第26話;正体

「小百合の、本当の母親は…天に帰りました。」


 深川さんが、深刻な顔で話し出した。この事は既に知っている。


「?…はい。小百合ちゃんから聞きました。深川さんも昨日、そう話してくれましたよね?」


 始まりからして不自然だ。小百合ちゃんが養子になった事は知るところだし、2人がお互いを親子として呼び合う姿も見た。残念ながら、本当の母親がこの世にいない事は明白だ。

 しかし、深川さんが言いたい話はこれではなかった。ここから僕の頭は完全にショートする。


「天に…『帰った』のです。逝ったのではなく、帰った…。あの子の母親は…天使だったのです。」

「…はっ?」


 驚きと言うよりも、突然過ぎて突拍子過ぎて…余りにも現実離れし過ぎて話が飲み込めない。


「驚かれるでしょうが、どうか聞いて下さい。あの子の両親は…東南アジアの、とある島で出会いました。当時、小百合の父親は古くから島に残る遺跡の研究をしていたのです。伝説とされていた祭壇を初めとする、歴史的建造物の発掘を任されていました。」

「………。」


 耳を傾けたくなる話に戻った。現実的な内容だ。


「発掘した祭壇の美しさに惹かれた彼は、早朝から1人で足を運んでいたそうです。木々に囲まれた祭壇は葉の隙間から漏れる朝日をいっぱいに浴び、それはそれは美しい光景だったと話していました。」

「………。」

「完全に心を奪われた彼は仕事も忘れ、毎朝そこで時間を過しました。そしてある日、いつものように祭壇に向った彼は出会ったのです。」

「…出会った?」

「小百合の母親です。彼女はその日少しの間だけ、天から地上に降りて来たのです。それを偶然、父親が見かけてしまったのです。」

「………。」


 ロマンスな過去を聞かされていたのに、話が思いっきり脱線した。頭が直ぐにでも爆発しそうだった。余り面識がない深川さんだから止められたものの、我慢は限界直前まで達した。


「2人は恋に落ちました。小百合の母親は天使であるにも関わらず、人間に恋をしてしまったのです。報われない恋だと、最初は思ったそうです。彼女は天に住む天使で、その体は地上では存在しない霊的なものですから、2人は触れ合う事すら出来ませんでした。」

「…それで?」


 相槌を返しながらも呆れていた。何を話すのかと思えば訳が分からない戯言を言い始めた彼女に、完全に呆れていた。それでも、言いたいように言わせた。だけどこれは嘘だ。僕は生前の母親に、その場しのぎの嘘をついて注意された事がある。このやり方は、決して彼女が望むものではない。亡くなった彼女を、冒涜するような真似だけはして欲しくなかった。


「だから彼女は、一大決心をしたのです。『デミゴット』として地上で肉体を授かり、人間として生きて行く事を…。」

「……。」

「でも叶わなかった。天使としての能力が低い彼女は、健康な肉体を得る事が出来ませんでした。特に、地上の空気が合わなかった。肉体を得て彼と結ばれ、小百合を身篭る前にはもう…肺の病に侵されていました。」

「………。」

「治療もままなりません。肉体を得たとは言え、それは特別な体…。現代の…いや、人間の医学では病を治す事は不可能でした。」


 御伽話は続いた。その後、彼女の病を治そうと父親は単身で遺跡に向かい、何か方法はないかと古代文書を読み漁ったらしい。しかし、それとは関係がない場所で不慮の事故に遭い、命を落としたとの事。


「そして1年ほど前、彼女の体は限界に達し、遂に肉体を捨てざるを得なくなりました。その前に私達夫婦は、小百合を我が子として引き取ったのです。」

「…そんな説明を、小百合ちゃんに…?」


 話が終わった事を確認し、僕は尋ねた。深川さんは無言のまま、ゆっくりと頷いた。


「そう言えば小百合ちゃんの悲しみが、少しは癒えると思ってですか!?小百合ちゃんはこの話を、信じてくれましたか!?」


 それを確認した後、僕は遂に爆発した。


「小百合の悲しみを、癒す為の嘘ではありません。博之さん…。これは、本当の話なのです。」

「!!」

「小百合の母親は、天界に住む天使なのです。」


 しかし彼女の返事は、火に油を注ぐだけだった。


「もう、いい加減にして下さい!」

「!!」

「信じられる訳がない!こんな馬鹿げた話を小百合ちゃんにも!?いい加減にしないと!小百合ちゃんは、もう少しで大人になるんです!父親が死んだ理由や、ましてや母親が死んだ理由を、こんな馬鹿げた話で済ますなんて…信じられない!こんな事で、小百合ちゃんが納得するとでも思ったんですか!?今はそうだとしても、いつか気付くはずだ!その時、小百合ちゃんは馬鹿にされた惨めさを感じて、両親の死にちゃんと向き合えなかった自分を後悔するはずだ!」


