3.積もる話

寒い。寒い。凍えるような寒さの中、アスファルトを見つめながら、誰も待たない家路へと足を速める。

この寒空の中に長時間自分の体を放り出すようなことはしたくない。できるだけはやく、温かくはなくとも、この地獄の様な寒さのない、自分だけの我が家へ帰りたい。この、歯のガチガチいうような震えと、なるだけはやくさよならしたい。

この様子だと雪が降る。東京で雪なんて、降ってもそう積もることはないだろうけれど。…………。

ああ。懐かしいことを思い出した。

『積もるといいね』

中学生だったあの頃の自分から見てもどこか大人っぽい空気を全身に纏っていた、あの娘。

あの日偶然、部活動のミーティングが早く終わって、教室に荷物を取りに戻ったときに偶然、普段は話さないような、転校生の、東京人の彼女と鉢合わせてしまって、ふと、目が合って、気まずくなった。それで、

「雪、降るな、これ」

何てありきたりな言葉だろう。しかし当時中学生だった僕からしてみれば、それがとっさに思いつく精一杯のあいさつだった。彼女は少し笑って、僕の残念な語りかけに優しく返してくれた。

「積もるといいね」

これに、僕は驚いた。彼女は東京から越してきた転校生で、まだまだ子どもだったあの頃の自分達から見ると、随分大人びた女だったから、だから、彼女がそんなことを言ったことに、とても驚いた。雪が降ったら、除雪の手伝いをしなければならない。雪が積もって喜ぶのは、除雪の手伝いをさせられなかった、子どもの頃だけだった。

彼女はあまり雪の積もらない東京から来たし、何より華奢な女の子だから雪掻きなんて縁もないようなことだったのだろうけれども。

「お前もそういうこと思うんだな」

「……思うよ。大人じゃないし」

「……子どもだっていうのか」

「子どもじゃ、ない」

「じゃあなんなの、俺達」

「なんだろう」

「…………」

「大人になった私たちはきっと、今の私たちのこと、子どもだったって言うだろうね」

「そう、かもな」

「けど……少なくとも、小さい頃の私にとっては、今の私たちぐらいの歳の人は、もう立派な大人だった」

「ああ」

「今は、わからないでしょ。多分ずっとそう」

「ずっと?」

「小さい頃は、自分が子どもだなんて思ってなかったし」

「うん」

「今の私たちからみた、大人の私たちも、自分が大人だって、そう思えないんだと思う」

「そうかな」

「多分」

「……俺さ、お前は、大人だと思ってた」

「同い年じゃん」

「そうだけど、なんか、他の奴らと違うじゃん、雰囲気」

「……私さ」

「なんだよ」

「さっき振られた」

「え?」

「サッカー部の先輩」

「な、なんで今そんな」

「年上がタイプなんだって」

「あ……ごめん、大人っぽいとか言って」

「謝んないでよ。謝るようなこと、してないじゃん」

「…………」

「……案外さ、自分で思ってるよりも大人なのかもしれないよ」

「え?」

「先輩に振られたとき、なんだ、年齢で女選ぶような男かって思った。ガキじゃんって思った」

「…………」

「年上の先輩のことガキだなって思うぐらいには、大人なのかもしれない」

「そうか」

「そう。だから」

「うん」

「雪、積もるといいね」

「……やっぱり、大人だよ」

「……ん、どうも」

秘密だよ、振られたとか、恥ずかしいから。

そういった彼女も、今ではおそらく社会人。結局あれから卒業するまで、特に話をすることもなかった。彼女は今どうしているだろうか。旦那も子供もいて、もうすっかり大人の女性なのだろうか。

それとも、今でも。自分が子どもか大人か、わからないでいるのだろうか。彼女も、まだわからないでいてくれているのだろうか。

灰色のまだらな雲を掻き分けるように、丸い小さな月が、己の存在を叫び喚くように、白い光を浴びて、光っていた。誰も待っていない自宅まで、あと少しで着くというところだった。

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山を下るような心持ちで 平林 藍湖 @earlybird

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