少女を大量の水槽の中で養殖する、確かにそれは育成に近いものかもしれない。それならば、育成されているあの少女たちは何者なのか――そう考えた瞬間、ゴシップ記者の脳裏に的確かつ鮮明な、そして恐ろしい答えが浮かんできた。



「ま、まさか……こ、ここのメアリちゃんって……」


 全員、『クローン人間』なのか――愕然としながらそう言った途端、マネージャーは彼に拍手を送った。予想が見事に的中してしまったのだ。


 生物の体を形作る部品である『細胞』。それを特殊な技法を用いて培養し、元の細胞の持ち主と全く同じ遺伝子を持つ存在を生み出す、とんでもない化学の産物――それが『クローン技術』と呼ばれるものであった。科学にほとんど詳しくないゴシップ記者でも、何度もニュースや新聞で見たり雑誌で話題になっていたので、クローンを巡る様々話題は一通り把握していた。


 爬虫類や両生類は勿論、哺乳類でもヒツジの成功に始まり、ネズミ、ネコ、イヌ、サルなど数多くの種類でクローンが生み出されている。ウシやブタでは既に一般市場にクローンの肉が並ぶまでに至っている。しかし、同じ哺乳類でも『ヒト』のクローンに関しては、倫理的な問題や危険性などから実験や製造は禁止されている。そもそも、人間のクローンなど作っても苦労するだけでなんら意味が無い。そのため、クローン人間と言うのは小説やSFだけのものであり、実際には存在しない――それが、ゴシップ記者の頭に刻まれた、クローンに関する『常識』だった。


 だが、彼の目の前にあるのは、そういった常識が一切通用しない光景であった。1人どころか、何万何億もの美少女が、大量にクローン技術で『育成』されているのだ。いくら可愛さを存分に醸し出す存在でも、いくら生まれたばかりの姿の美少女でも、寸分違わぬ同じ彼女が数限りなく並び続ける光景は、気持ち悪さすら感じられるものだった。

 

 ところが、彼の様子を見たマネージャーから大丈夫か、と声をかけられた途端、ゴシップ記者の中に怒りの炎が吹き上がった。自分を散々に弄んできた連中の一員に同情されると言う事実を、彼のプライドが許さなかったのである。そして怒りに任せて手すりを叩いた時、彼はある事に気がついた。



「何でこのクローンたち、髪が黒いんだぁ……?」



 『育成場』で培養され続けるクローンの少女たちは、全員とも頭の頂点からつま先まで『Dolly`s』のリーダーである網乃メアリと瓜二つであった。だが、本物のメアリが金色の髪である一方、メアリに似た大量のクローン少女たちの髪は全員黒一色なのである。そしてよく目を凝らしたゴシップ記者は、胸の大きさも本物のメアリより小さい事にも気がついた。

 

 そう、ここはあくまで『育成場』であり、網乃メアリや事務所、果ては巨大な住宅街の真相に行き着く一つの鍵にしか過ぎなかったのだ。それに気づいたゴシップ記者は、早くこの場所を出て次の『真実』を見せろ、とマネージャーに罵声を浴びせた。


「まぁまぁ、そう焦らないで……じゃ、次に行こうか」


 そして、2人は巨大な部屋を後にした。大きな足音を響かせながら足早に去っていくゴシップ記者は、背後で無数のクローン少女が笑顔で彼らを見送った事に一切気づかなかった……。

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