 言いたい事を、全て言い放った。でも、まだ怒りが収まらない。


「博之さん…。あなたは、信じられるはずです…。」


 深川さんが下を向き、震える声で嘘を貫く。


「信じられる訳がないでしょう!?これまで色々と、深川さん達には合わせてきました!妖精に会ったと話した時も、僕は調子を合わせた!」

「!?妖精は、本当に見たんです!あなたも妖精に会ったはずでしょ!?」

「………。」


 その一言に、僕の勢いは止まった。だけど…


「それとこれとは、別の話です!母親が亡くなったんです!妖精を好きなのは構わない。妖怪を探しに歩き回るのも良い。だけど!母親が亡くなった事ぐらい…小百合ちゃんには事実として受け止めさせるべきじゃないんですか!?彼女が悲しがろうが寂しがろうが…本当の事を教えなければならないんです!深川さんは母親になったんでしょ!?だったら、それぐらいの事をするのが親の責任じゃないんですか!?幻想好きな彼女の心を利用して、母親が死んだ事すらも幻想で誤魔化すんですか!?」


 6年前の出会いから今までの、全ての思い出が消し飛んでも構わない。小百合ちゃんが、僕を大嫌いになっても仕方ない。それでも彼女には…せめて親の死に対しては、本当の事を教えたかった。現実から、目を背けて欲しくなかった。


「………。」


 興奮する僕の前で、深川さんは黙ったまま悲しい目をしていた。


「…何故、…何故あなたは信じられないのですか…?私が話した事は、全て事実なのです。彼女は死んだのではなく、天に戻っただけなのです…。」

「…いい加減に…」

「博之さん!」


 もう1度大きな声で叫ぼうとした時、彼女が立ち上がって僕の名前を叫んだ。その眼差しに、動く事が出来なくなった。


「あなたは…数年前、母親から連絡を貰ったはずです…。」

「………。」


 …そう…確かに数年前、僕は母親から連絡を貰った。不思議な電話だった。


「あの時…あの人が伝えようとしたのです。でも、あなたは聞く耳を持ってくれなかった…。この話をするよりも前に、もっと簡単な事に、あなたは疑いを抱いてしまった。」

「………。」


 …それは、井戸の水を汲んだと言う話だった。


「彼女は、告げるにはまだ早いと考えていました。博之さんが事実を受け止められる時が来たら、改めて話そうとしました。けれども自分の死が、人間としての死が近い事も知っていました。だから彼女は、事実を伝える役目を私に託したのです。お願いです…。信じて下さい…。」

「……………。」


 あの時の電話…。受けた質問に対して、僕は疑いを持ってしまった。その時は反省もした…。だけど今の話は、いくら何年経とうが理解出来ない。

 それを伝えると深川さんの力は抜け、床に腰を落とした。暫く沈黙が続いた。僕は僕でこれ以上、言葉を選べなかった。興奮は収まったけど、どう考えても今の話は受け入れられない。


「博之さん…。あなたは、選ばれた人なんです…。」

「……選ばれた?」


 突拍子もない彼女の言葉に、また頭が混乱し始める。『選ばれた人』…。それがどう言う意味なのか、何故彼女がそんな話を始めたのかが分からなかった。


「小百合の母親が…ここに住む事を決めた理由を知っていますか?病気を承知で何故、この場所で暮らしていたのかを…知っていますか?」

「………。」


 確かにそうだ。彼女は時として、養生の為に田舎で過していた。土地開発も始まり、どんどん緑が失われて行くこの場所で住む必要はなかったのだ。


「それは、彼女があなたを選んだからなのです…。」

「……?」

「彼女は、あなたがここに越して来る事を知っていました。自分の肉体が、小百合が大人になるまで持たない事も知っていました。だから天に戻った後も、小百合を守ってくれる人を探していたのです。あなたは、彼女に選ばれたのです。私はそのお手伝いをするだけの者です。彼女が選んだのは…博之さん、あなたなのです。」

「………。」


 信じられない話を聞かされるだけ聞かされ、最後には小百合ちゃんの責任まで任された…。もう、頭の中はいっぱいだった。


「…深川さんが、何をおっしゃっているのか分かりません…。済みません。もう、失礼します。」


 この場に居られない事を悟り、急いで玄関に向かう。深川さんは下を向いたままだった。



(………。)


 家には帰らず、そのまま外に出た。白江にでも連絡したかった。橋本が、早く帰って来る事を願った。だけど、彼らに会ったとしてもこの気持ちは解消出来ない…。1人になって…何も考えたくなかった。




 家を出て行くの日を迎えた。あの日以来、深川さんだけでなく小百合ちゃんとも会っていない。お隣の家との距離が、これほど遠いものになるとは思わなかった。

 冷静に戻れたけど、今回の話だけは頑なに拒んだ。深川さんに会えば興奮してしまうだろうし、小百合ちゃんに会えば、何も言えなくなってしまいそうだった。だから2人には挨拶もせず、家を離れる事にした。



 新しい環境には慣れなかった。会社には大卒の新入社員だけでなく、それよりも多く先輩がいる。同い年、僕より若い先輩もいて、その人達からこき使われた。

 一方、住む事になった寮では…

 寮は2人部屋で、同じ部屋を使う人は白江と言う名前だった。彼は魔術に関心を持っていて、研究部に所属している。何と偶然にも、彼は同じ高校の同級生だった。…そう思う事にした。全く違う人間として捉え、一から付き合い直す事を決めたのだ。そうでもないと、本当に頭が爆発してしまう。初めて寮を訪れた時、先に引越しを済ませていた彼の荷物が目に飛び込んできた。部屋の装飾が、彼の趣味で埋め尽くされていた。それを見て、『珍しい趣味の人もいるものだ』と血の涙を流した。


 社会生活に慣れない内に、5月の連休が訪れた。深川さんとの事が頭に残っていて、実家には戻れなかった。

 それを帰らない理由には出来ないと悩んでいた最中、母親が遊びに来ると言い出した。母親の趣味は、人の部屋を勝手に覗く事である。僕は焦った。ごくごく最近に知り合った同居人のせいだ。『寮には機密資料もあるから、外部者は立ち入り禁止だ』と嘘をつき、町を紹介するだけにした。

 駅まで迎えに行き、先輩に教えてもらったレストランに足を運ぶ。初任給でご馳走をしようとしたけど母親はそれを断り、財布からお金を取り出した。どうやら僕はまだ、1人前と認めてもらえないようだ。


「これ…深川さんから預かったの…。あんたにだって。」


 母親、その日の内に帰ると言うので駅近所のカフェで談話する事にした。アイスコーヒーと炭酸飲料を注文し、それが来る前に母親が手紙を見せてきた。深川さんからの手紙…。僕の顔色は、変わってしまったと思う。だけど、それを母親に見られるのは良くないと思った。


「あんた…いい加減に許してやりなよ…?事情はどうであれ、あの家族が決めた事なんだから、あんたが合わせてあげれば良いじゃないの?」

「!?」


 手紙を読む前に母親がそう語る。焦って封を見た。…既に破られている。


(部屋だけでは…満足出来ないのか?)


母親の前では、僕のプライバシーはないに等しい。いや、皆無だ。


(…!?)


 いや、プライバシーがどうたら言っている場合ではない。母親が、僕と深川さん、そして小百合ちゃんの事情を知っている。


(何故?何処まで?)


「あの子、あの歳で妖精を信じてるなんて、ちょっと幼過ぎるけど…可愛いじゃないか?母親が死んだのは悲しいけど、それも深川さんなりのやり方なんだから、あんたが合わせてあげれば?」


(…かなりの事情を知っている…。)


「あんただって、越してからずっとあの子の面倒を見てただろ?」


(最初からを全て知っている…。…って、えっ!?)


 はっとした顔で母親を見る。母親は…小百合ちゃんと出会った時からの事を知っていた…。6年間の努力が崩れ去るのを感じた。そして、これまでにないビンタの報復を覚悟した。目をギュッと閉じ、頬を差し出す。全てを受け入れる覚悟を決めた。


(………?)


 だけど頬は、鈍く重い痛みを感じない。不思議に思って目を開けて見ると、母親の手はグラスとストローを握っていた。


「えっ…。どうして知ってるの?小百合ちゃんと遊んでた事…。」

「?知ってるも何も、あんた高校の時、よく家を抜け出してたじゃないか?」

「…でも…行き先、言った事ない。」

「出て行く時は、いつもあの本を持ち出していただろ?何処に行ったかは分かってたよ。」

「!!」


 自分がどれだけ間抜けだったのかを知らされた。確かに僕は夢中になり、本も隠さず手に握ったまま家を出たかも知れない。いや、そうでなくとも母親の事だ。僕がいない間に、部屋を物色していた事だろう。本は、本棚の一番見え易い場所に置かれていた。母親も知っていたはずだ。そして、深川さんとも仲が良い。小百合ちゃんの母親も生前は、近所を回って子守を頼んでいた…。


「僕が小百合ちゃんと、何をしてたかも…?」

「知ってるよ。深川さんが言ってた。あんたがよく、冒険の相手をしてくれるって。私も見たよ。マンションの敷地で、あの子と一緒にウロウロしてたじゃないか…?」


 妖怪探しの時だ…。やっぱり見られていたのだ。


「…怒らないの?」

「何を?」

「僕が、小百合ちゃんと遊んでた事…。」

「?どうして?」

「えっ?…だって勉強以外の事してると、直ぐに怒ったじゃないか…?」


 更に勇気を出し、飛んで来ない平手の理由を尋ねる。母親は、照れたように笑ってこう答えた。


「私も…嬉しかったのかね…?」

「?」

「あんたが悪ガキに苛められた時、『もう読まない!』って…あの本を、何度も何度も放り投げたんだよ。覚えてるかい…?」

「…うん。」

「あの時は、本当に寂しかったね。何に関心を持ったかはさておき、あの本は、あんたが生まれて初めて欲しがった本だったから…。」

「………。」

「ラグビーも辞めてしまった博之が、もう1度あの本を読み始めたのが…母さん、とても嬉しかったし、懐かしかったんだよ。」


 …僕の姿は母親にとって、いつまでも子供に見えるのかも知れない…。どれだけ背が高かろうが、横幅が凄かろうが、どれだけおっさん臭い顔になろうが…母親の前では、僕は生まれた時からずっと息子なのだ。そして子供と言うものは…いつまで経っても親には敵わないものなのだ…。


「だから良いじゃないか?あの子や深川さんの話を信じてあげる。それで良いじゃないか…?」

「………。」



 母親を見送り…趣味が悪い部屋に戻る。同居人は実家に戻っていて、今日も帰って来ない。

 今の内に、趣味の悪い物を全て処分してやろうかと思った。壁に、血で描かれた落書きがないかを確かめた。管理人に申し込んで、倍の金額を払うから1人部屋にしてくれと嘆願しようとも思った。…今更になって部屋の事に、同居人の趣味の悪さに愚痴を言い始めた。時間を稼いでいた。手紙を読む事から逃げていた。


(………。)


 同居人をどうたら言うにもネタが尽き、パソコンでも開こうと思った。受信メールに、橋本から送られたメールがあった。早速開いてみる。


「………。」


 読めない…。悪戯にも彼女は、メール全文を英語で書いたのだ。何を自慢したいのか知らないけど彼女の性格は相変わらずで、僕を困らせると同時に和ませた。

 足りない英語力で、どうにかメールを読み上げる。太古の魔法書を解読するのと同じくらい難しかったけど、橋本がもう1年、アメリカに滞在する事は分かった。全く、彼女らしい理由だった。まだまだ知りたい事が多いらしく、この先の1年も超能力と霊能力の研究に費やすらしい。彼女は今でも『信じる人』であり、何の迷いもなく、自分の道を歩いている。僕、橋本、そして白江…。僕らの性格は今になっても、何1つ変わっていない。僕は…いつまで経っても優柔不断で、いつまで経っても『信じる人』になれない。

 メールの最後に分かりやすい英語で、追伸が書かれていた。『Did you be beliver?』。続いて日本語で、『信じる人になれた?』と補足があった。僕は、『それくらいの英語なら分かる』と突っ込みを入れながら、訳文しか理解出来ていない自分がいる事を知った。


(………。)


 メールを閉じ、パソコンの電源も落とした。そして…母親から受け取った手紙を手に取った。

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